2.捨て犬を拾ったので
インターホンを押して出てきたのは篠崎くん……ではなく、黒い執事服に身を包んだ白髪のおじさまだった。私はとりあえず捨て犬を抱えたまま頭を下げる。
「あの、突然すいません! 私は篠崎くんのクラスメイトで、萩村由宇良と申します!」
私の言葉に頷いて、優しそうなおじ様は、にっこりと笑みを浮かべ、私を屋敷へと招き入れた。
*
「申し訳ございません。せっかくご学友の方が来てくださったというのに、坊っちゃまはお犬様に夢中でじいの話を聞いてくれませぬ」
何やら私の部屋がすっぽりおさまりそうな程広い玄関を抜け、これまた私の家まるごとおさまるんじゃないかと思うぐらいに広い応接間に案内され、私は頭を下げるおじ様、もとい篠崎家の執事の話を聞いていた。
(えぇえぇ、そうでしょうね。たくさんの犬の鳴き声が聞こえてきます……ん? 今『お犬様』って言った?! まさか篠崎くん使用人にまで犬を大切に扱うように命じてるの? なんだか日本史に出てくるかの有名な将軍みたいじゃない……え、もしかしてあの将軍の子孫だったり……)
いやいやいや、さすがにそれはない。
いくらベタベタな篠崎くんだって、さすがに血筋まで……そう思っても、期待を裏切らないのが篠崎くんという人物である。
だんだん考えるのが怖くなって、私は違うことに意識を向けることにする。
この応接間には、高級そうなものがたくさんある。
今私が座っているソファも座り心地抜群で、刺繍も見事だし、足下の絨毯だってスリッパごしに分かるほどふかふかで、壁にかけられた絵画は名のある画家が描いたものであることは間違いないだろう。
芸術のセンスがまるでない私でも、なんだかすごい迫力を感じる独特な絵だ。
じぃっと絵画を見つめていた私に気づいたのか、執事さんが絵の説明をしてくれる。
「こちらは、坊っちゃまが六歳の頃に描かれたお犬様でございます。初めてお犬様のお姿を描かれた坊っちゃんはそれはもう大興奮で、なかなか絵筆を離しませんでした。そしてこちらは十歳の頃の坊っちゃまの絵です。この頃から絵にリアリティーを持たそうと工夫なされて、ほら、ここなんか陰影が素晴らしいでしょう?」
にこにこと嬉しそうに絵の説明をしてくれるのだが、私はただ口をあんぐりと開ける他なかった。
(これ全部篠崎くんが描いたんかぃーー!)
しかも全部犬の絵だ。
どれだけ好きなんだ。しかも十歳にしてこの出来。
芸術家の作品だと思ってしまうほどに、それはもう素晴らしいものばかりだ。
犬への愛情が嫌でも伝わってくる。
「ほ、本当に篠崎くんは犬が好きなんですね……」
ひきつった笑顔でそう言うと、執事さんに口を塞がれた。
「萩村様! 『お犬様』ですぞ。もし坊っちゃまに聞かれていたらただではすみませぬ!」
本気で焦る執事さんの勢いに負けて、私はぶんぶんと首を縦にふる。
(え、嘘でしょ。普通に犬って言っただけなのに……)
「あの、もしかして、仮に、ですけど……篠崎くんって、あの犬将軍徳川綱吉と何か関係あります?」
おそるおそる執事さんに訪ねると、驚いたように私を見た。
「萩村様、ご学友でありながら知らなかったのですか? 坊っちゃまは徳川家の血を引いております。直系ではございませんが、たしかに徳川の人間でございます」
誰か嘘だと、夢だと言ってください。
普通はあり得ない。信じない。
しかし、これが現実なのだと篠崎くんという人間を日々観察している私には分かる。
……断じてストーカーではない!
そうして内心パニクりながらも、現実を受け止めている私の目の前に張本人が現れた。
まだ学ラン姿の篠崎くん。
着替える時間も惜しかったのだろう、お犬様のために。
「おぃ、高野! ジュリアンのスペシャルランチはまだか?」
高野、とはおそらく執事さんの名前だろう。
だが、ジュリアン、とは誰だ。
もしかして、篠崎くんの腕の中でふりっふりのレースに飾り立てられたチワワのことだろうか。
あぁ、黒くて大きな瞳がきらきらと潤んでいる。
自分の可愛さの売り込み方をよく分かっている、このチワワ。
「はい、坊っちゃま。今すぐ用意させまする!」
執事、高野さんが慌てて応接間を出て行くと、チワワ、もといジュリアンを抱えた篠崎くんは私の存在に気づいた。
「なんであんたが……」
きりっとした眉をつり上げて、私を威嚇しようと口を開いた篠崎くんは何故か途中で言葉を詰まらせた。そしてその視線は私の顔ではなく、なんだか少し下に向けられている。
「?」
どうしたのだろうか。
言葉もでない様子の篠崎くんを見て、私は首を傾げた。
すると突然、篠崎くんがジュリアンを抱えたまま、こちらに物凄い勢いで近づいてきた。
それも、強面の彼から出るものとは思えないような言葉とともに。
「きゃわゆぅぅぅうう!!!」
あぁ。誰か篠崎くんの顔にモザイクをかけてください。
強面でもクールでかっこよかった彼の顔が一瞬で顔面崩壊しています。
いつもは物陰から、あるいは後ろから見ていた顔面が、今は目の前にある。
怖い。本当にある意味怖い。
私、萩村由宇良はこの屋敷まで押し掛けてしまったことを今さら後悔するのであった。




