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西川は、隆の宝塚受験のことを学校内で言いふらさなかった。
ただ二人の時に、宝塚受験の事を含みある言い方で話題に上げるようになった。
体育の授業、バスケットボールでシュートを決めると、
「怪我したらどうするの? 受験に響くよ? 踊れなくなるよ?」
隆に対して含みを込めた、ニヤニヤと嫌な言い方だった。
疲れからウトウトと、隆が授業を聞いていると、
「学校は真面目にやらなきゃいけないよ。品行方正できないと、受験に差し支えるんじゃない?」
等嫌味に満ち満ちたことを話題にし、『受験』という言葉を使って、顔を強張らせる隆を見て、その姿を楽しんでいた。
ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべながら、自分の目標である宝塚受験を馬鹿にされる。
言いふらされることを隆が恐れていることが、西川にはわかっているのだろう。なので隆は怒ることが出来ない。
真綿で首を絞めるということはこういうことか、隆が実感するくらいだった。
学校で隆は西川を避けるように、グループでの行動から、一人で行動することが多くなり、それが更に孤立を招く。
孤立は学校での隆の悩みを増幅させていった。日に日に学校に行きたくなくなってくる。
隆は自分が情けなかった。大切にしているものを汚されているのに、自分は逃げているだけ。
(言えばいいんだ)
何度も隆はそう思った。
自分が宝塚受験を目指していると。男にも関わらず、タカラジェンヌを目指していると。
何も恥ずかしいことはない。クラスの連中誰にも迷惑をかけているわけではない。ただ自分がやりたいことをやっているだけだ。何故馬鹿にされなければならない。
心の中ではわかっている。
本当に隆のしていることが正しいと思っているなら、素直に宝塚受験をしていると、周りに言えばいいのだ。
けれども、その一言が、どうしても言えない。
これまでのクラスの境遇が、変わってしまうのが、怖い。
クラスのみんなから、異常者として見られるのが怖い。
それまでの格好いい、みんなから一目置かれている自分が、男なのに真面目に宝塚受験をしようとしている、どうしようもない変わり者に、変態風情に落ちぶれてしまうのが怖い。
そんな思いに雁字搦めにとらわれてしまい、隆は自分から打ち明けることが出来なかった。
そして、そんな鬱憤を晴らすかのように、隆は毎日ひたすら宝塚受験に向けての、練習を繰り返した。練習すればするほど、目標に近づいてくる。それだけが隆を楽にした。
レッスン後に円と憎まれ口を叩くのが、楽しかった。
ただいつからかレッスンに円の姿を見ないことが増え、レッスンを休みがちになっていた。
あれだけ宝塚とレッスン命の女が一週間休むのは、ちょっとおかしい。
宝塚受験の為に、息をしているような女だ。
簡単にレッスンを休むような女だったら、自分の貞操をかけて、隆をこの教室から追い出そうとしたりはしない。
「円が休んでいる理由とか知ってる?」
円と仲がよい後輩に聞いてみる。
「いや、体調不良とは聞いてますけど」
「そっか」
隆はしばらく考えた後、
「よし。お見舞いに行こう」
この状態はどう考えてもよくない。首をつっこんでいる暇なんてないが、一度一緒に食事をした間柄だ。様子ぐらい見てもよいだろう。
「お見舞い? これから? 住所とか、知ってる?」
その子は思い詰めたように、前のめりに隆に訴えかける。
「うーん。円の家の場所知らんのよ」
その女の子は、村上先生に確認したのち、円の住所を教えてくれた。
駅前でミスタードーナツを一そろい買って、円の家まで自転車を押して歩く。
(ドーナツ代は痛いが、これは使うべきお金だ)
ケチるだけが能ではない。お金は、使うべき時には使えと母親によく言われていた。
歩きながら、円の住所を聞いた後、教えてくれた子と話したことを思い出し、顔をしかめた。嫌なことだったので、鮮明に思い出せる。
『高校受験の方は順調?』
その子は中学校を卒業して試験を受ける。円や隆と違って、高校受験の方も取り組まないとならない。勉強と宝塚両立しなければならないのはやっぱり辛いだろう。
『うーんと、併願推薦でとりあえず滑り止めはありますから。だからそこまではプレッシャーを感じていないですね』
隆の考えすぎだったようだ。
考えてみれば、大学受験に比べて高校受験は難易度が低い。追い詰められはしないだろう。
高校受験について、あっけらかんとした感じである。あまり自分を思い詰めている様子ではない。
(自分の方を心配した方がいいな)
周りの進学雰囲気に、隆の情緒は相変わらず不安定だった。最近は友達だと思っていた相手から、嫌がらせまでされている。その嫌がらせを躱すのに、日々心を削られている。
『キミの言葉が耳に痛いよ』
『そんな。でも隆さんはしっかりと目指す思いが定まっていますから』
その子は一人納得しているかのように、頷いている。
『なんたって、男なのに宝塚を目指しているんですし』
本気でそう思っている。からかっているようには見えない。
隆としてはその評価は心に突き刺さる。その子の認識と隆が過ごしている現実に心がざわついてしまう。
『あんまり過大評価されてもな』
ぼそりと隆が呟く。
『過大評価ですか?』
『あぁ、偉そうなことを言っているが、俺だって迷うこともある。だからキミが思っているほど、大したヤツじゃないよ』
隆は自分の学校での様子を思い浮かべて、自嘲する。
結局自分は他人の目を気にしている。一心不乱にレッスンを受けているから、そういう印象になるのだろう。
そんなことを話した。
吹けば飛ぶような立場に執着している、その子が思うような立派な男ではない。
自嘲しながら歩いていると、すぐに隆は円の家に着いた。
「何号室だっけ」
円の家は隆の家と同じような、古びた公営の集合住宅だった。昔からあるような昭和の集合住宅。
円の家は、九階にあった。
チャイムを鳴らす。しかし、反応が無い。もう一度鳴らしてみるが、それでも反応がなかった。
「そんな遅い時間でもないよな」
スマホの時計の時間は、二十時少し前。まだそこまで遅い時間ではない。
もしかしたら、病気が酷くて家から出てくれないかもしれない。
ただ窓から家の光は見られない。だから、隆は連想してしまった。
あの頑張り屋が嘘をついて、授業を休まざる負えない事態になっている。何かろくでもないことに巻き込まれているのではないか。
隆としてはスッキリしない結末に、移動中も、円のことを色々と考えてしまう。
(急におしかけても家にいるとは限らない。当たり前だけど。それはそれとして、あの宝塚まっしぐらな円がなんで、レッスンをサボったのか。いやまだサボったと決まったわけではない)
そんな風にもやもやと自転車を漕いでいると、見覚えのある姿が目に入った。
隆はけたたましく音をさせながら急ブレーキをかけて自転車を止め、自分の感覚に従って、見覚えのある姿をもう一度しっかりと見つめる。
円がいた。
隆は一度目をつぶって、もう一度見たが、やはり円だった。
円だけだったらよかったのだが。
(え? 男?)
目をつぶった理由は、隣にかなり年がいっているだろう男が居たからだった。
(彼氏? いや、年上過ぎだろ)
親かと思ったが、何となく親に対するような態度ではない。その男と腕を組んでいるし、必要以上に密着している。
何より、円が愛想を振りまいている。甘え、しなだれて、媚を売る。
あの我が強い、戦いをたしなむ、信念の女が。
そして距離を取ったあと、円はその中年に手を振ると、円はその場で手を振って見送り、男は去っていく。
隆はボーっとその光景を見ていた。見なかったことにしたい。というよりも単純に付き合っているのだと思いたい。
ただこの出来事が、円の意向に沿ったことなのか、円が教室に来なくなった理由かどうか、確認するならこのときだとも思った。
隆は一連の行動を確認した後、自転車を止めると、走って円に駆け寄る。
「円」
声をかけると、円はギョッとした顔で振り向いた。
隆を見ると、さらに表情が歪む。
その円の表情を見て、隆はなんとなく自分の悪い予感が当たっていたことに気がついた。
「遅くにスマン。少しだけ、ほんの少しだけでいいから、お茶をしないかな? あ、安心してくれ。奢るぞ。スタバでもなんでも奢るからさ。あと口説かないことも、約束しよう」
隆は息をつかさぬくらいに、矢継ぎ早に話しかける。隆自身焦っていると自覚していた。このまま家に帰ったらいらぬ憶測をしてしまいそうだ。
「わかった」
円はそれだけ言うと、隆の後をついてきた。会話はなかった。隙間の時間のはずなのに、隆はその時間をやたら長く感じる。
駅前で、遅い時間までやっているカフェに入り、手早く注文をすます。
「本当にコーヒーだけでよかったのか?」
「太るから」
言葉少なく、円は返事をした。なんでもいいと言ったが、隆は安く済んでほっとしていた。既にドーナツも買っていたので、奢ると言ったはいいが、お金が足りなくなる恐れもある。
お互いに何も喋らない。目もまともに合わせられない。隆もこんなことをしている場合ではないと思いながら、どうも踏ん切りがつかない。
(ここまでして、無かったことには出来ないだろ)
隆は自分を奮い立たせ、円の目をはっきりと見て、聞きたいことを聞いた。
「あー、さっき会っていた人は彼氏か?」
「違うわ。ストレートに聞いたらどう?」
円は、隆の問いかけにしっかりと目線を合わせて、まるで挑むように言葉を返してきた。
「わかった。違っていたら遠慮なく、グーでぶん殴ってくれ」
いつも通りの円らしさに触れて、隆は自分を取り戻す。目を瞑って、大きく息を吸って、ゆっくりと息を吐いた。
「あれか。……円、お前、トー横キッズというか、パパ活的なことをやっているのか?」
「本当にストレートに聞いてきたわね」
円はまっすぐ向けていた目を、一瞬逸らして、呟いた。だがすぐ目線を隆に合わせる。
「えぇ。そうよ。その通り。さっきの男性は一緒にお茶をするだけで、一万円をくれる、私にとっては、とっても有難い男性。年齢偽って、そんな人を紹介してくれるアプリを、がっつりインストールして活用しているわけ」
開き直ったように、まくし立てる円に、隆は声が詰まる。
そうなってしまった理由は、瞬時に想像がついてしまった。
円は隆と同じような、寂れた公営の集合住宅に住んでいる。そして隆と同じく母子家庭と聞いている。
「なんていうか、あれか。……やっぱりお金が心配なのか?」
隆と同じような集合団地に住んでいる。それが何となく自分と同じ境遇なのではないかと思った。そして隆自身、母子家庭なので、その問題の切実さはわかる。
先月、教室より宝塚受験をする生徒に向けて、臨時会費の徴求がきた。
それは二次、三次試験の為に徴求するべき会費。
二次、三次試験の受験会場は、宝塚音楽学校のお膝元、つまりは兵庫県で行われる。
関東から兵庫県に、日帰りでの受験は時間的に間にあわない。
さらにもし二次試験が合格した場合、三次試験は二次試験合格発表翌日に行われる。
なので何日かはどうしても、近くのホテルに泊まるなどしなければならない。
普段の会費とは別に、往復の新幹線代、宿泊代等を払わなければならないのは、隆の家庭でも、しんどかったのは正直なところだ。
「その通りよ。シンプルにお金が足りない。アタシ宝塚受験四回目なのよ。三回落ちてんのよね。つまり毎年毎年無駄に関西に何泊か旅行しているようなものなの。その他にも私立高校の学費と毎月3万円の月謝。もうね。母親の貯金なんてすっからかん。ははっ」
円は立て板に水のように打ち明けてきた後、最後に笑った。
その笑顔は円らしくない、何かを諦めたような乾いた笑顔だった。
宝塚受験には、金がかかる。
これは厳然たる事実だった。レッスン代だけでなく、細々とした思ってもみなかったところに、色々なお金がかかる。隆も嫌と言うほど思い知らされてる。
願書に張る写真だって、ちゃんとしたプロのカメラマンに撮ってもらわなければならない。
昔の話ではあるが、宝塚音楽学校には、良家の子女でないと入れないという噂もあったくらいだ。
「お金があったら、宝塚コドモアテネとか通いたかったけどね」
宝塚コドモアテネとは、宝塚音楽学校がその設備と講師陣を活用して、声楽・バレエ・日本舞踊のレッスンを行う日曜教室だ。
ある意味、宝塚入学のためのエリート候補生たちがいる教室となっている。
実際、コドモアテネの生徒の中には、そのまま宝塚音楽学校受験を希望する者も多く、試験を受けて入学する人も多い。
元宝塚トップスター、真矢みきも宝塚コドモアテネに通っていたくらいだ。
「と言っても、コドモアテネに通っているから、必ず合格するってわけじゃな。通っていても結構な確率で落とされている。行っていたからどうこうということもないけど」
円が言ったように、宝塚コドモアテネは宝塚音楽学校への付属校、エスカレーターというわけではない。
宝塚音楽学校に入るためには、あくまで受験を突破して入学することが求められる。
「普通にバイトしたら、高校生なんて時給もたかが知れているし、レッスンにあてる時間も取られちゃう。だからアタシにはこのバイト、結構役に立ってるのよ。……泣いても笑っても最後のチャンスだし」
「そうか……」
ありふれている話、納得できる筋道の話だ。本来納得してはいけないと隆は思っているが。
「安心してよ」
円は笑う。さっきの諦めたような笑顔ではなく、まるで隆を励ますように笑ってくれているよう、隆は感じた。
「アタシ結構長くやっているから、お茶だけで済ますコツとか掴んでる。やっぱり男の人はヤりたいのよ。当たり前よね。喋るだけだったらキャバクラに行った方がいいよ。でもアタシはオジサンの誘いを上手くかわすやり方とか身につけてる。体は売ってないし、膣土方じゃない。すみれコード違反じゃない……わけではないか。グレーゾーンかな。それにアタシ、めっちゃ喋るし、凄い面白いからなマジで。喋りで稼いでいるから。隆がパパだったら思わず貢いじゃうと思うね。あ、知っている? パパ活している女の子って、一時期、ほとんど女子学生だったのよ。学費とか一人暮らしの費用を捻出するためにやってる。高校生は本当はダメだけど」
(膣土方って言ったかコイツ……)
隆は円が喋っている言葉、身を置いている環境の悲惨さとは逆に、明るく振舞うその姿を見て、少し安心した気持ちにもなってしまった。円がパパ活に慣れていることに安心してしまった。そして安心した自分に、隆は自己嫌悪を覚えた。
(言葉通りに受け取っていいわけない)
「そうか。……わかった」
本当はここでわかってはいけないと、隆は思った。もっと別の解決策を探ろう。そう提案すべきだとも思った。
俺がなんとかしてやると言いたい。
けど。お金の問題は、隆では絶対に解決できない。そもそも隆もその問題を解決出来ていない。
さっきまで矢継ぎ早に喋っていた円の口が動いていない。顔を見ると、こちらを伺うような表情。
普段の円とは対極的な表情。
「あー、あと話は変わるけど、ほら。あれだ。あれ。円、お前に借りた歌劇に陰毛とか入りまくりだからな」
「あはははははは! ダル。話の流れガン無視か。急に何言ってるの? あーでも、どこにでも現れるわねアイツ」
隆の無理矢理ひねり出した冗談に、円は笑ってくれた。その日、初めて円が楽しそうに、笑ってくれた。
「お前がさんざんそんなこと言うから、歌劇読むのにすげぇ気を使った。そのせいでどこか面白さ半減だよ」
別の打開案を提示してあげるのが、正解なのはわかっている。円が笑ってくれてよかったと安心するのも違うと、隆はわかっていた。
でも隆だって、この問題については未だに悩みの種だった。
自分に出来ないことを、他人に強制することなど出来ない。
よくアニメとかマンガでの物語では、それでも主人公は問題をなんとかしてしまう展開になる。悩める仲間を助けることが出来る。
ただ隆にはこの問題をどうにかできる程の財力はないし、知恵も出ない。というよりも自分が、隆の家庭がこの問題に苦しんでいた。
だからせめて、円にはそれまで通りに接しようと、隆は自分に言い聞かせた。
その後、円が楽しめるであろう話題を、隆がとことん披露して小一時間。お茶はお開きとなった。
「それで、しばらくはバイトは忙しいか?」
「あー、ここで稼ぐのを最後頑張るって決めたから、もうちょっと時間かかるかもしれないね。でもここで踏ん張ればあとはレッスンに集中できる」
「そっか。次のレッスンは出てこれるか?」
「うん……」
円はちょっと躊躇いを見せつつ笑って、隆の問いに頷いてみせた。
「なぁ、円」
「え?」
「いや、なんでもない」
隆は言いかけて、辞める。
思いついたことをそのまま口にしたら、また問題をややこしくするだけかもしれないと、感じたから。
「じゃあね」
「ああ。送らないで大丈夫か? あ、あとこのドーナッツ食ってくれよ。手土産で買ったんだよ」
隆は手土産のドーナツをそのまま渡す。円に渡せなかったら、母親へのプレゼントにすればいいかと思っていたが、本来の役割を果たせることが出来て、隆は嬉しくなる。
「ありがとう。大丈夫。あと喜んで食べるよ。アンタのチョイス気になるわ。フレンチクルーラーだけとかないわよね?」
「黄色一色のドーナツ箱なんて見たことないわ」
冗談交じりのやり取りに円は笑って、ドーナツが入った箱を持ちながら、小さく手を振って家へ帰っていった。
隆は帰り道、思いっきり自転車を漕いで、足が辛くする。呼吸を無理やり乱す。余計なことを考えないように、それだけを考えられるようにして、家に帰った。




