12.状況についていけないので
私は、篠崎くんをご主人様と呼ぶ可愛らしい黒い毛玉っぽい犬を見て、茫然としていた。
篠崎君はもちろんデレデレの顔でふわふわの黒い毛糸犬を抱きしめている。
「おお、まさか本当に出てきてくれるとは思わなかったぞ!」
興奮気味に叫ぶ篠崎くんに、黒毛糸犬も嬉しそうに尻尾を振る。
(何、これはどういう状況なの……?)
今さっきまで、私たち以外ここには何もいなかった。
篠崎くんが地面に絵を描くと、その絵が光り出して毛糸犬が登場した。
認めたくはないが、召喚術的なものを使ったのだろう。
いつの間にそんな術を身に着けていたんだ! と言いたくなるが、篠崎くんはこの犬世界の救世主様らしいから、そんなことができても不思議ではない……のだろう。
私は無理矢理自分を納得させ、自分の召喚した毛糸犬と戯れる篠崎くんを見てため息を吐いた。
『おいら、何をすればいいですかっ!』
篠崎くんの腕の中で、もぞもぞと毛糸犬が動き、きらきらした瞳で口を開いた。
その声が、仕草があまりにもかわいすぎて私までときめいてしまった。母性本能をくすぐる可愛さだ。やばい。私にもどうかその子を抱かせてくれないだろうか、なんて思ったが、篠崎くんが許すはずないだろうと口に出すのは控えておく。
「俺は、猫世界の入り口とやらを見つけて、さらわれたお姫様を救いに行きたい。きらるたんなら見つけられるか?」
黒い毛糸犬のかわいい問いに、篠崎くんはデレデレになりつつも現状を思い出したようだ。
しかし、私は聞き捨てならない単語を耳にしたように思う。
(きらるたん……?)
今更、篠崎くんのネーミングセンスについてとやかく言いたくはない。
言いたくはないのだが、気になって仕方ない。
(な、なんで、きらるたんなの?!)
黒くて、毛糸玉みたいにころころふわふわして可愛らしい犬。
おそらく犬種はトイプードル。
一人称が「おいら」だったから、オスのはず……。
もしかしてあれか、目がきらきらしているからか。
それにしたって、「たん」はいらないだろう!
実は、オタクなのだろうか。「~氏」とか使ったりするのだろうか。
篠崎くんの頭の中を真剣にのぞいてみたい。
などと、疲れのためか訳のわからない思考に陥っていた私の目の前で、毛糸犬もといきらるたんが二足歩行でえっへんと胸を張った。
その姿もちいさくて、かわいくて、私はきゅうんと胸を締め付けられた。
これは、篠崎くんではなくても癒される可愛さだ。
『お任せください! でも、近くに猫世界に通じる扉はないようです。どこかで休んだ方がいいと思います』
必死で言葉を紡ぐきらるたんがかわいい。
ずっと眺めていたいぐらいだ。
そんな私よりもきらるたんに夢中な篠崎くんは、目に涙を浮かべて感激していた。
「きらるたん、きゃわゆすぎる……!」
森の中を長時間歩き続けたためか、篠崎くんもいろいろと崩壊していた。
照れたようにもじもじするきらるたんを腕の中に閉じ込めて、篠崎くんは号泣している。
だが、その状況を見せられて逆に冷静になった私は、現実的な問題を提示した。
「篠崎くん……その、き、きらるたんの言う通り、休む場所が必要だよ。このまま森ではいられないし、迷子な状況は変わってないよ」
きらるたん、という単語を言うのに躊躇してしまった以外は、ちゃんと言いたいことは伝えられた。
よくやった、私。
とはいえ、篠崎くんが聞いてくれているかは謎である。
『迷子なのですか!? では、おいらが出口まで案内します!』
あぁ、なんていい子なの、きらるたん!
私は予想通り話を聞いていなかった篠崎くんを睨みつけ、きらきらした瞳を向けてくれるきらるたんに笑顔を向けた。
「じゃあ、きらるたん、お願いできるかな?」
小さな子ども相手に話すように、私はきらるたんに話しかける。
だが、そのきらるたんは篠崎くんの腕の中な訳で、どうしたって篠崎くんにも話しかけることになる。
案の定、篠崎くんは私にギロリ、と冷たい眼差しを向けてきた。
「きらるたんにお願いしていいのは俺だけだ」
抱いているのが犬ではなく恋人だったり、その名前がきらるたんではなく普通に女性の名前だったりしたのなら、自分の彼女を他人には触れさせたくない独占欲むき出しの男に見えただろう。
それぐらい、篠崎くんは本気で私を威嚇していた。
どこで独占欲発揮してるんだよ、と心の中で突っ込みながらも、なんだか私は悲しくなってきた。
「うん。でもさ、ずっとここにはいられないでしょう。日が落ちたら暗くなるし、危ないよ。どこか安全なところまできらるたんに連れてってもらわないと……ね?」
篠崎くんに命を預けていたら本気で死にそうだ。
私は真剣に犬バカの説得を試みる。
『ご主人様の従者の言う通りです。おいら、ご主人様が心配です』
聞き間違いだろうか。
今、きらるたんは私のことをなんと言った?
従者? 私が篠崎くんの? いやいや、あり得ない。
しかし、犬たちからすれば、私は救世主にくっついてきたただの人間の女だ。
篠崎くんにとっても、たいして関わりのないただのクラスメートだ。
(これも、人間界に帰るまでの辛抱だわ)
もう、従者でも下僕でもなんでもいいから、さっさと人間界に戻りたい。
私のメンタルはこの森でかなり消耗してしまっていた。
なんだか、突っ込む体力もない。
肩から脱力すると、いっきに身体に力が入らなくなった。
(あ、やばい……)
そう思った時には遅く、私は地面にどさりと倒れていた。
頭がくらくらして、まともに物を考えられなくなる。
(だめ……私が倒れても、篠崎くんは絶対に犬を優先しちゃう……)
このまま森に置いてけぼりにされたらどうしよう。
不安で、涙が出そうになる。
篠崎くんの関心は犬にしかないのだ。
それはもう、十分に理解している。
私は落ちていく意識を引き留めようと必死になるが、身体は強制的に休養させるために意識を手放した。
「萩村!」
意識を失う直前、篠崎くんに名を呼ばれた気がした。
しかし、篠崎くんが私を必死な声で呼ぶはずがない。
妙に現実的で、冷静な思考も闇に包まれると、私は篠崎くんの前で倒れてしまった。




