5.犬好きの変態は役に立たないので
「あのぉ、篠崎くん?」
私は恐る恐る隣で床に突っ伏している篠崎くんに話しかける。
冷たい部屋、というか牢屋の中で、篠崎くんは私のことなんて気にもせず、何故だと一人呟いている。
黒いマントを着て、なぜか言葉が通じる二足歩行の犬たちに、あれよあれよという間に捕まえられ、気絶させられ、目が覚めたら牢屋の中だった。
篠崎くんと同じ牢屋に入れてくれたことで心細さは半減したものの、篠崎くんは一人違う世界で苦しんでいる。
おそらく、いや、間違いなく、篠崎くんが絶望している理由は今まで自分が大切にしていた犬たちが自分に牙をむいたからだろう。
飼い犬に手を咬まれるとはまさにこのことである。
私からしてみれば、私たちを捕えた犬たちが篠崎くんの飼い犬だとは到底思えないのだが、気が動転している篠崎くんは自分が知っている場所とは違う場所にいることにまだ気が付いていないのだ。
本当に、役に立たない不良である。
こういう時こそ持前の強さを発揮して、ベタに囚われた同級生である私を救いだし、元の場所へと送り届けてくれないものだろうか!
「なぜ、俺が何をした……? 毎日のおはようとおやすみのキスが駄目だったのか、それとも、みんなのもふもふが気持ちよくて触り続けていたことか……それとも……」
もう駄目だ。彼には頼れない。
一人でやるしかない。私は据わった目で篠崎くんを見つめる。
しかし、何をどうすればいいのだろう?
この状況すら把握できていないのに。
とりあえず、絶望に浸っている篠崎くんを現実に戻そう。
声をかけても反応がなかったので、私は篠崎くんの体を思い切り揺らすことにした。
「……うおっ!!」
思いのほか強く押してしまったため、篠崎くんはバランスを崩して倒れこんだ。
「あ、ごめんなさい。大丈夫?」
「何すんだよ!」
女子に押されて転んでしまった恥ずかしさのせいか、私のことを威嚇する。
「いや、篠崎くんを現実にかえしてあげようと……」
「余計なお世話だ。俺はいつでも現実的に生きてる!」
どの口でそんなことが言える?
私は開いた口が塞がらなかった。
(いやいや、あなた、犬のことに執着しすぎて牢屋に入れられたことにも気づいていないじゃないの!)
私は、自称現実的な篠崎くんに、今の状況を落ち着いて伝える。
「あの、篠崎くん? ここがどこだか分かる?」
「何言ってんだ? 俺の家だろ」
本当に、馬鹿なのではないか。
彼の眼はちゃんとこの光景を映しているのだろうか。
石造りのじめじめした室内に、鉄格子。
こんな部屋が一般家庭にあるはずがないだろう。
いや、もしかしたら篠崎家ならばあり得るかもしれない。
私はその可能性も考えて聞いてみる。
「篠崎くんの家には牢屋があるの?」
「は? んなもんある訳ねぇだろ」
よかった、篠崎くんの家にもさすがに牢屋はないようだ。
「じゃあここは何?」
「……じいのやつ、こんなところいつの間に作ってたんだ?」
「いやいや、気づいて! ここ、絶対篠崎くんの家じゃないから!」
思わず、私は叫んでいた。
その声が、どこまで続いているのか分からない牢内に響いた。
「えぇ、ここは確かにあなたがた人間様の家ではありません」
突然、柔らかな、人の警戒心を解くような優しい声が聞こえた。
鉄格子の向こうに現れたのは、真っ黒な犬だった。
またまた、二足歩行のその犬は、まるで紳士のように気品漂う立ち姿で、私たちの前で微笑んでみせた。
「……フラットコーテッド・レトリーバー?」
ぽつり、と篠崎くんが言葉をこぼした。
何語だろう、と私が不思議そうに篠崎くんを見ていると、黒い犬に笑われた。
「フラットコーテッド・レトリーバーとは、我々の犬種ですよ。あなたがた人間にも人種があるでしょう?」
そう言われて、私の顔は恥ずかしさで熱くなった。
犬の知識なんて何一つ持ち合わせていないのだ。
犬種など分かるはずがない。
柴犬ぐらいしか分からない……。
「おい」
篠崎くんが黒い犬に向かって声をかける。
ようやく何か行動を起こしてくれる気になったのか、と私は期待を込めて篠崎くんを見つめる。
「……その、素晴らしい毛並を触ってもかまわねぇか?」
犬がしゃべる、犬が二足歩行、犬に捕えられた、驚くことが満載だったにも関わらず、篠崎くんが犬に声をかけた第一声は毛並のこと。
よっぽど触りたいのだろう、強面の目がきらきらしている。
その言葉に驚いたのは、私だけではなかった。
先ほどまで余裕の笑みを浮かべていた黒い犬までもが、固まっている。
「少し、ほんの少しでいいんだ。そのつややかな美しい毛並に触れさせてくれ!」
「ちょ、篠崎くん?」
こんなにも興奮している彼は、もう誰も止められない。
鉄格子が邪魔だと感じたのか、篠崎くんはその強い力で鉄格子をあっさり外してみせた。
そして、あっけにとられて動けない黒い犬に抱きついて、その毛並を撫で回す。
あれよあれよという間に鎧を脱がされ、全身の毛があらわに。
冷静沈着だった犬はもはや見る影もなく、篠崎くんの犬慣れた手によって気持ちよく鳴かされていた。
黒い犬はもうすでに従順になり、自分から腹を見せている。
そのお腹をまた、篠崎くんはさまざまな手練手管を使って犬を気持ちよくさせる。
決して、これは卑猥な行為ではないのだ。
決して、決して……そう心の中で思いながらも、黒い犬と篠崎くんが絡み合う姿に、私は見てはいけないものを見ている気がして、もう鉄格子のない牢屋から出ることもできずに留まっていた。
しばらくしてハッとと我に返った私は、篠崎くんのがたいのいい体を犬から引き離そうと近づく。
「篠崎くん! もうやめて! R18になっちゃうから! 危ない扉が開いちゃいそうだから!」
私は自分でも何を口走っているのかも分からないまま、篠崎くんの腕を引っ張る。
もう十分堪能したのか、私の説得が効いたからか、彼は犬から離れた。
「ったく、可愛がってるだけなんだからいいじゃねぇか。で、俺はどうしてこんなところにいる?」
犬をかわいがり、欲求が満たされたためか、ようやく篠崎くんは現状に疑問を持ったようだ。




