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 雨が止まない陰鬱な陽気。レッスン後、隆は先生に呼びだされる。

(何か、やらかしたかな)

 日頃の行いから、呼び出されるとつい怒られると思ってしまい、ビクビクしてしまう。円との一件もあるため、隆には身に覚えがありすぎる。

自分なりに何も悪いことをしていないとは思っているが、円とトラブルを起こし。それを咎められるかと、心配になりながら先生のところへ向かった。

「何で腰が引けてんのよ」

 先生は理解できないとばかりに、居心地が悪そうな隆を見ていた。

「いやそんなつもりはないんですが」

(何もやっていないわけではないが、俺は無実だ。安心しろ俺)

 言葉とは裏腹に、何を言われるかと身構える隆。先生にしっかりと見つめられ、よし来いと、気持ちをしっかりと整えた。

「あんた、この一カ月、頑張ったわね」

 だが先生は隆にこれまで見せたことがない、満面の笑顔を向けた。

「へ?」

 隆は目を白黒とさせる。想定外な事態に一瞬、隆の思考が止まる。

「正直言うと、あんた絶対、途中で音を上げるかと思ってたわ。あんたに対する生徒の反応、最悪だったからね。特に円」

 普段の授業の時とは違いすぎる。あまりにも晴れやかな先生の表情だった。

(鬼にも笑顔というか、何と言うか)

「あの子がみんなのリーダーみたいな立ち位置だから、あそこに嫌われるとキツイわよ。円はここ1年、親御さんに負担をかけてるし、本当に人生かけているからね。そんな状況にも関わらず、めげずによくやってきたわ」

 褒められているのはわかってはいるが、隆は頬を歪ませる。

「知ってたら助けて下さいよ」

 結果的になんとかなったからいいのだが、結構キツかった。生徒が困っている状況をあえて放置しているのは、教師としてどうなんだと、隆は先生を問い詰めたかった。

「当たり強かったですよ。円は。でも最近、本当にうっすい会話ですけど、話すようになりました。元々の根はいいヤツですからね」

「うんうん。関心ね。まぁ、アンタの覚悟を試したのよ。この程度で折れるようならば、さっさと大学受験をした方がいいからね」

 先生は嬉しそうに隆の言葉に頷く。そして表情を真剣な表情に一変させる。

「念のため、もう一度聞くけど、隆は本気で受けるのよね? 宝塚音楽学校に」

 そしてしっかりと覚悟を問いかけるように、隆を見た。

「男とか女とか関係ないと思って、本気で宝塚の舞台に出ようと思っているのよね?」

 あらためての意思確認。しかし隆の答えは決まっていた。

「はい。そのつもりです。だからこれ、受け取ってもらえます?」

 そう言って、隆は一カ月前には受け取ってもらえなかった、若干くしゃくしゃになった月謝が入った袋を、両手で差し出した。

これを受け取らせるために大分苦労したが、ようやくそれも終わる。

 先生は立ち上がり、両手で隆からの封筒を真剣な表情で受け取った。

「確かに受け取りました。一か月間お疲れさまでした」

 そう言って、頭を下げた。

受け取ってもらえたことに、隆の顔がだらしなく崩れる。

 お金を払って喜ぶのはどうかと隆も思うが、嬉しいのだからしょうがない。

(顔の緩みが止まらん)

 達成感もそうだが、自分の宝塚への思いを、やっと認められた、隆はそんな気持ちになった。

 先生はまた満面の笑みを見せる。

「わかったわ。任せなさい。無謀に挑戦する話って、実は私、嫌いじゃないのよ」

 そして先生は力強く頷いた。

「男のアンタが羽根を背負って、大階段で堂々と踊っている姿、ちょっと見たいと不覚ながら思ってしまったわ」

 先生のその一言に、隆はさらに表情が崩れる。笑顔がより濃くなる。

 これまで宝塚を目指してきて、一番嬉しかった。

「ただ!」

 先生はそれまでとは一変して、鋭い声を上げた。

「もし辞めたくなったら、早めに言って頂戴。アンタの行動次第で、来年アタシの教室は閉めるかもしれないわ」

 言葉の内容に、隆の顔つきが強張る。

 教室を閉めるとはどういうことか、理解出来なかった。先生の表情は、冗談を言っているような顔ではない。

 隆の行いによっては、円が熱心に通っている、この教室自体を辞めなければならなくなる。

「……わかりました」

 ただ、わからないなりに、事の重大さだけを隆は自分に覚え込ませる。

「うん。脅すようなこと言って、悪かった。でもあんたの行動は、それだけ多くのことを巻き込んでいる。それは頭に入れておいて」

「はい」



 そんなことがあり、隆はますます夢中になってレッスンに打ち込む。

 先生も隆の意欲に、全力で応えてくれたと、隆は思う。

 そして季節はあっという間に、夏になった。

 授業の時間も、夏休み用の時間をたっぷり使ったレッスンをするようになり、隆も少しずつ練習に慣れてきた。

 それに迷走していた、レッスンの方向性がついた。

 男が宝塚を受験すること自体初めて。

 つまりどういうことを重視されるのかが、さっぱりわからない。対策を打ちようがない。だから何を練習したらいいか、わからなかった。

 ただここに来て、練習は隆自身の強みを活かすという方針に決まった。

 バレエは無理に女性の動きを上手くするのではなく、男性のバレリーナの良さをする動きを。

 声楽はカウンターテナーという、言ってしまえば、裏声で歌える技術を得て、歌うことにした。

 わかりやすく例えるなら、国民的有名なアニメ映画の主題歌を、このカウンターテナーで歌う歌手が担当したことで、有名になった。

 別に低音声域バスが、隆に合っているならばそうしたのだが、隆自身この歌い方がそれなりに得意ということもあり、それで勝負してみようということになった。

 受験時点で別に完成していなくてもよい。宝塚の受験では、伸びしろも期待して生徒を募集する。

 可能性勝負という部分もあるので、隆は先生と相談して、そこにかけてみることした。

 方向性が決まれば、ひたすら努力をするだけだった。それが隆にはとても有難かった。迷うことが無いから。

 また面接対策もするようになる。

 短い時間でどれだけ自分を他者と差別化し、アピールできるかを徹底的に考えてみたりした。

 夏休み中は学校の授業が無い分、宝塚のことだけに集中しやすい。

(テストとかに気を取られなくていいしな)

 学校に通っていると、定期テストやら何やらなんだかんだで、勉強のことも気にしてないといけない。

 宝塚受験一色の夏休みだった。

「隆」

「なに?」

 午前中に行われる授業が終わった後、円が腕を組みながら、話しかけてきた。

「ファミレス奢ってやるわ」

「なんで?」

 隆としては、奢られる覚えがない。

「この間の手打ちよ」

「ヤクザかお前」

 言い回しが、JKの風上にも置けない。

 円もそうだが、段々と教室の女の子たちと、打ち解けることが出来ていると思う。

 ただ練習後に自分を誘ってきたことに、隆は少し驚いた。あくまで一緒の空間を過ごすうえで、お互いやりやすい関係程度を求められていると思っていた。

「特に予定ないから、別にいいけど……。あと無理すんな。逆に奢る。でもサイゼな」

「あんたに奢られるのも嫌」

「じゃあ、割り勘な」

 そんなやり取りをした後、駅前のファミレス。隆の向かい奥に円が座っている。

 円は自分のペースで、ブラックのコーヒーを飲んでいた。

 隆も円のことを、特に気にすることなく、ミラノ風ドリアとペペロンチーノを食べていた。

「アンタ。ダイエットとかいいの?」

 円は隆の食べっぷりに、呆れたように呟く。

 宝塚受験にダイエットはつきものである。何故なら自分のスタイルも重要な審査項目となるからだ。

「あぁ。動いた分腹が減るしな。それにな。俺、ちゃんと毎日体重管理してんだ。夕飯は調整するよ」

「夕ご飯も食べるの?」

 円は隆の言葉に、驚いたように呟く。これだけ昼を食べているのに、まだ食べるのかと言いたげだった。

「ダイエットはしなければならないが、摂生すると俺は体力が持たないからな。ただこの食事は野菜とか無くて、炭水化物と油分が大目だから、調整はしようかなとは思うけど」

「ふーん」

「円は調整中か? 目の前で食うのは悪いとは思ったが、久しぶりのサイゼリヤの誘惑に抗えなくてな。すまんな」

「……いや。余計な気づかいよ。今日は朝ご飯食べ過ぎて、お腹が空いていないだけ」

 アタシ、ヒくほど朝ご飯しっかり食べるのよねと、呟く円に隆のスプーンの動きが少し鈍くなった。ダイエットを気にしているのだろうか。

 隆は円の姿を見る。

 円はジーンズに白いシャツと、今は脱いでいるがキャップをかぶっていた

 また髪の長さは胸元まで届くくらいの長さだった。お団子の髪型を作るにはそれくらいないといけないらしい。

 隆はバレエの時の姿しか見ていないので、円の普段の髪型は初めて見た。

 世間一般では痩せている部類に入るだろう。ただ宝塚受験では、それだけでは駄目だ。

 自分が最も美しいスタイルを受験の際に、見せられるようにしていなければならない。場合によっては太ることも必要となる。

「隆、いやらしい目でジロジロ見てるんじゃない」

 隆自身気がつかないうちにそんな目をしていたのが、気がつかなかった。

「あー、すまん。そんなつもりはない。体型の話になったから、つい」

 確かに男の値踏みするような視線は、女性にとって気持ちのいいものではないだろうと、隆は慌てて愛想笑いを浮かべて円に謝る。

 胸元をジロジロ見て、手で隠されたことを思い出した。自分で自分を笑った。

「もうちょっと動揺しなさいよ」

「童貞臭さが出るのもな」

 そう言って隆は笑いながら、ドリアとスパゲッティを食べ始める。

「あんた手慣れてるわねー。彼女とかはいるの?」

(出たこの手の話)

 円もコーヒーばかり飲むのも、手持無沙汰になっていたようだ。

「女の子は好きだよなぁ。そうゆう話題」

 隆はうんざりとばかりに、表情を歪めた。興味があるのはわかるが、一緒に盛り上がれない話題だなと隆は思う。

「酷な質問なのは認めるわ。この10代逆張りガチ勢には彼女なんていないでしょ」

 円はニヤニヤと笑いながら、隆に絡んだ。

「逆張りは認めるけどな。やめろ。いたよ彼女。この見た目通り、俺結構モテるんだぞ」

 隆は歪めた表情からキラリと笑って見せる。

「いたよ? 今は?」

 しかし円は追撃をかける。

「……別れた」

「ダル。言い訳ダル。それっていったい、いつの事? むかーし、むかし?」

 円は隆の言うことははなから信じていないと、日本昔話みたいだろ、言わんばかりな態度だった。

「そんな昔じゃねぇ。伝説みたいに言うな。三か月前くらいはいたんだよ。それ以前も彼女がいなかった期間の方が短いくらいだ。こういっちゃあなんだか、俺はあまり恋愛関係で苦労したことはない!」

 黙っていれば見た目がいい隆なので、それなりに女性から声をかけられる。中学の時に、何が何だかわからないままに童貞を喪失してこともあるくらいだ。

「そこまで言うなら、お前はいるんだろうな円?」

 いいようにやられているので、隆は反撃を試みた。

「いないわよ。そんな暇ないもの。……でもうざいくらい告白はされるわよ。夏休み入る前もそれはそれは、わんこそばみたいに、呼び出されまして。ダルかったわー。ラインでの告白とかも含めれば、結構な件数よ。あんたは夏休み前に呼び出された?」

 円はまるでその気になれば、すぐでも作れると自信ありげに隆を見た。

「あー、うざいうざいうざいうざい。もう、お前喋んな」

「私は宝塚音楽学校の入学資格を満たしているからね」

 円は腕を組んで、隆をやり込めたことが嬉しかったのか、満足げに笑った。

 それは自分が容姿端麗だと言いたいのかと、隆は歯をむき出しにしながら、円を見た。

「もう入学要項で容姿云々はなくなったからな」

「それでも重要な項目よ。ちなみにその彼女さんと、なんで別れちゃったの?」

「あーと、それはだな」

「変な性癖? 目ん玉舐めさせてくれ(キリッ)、全身ピチピチのゴムの衣装着てくれ(キリッ)」

「なんでいちいちキメ顔で言っているんだよ。あと性癖でもかなりマニアックな例えヒくわ。すみれコード違反!」

 ただ隆は円につっかかられても、そんな悪い気はしなかった。

 塾では隆は喋る相手がいない。なんだかんだで変人枠。みんな距離を置いて、付き合っている。

 隆が一方的に弄られる形とはいえ、なんだか仲良くなったみたいで、隆は会話出来ることが少し嬉しくなっていた。

「自然消滅だよ。俺が男なのに宝塚受験を考える変人だって匂わせたら、あからさまに距離を置かれた。まぁ、彼女の気持ちはわかる。大学受験すっぽかして、宝塚受験するような逆張り男、傍から見れば頭がおかしい彼氏がいるなんて、恥ずかしくてしょうがないだろ。だからしょうがない」

「あー、なるほどね」

 円は頬杖をつきながら、わからないでもないと納得している。

「まぁ、自分の彼氏が同じクラスで変人扱いだったら、自分だって、変人扱いされるからね」

 隆は慣れたとはいえ、変人扱いに人知れずに傷つく。

「円の例えはとても遺憾だが、その通りだ。それで辛い思いをさせて、罪悪感を抱くなら、いっそ別れた方がこっちも精神的に安定するよ」

「そうねぇ…t円」

「まぁ、その時の彼女は、俺を体のいいアクセサリーとして使ってたからな。ブランドものからうんこに成り下がった俺を、アクセサリーとしては使わないだろ」

 会話が止まる。

 少し自虐が過ぎたのかもしれないと思い、隆は慌ててフォローの言葉を入れる。

「いやこっちはそれを承知でやってるからさ。もう俺は割り切っているわけよ。それに多かれ少なかれ、宝塚目指すなら我慢していることは、唯我独尊円だってあるだろ? 俺だけが辛い思いしているわけじゃないよ」

 宝塚は倍率10倍以上の狭き門。そこを目指すなら、何かを犠牲にしたり、我慢しなければならないことはあるだろう。

 関係者に『お母さん、よくぞ産んでくださった』と宝塚音楽学校関係者に言わしめ、史上最速でトップスターに成り上がった天海祐希のような天才であれば、努力しないでもなんとかなるかもしれないが、ここにいる二人はそんな才能は多分ない。

「当たり前よ。こっちは花の高校三年間を、ひたすらレッスンに全部ぶっこんできたわ。学食で周りの子が甘いものを食べているのに我慢したり、草だけのお弁当食べたりした」

(草とか。表現が男らしすぎるだろ)

「放課後とかもほとんど遊べないし。まぁ私母子家庭でお金ないからそんな遊べないけど。そんなお金あったらレッスン代とか合宿代とかにぶち込んでいるけど。それはともかく、あと何より! 何回も告白されたけど、その都度、彼氏はいらないって、断ってきたのよ。中には将来性有望な、いいかもって思った相手もいたんだから」

 自信ありげに答える円。

「そうだな草のお弁当でしのいだり、夏休みにこうやって、レッスンに来ているだけで、俺は偉いと思うぞ。あと今度俺に歌劇を貸してくれる、ともっと偉い」

 歌劇とは、宝塚歌劇団が発行する雑誌のことである。

 隆は貧乏で毎月買えないが、円だったらは毎月買っていると、隆は勝手に推測していた。ちゃっかり、お願いする。

「あんたに貸すと、陰毛とか本の間に挟みそうだから嫌だ」

「偏見。まぁ、何が言いたいかというと、こんな辛い思いを俺らはしてるんだ。これで宝塚受からなければマジでもったいないじゃないか。なぁ円先輩?」

「そうね。そこは同意ね」

 円は隆の同意に、鷹揚に頷いた。

「ただあんたのことは正直気に食わないし、お茶を歌劇にぶっかけたりするから貸したりしないけど」

「信用無いな俺」

「私はあの舞台に憧れて、ここまで頑張ってきたのよ。代償にイイ男振ってきたのよ。だったら受からなければならないじゃない。受かるわ。受かって見せるわ」

「ドリンクバーのカップ割れるぞ。ただ、そうだな。俺も同意だな」

 円はファミレスの大量生産のカップなどすぐに割れてしまいそうなくらいの力を込めているように見えた。円の想いを握力に変換しているようだった。

「あ。せっかくだから、一個聞いていいか?」

 会話が終わり、少し沈黙が流れたので、隆は前から聞いてみたかったことを聞いてみる。

「なによ?」

「願書写真撮り終えたのか?」

 かなり先の話だが、年末が近くなってくると、宝塚受験の願書を準備する時期となる。

 願書は十月に発売となり、締め切りは来年の一月いっぱいまでとなる。この時期から準備をする必要はないが、対策しておくことに越したことはない。

 容姿端麗を入学条件とする宝塚らしく、願書写真はそれなりのクオリティのものを提出しなければならないし。

 ポイントとしては三点。服装、髪型、ポーズ(スタイル)である。

「私はスタイルには自信があるから、レオタードね」

 写真の服装はレオタード、ワンピース、制服が多いらしい。

 ただ願書写真では、スタイルの良さをアピールしなければならないので、ダボついている制服などはよくない。

「じゃあ、髪型もお団子かぁ」

「まぁ、それが無難じゃない。というよりも如何に足を1センチでも長く見せるか、ウェストをいかに細く見えさせるか、それを活かすポーズの方が重要になってくるかと思うわよ」

 円は経験に裏打ちされたアドバイスをしてくれた。何回か受験をしている経験は伊達ではないようだ。

「そっか。俺の場合、前例がないからな。どうやっていいのか、よくわからなくてな」

「先生はなんて言っているの?」

「先生はまず自分で考えなさい、って言うんだよ。簡単に答えを教えてくれないんだよな」

 日頃からそうだが、隆の質問に先生は安易に答えを与えてくれない。

「円は男役志望か? それとも娘役志望なのか?」

 宝塚の役者は大きく分けて二つある。劇中で男を専門にこなす役者、男役と、ヒロインやら女性役を専門にこなす、娘役だ。一般的には男役の方が人気が高い。

「アタシは男役。どうせならこの身長を活かしたいからね」

 円は女性にしては、身長が高い。隆と同じくらいの身長で、ちょっと底がある靴を履いたとしたら、むしろ隆よりも身長が高い。

「で、隆は?」

「なんで俺の時は、義務的なんだよ」

 話の流れ上、しょうがないから聞くという感じが満々だった。

「うーん。まだ特には決まっていないけど、一回、娘役やってみたいな」

「はぁ!?」

 円は呆然と隆を見たあと。

「え……、そっちの人だから宝塚目指したの?」

「ちげーわ!」

 円は誤解した感じで聞いてきた。

「単純に両方ともやってみたいんだよ。男役も娘役も」

 隆はそんな誤解をされるとは思ってもみなかった。自分の顔が赤くなっているような気がしていた。

 円は少し悩むと、

「まぁ、どっち選んでもいいけど、アンタの場合は、圧倒的に有利なのは男役だと思うわよ。あとで役柄を変更できたりするから、とりあえず男役で受かって、後から変えるとかでもいいんじゃない?」

 円は、隆の目をまっすぐ見て、助言をしてくれた。

「あ。円ちゃん。ちゃんとアドバイスしてくれるんですね」

「隆……! アンタ……!」


 それから二人はしばらく、普通の年頃の友達として、二時間くらい喋り続けていた。

 何気ないことであったが、隆にはそれが物凄く楽しかった。



 レッスンに明け暮れた結果、あっという間に夏休みが終わり、学校が始まった。

 隆は変わらず、宝塚受験の為、努力を続けていたが、学校ではどこか雰囲気が変わっていた。

 大学受験である。

 秋になって、隆の周りの話題は勉強やら、大学の話題が多くなり、誰もが模試の結果に一喜一憂していた。

 隆の学校は進学校のため、全ての生徒が受験するのが当然な雰囲気となっている。どこもかしこも勉強の話題ばかりだ。

 その中で周りと全く違うことをしている、話題にまったく入り込めない隆は、人知れず気持ちを落ち込ませていた。

(自分の気持ちが、こんなに周りに影響されるなんて、思ってなかった)

 付き合っていた彼女と別れる際に、自分は宝塚を受けると決心したつもりだった。揺るぎない目標を立てたつもりだった。

 決心しただけではない。実際に行動もしてきた。

 親を説得し、アドバイスを貰い、宝塚受験のための塾に通い、時間を宝塚に費やしてきた。

 覚悟はしていた。

 自分が、逆走といってもいいような日々を送っていることは百も承知だった。

 けど辛い。隆は自分だけが、周りに取り残された気持ちになってしまっていた。

 親しい友達には、自分の進路を一切言っていない。

 演劇系の専門学校に通うと言っている。

 正直に言ったとしたら、冷やかされるのは目に見えている。だったら、最初から言わない。

 隆は勉強が出来る。でも現状はそこまで力をいれていない。宝塚受験の方に力を入れている。周りはどんどん学力を上げている。クラスの中でも上位だった、自分の学力が相対的に下がっている事実。

 その事実も、知らない間に隆を追い詰めていた。

(いや俺は宝塚を受けると決めたんだろ)

 もう一度、自分の心を決める。

 男が宝塚を目指すことが、既に道として定まったものだったら、隆も受験ムードに影響されることは、最小限に抑えられていただろう。

 だが隆が選んだ道は、誰も通ったこともない未知の進路だった。

 落ちるのが当たり前。合格する確率の方が低い。面接にすらいかない。書類選考だけで落とされるのが当然。

 そんな確率が低いことに対して、隆はなんの保証もなく、人生で大切な時間を賭けている。

 心の底では、今からでも受験勉強した方がいいのでは? まだ間に合うのではないか。そもそも無理なのでは、という思いが渦巻いていた。

 だから必死に、自分は間違っていないという思いにしがみついて、隆は周りの受験ムードに気を取られないように自分を保っていた。

 ただあれだけ悩んだ自分の決意は、この程度で揺らいでしまうという事実にも、隆は動揺を隠せなかった。

(自分は不退転の覚悟を決めたつもりだったが、口だけだったのかもしれない)

「聞いてくれよ。俺この間の模試A判定だったんだよ」

「マジかよ。いいなぁ」

「なぁ、お前の参考書貸してくんない? というか予備校どこ行ってんだよ」

 加速度的に学校での話題は、受験が中心となっていく。

 隆は話題のほとんどに乗れないが、ニコニコと笑って、相槌をし、ツッコミを入れ、適当に会話をつないでいく。

 学食で食事をしながら、会話をやり流す。

 隆の友達はクラスでも、流行に敏感な層で、目立つようなグループ。

 学食ですれ違った女の子たちとも、気楽に話しでしまう、なんなら一緒に食事をしてしまうような、俗に言う陽キャなグループだ。

 ただ隆は最近、このグループにいても、話題が合わず、つまらなくなってきたなと、思い始めていた。それも当然、話題が合わないから。

 だから隆は波風を立てないように、笑って過ごすだけだった。今更別のグループと友達付き合いするのも面倒くさい。どうせ後半年くらいの付き合いだ。

 友達付き合いを求めるなら学校ではなく、同じ悩みを共有する円と喋っている方が、よっぽど楽しかった。

(ファミレスで円と話している時、楽しかったな)

 自分を偽ることなく、喋れることがあんなに楽しかったとは思わなかった。

「なんだ隆。しけた顔してんな」

「ん? そんな顔してる? 沼すぎる俺が?」

 グループ内での視線が隆に集まる。

 せめて面白い返しをしたいが、まったく面白くない返しをしていることが、隆自身でもわかった。

 しかし最近はこんな返ししか、思いつかなかった。

「いや俺ら、この間、最近隆の元気がないなって、話をしていたんだよ」

「あー、すまんな、心配かけて。でも大丈夫だから。結構元気にやっているよ」

「そっか」

 そこで会話が止まった。

 隆は何となく、嫌な予感を感じた。

 お互い探っている空気。ニヤニヤとした嘲笑も交えた嫌な感じ。

 隆を追い詰めようとしているのが、なんとなく理解出来る。

「なぁ隆」

「なんだ?」

 どんな話題を振られるのか、隆は笑って待ち構える。

「噂が流れてるんだけどさ」

「なんだよ?」

「お前男なのに、宝塚受けるって、本当?」

 目の前のヤツは笑いをこらえるように、ニヤつきながら、隆に質問してきた。

 他の友達からも、視線を受ける。

 ニヤニヤと嫌な感じだった。

 どう控えめに表現しても、その笑顔は隆に対する嘲笑だった。

 隆の顔から血が引くような、一瞬で体中の熱が全て無くなるような気分がした。

(バレた)

 隆は自分の進路は、役者系の専門学校に行くと、周りに話をしていた。

 そうしないと、クラスでも弄られてしまうから。

 変人扱いされてしまうから。

 これまでクラスで中心人物だったのが、変態扱いされる。

 一気にクラスの中の立ち位置が、転げ落ちるように無くなってしまう。

 これまで築き上げてきた、自分のクラスでの立ち位置が、カーストが、転がり落ちて悪くなってしまうことが、隆はとてつもなく恐ろしかった。

「……なんだよその噂。男の俺が宝塚なんか入れるわけねーだろ」

 だから隆は嘘をついた。

口の中がカラカラに乾いている。

男の俺が宝塚なんか入れるわけない。そう誤魔化した。

 あれだけ悩んで、色々な人に相談した隆の決意とは、正反対な言葉を口にしてしまった。

嘘をついてしまった。宝塚に受験しないと公言してしまった。

 嘘も方便と言う台詞がある。

 嘘をついて、隆にとって特になるならそれでいいはずだ。別に誰にも迷惑をかけていない。

 ただそれは、隆があれだけ悩んで決心したことを、貶めることに思えてならない。そう隆は思ってしまった。

 浮かべている表情の気持ちとは反比例するように、隆の気持ちが沈んでいく。

「だよなぁ」

「なんだよ。ガセかよ」

 友達もつまらなそうな顔をして、その話題は一瞬にして終わった。友人一同は、あからさまに残念そうにしていた。

(これか。常識から外れる奴を、弄れる。痛ぶれる。それは楽しいよな)

 受験で疲れ切っていたところを、クラスの人気者の醜聞という、丁度いいゴシップがあったのだ。

 そのゴシップで憂さを晴らしたいという心境だったのだろう。それが不発に終わった。だからガッカリしているのだろう。

 そして、晴らされるはずだった憂さは、隆が大事にしているものに向けられた。

「宝塚なんて、だいたい今どきあんなミュージカルにハマるやつって変わってんだよ」

「だよなぁ。今時舞台とか、古典的すぎる」

「それな。羽とか背負っているとか、意味がわからん」

 昼休みの話題は、宝塚を全員でディスる流れに変わった。不発に終わった不満が、隆の代わりに宝塚へぶつけられる。

 自分の身を守るがために、隆の大事なものが、貶められる展開に変わっていった。

 円や先生があんなに大切にしているものを、何も知らないヤツラ汚物をぶつけられている。

あの場に立つために、どれだけ苦労して努力しているか、何もわかってないヤツらに。

 そして隆は、ただそれを傍観するだけ。

馬鹿にされていることに何も言えない。それどころか自分も馬鹿にしなければならない。助けることもしない。

自分の身を守るために、宝塚を、大事にしているものを身代わりにした。

(頼む。早く終わってくれ)

 昼休みをこんなに早く終われ、と思ったことは初めてだった。

 隆の目の前が、暗くなっていくような気になった。

 そして何より、自分に愕然としたのが、

(俺は未だに、男が宝塚受験をすることが、恥ずかしいと思っているのか)

 これまでの努力、応援してくれた人、助け合った人たち全てを裏切った。そんな気持ちになってしまった。

 円の笑顔が隆の頭から離れなかった。

 食事が終わった後、隆は友達たちと別れ、一人でトイレに向かっていた。

 吐きそうだったし、一人になって、気持ちの整理をつけたかったからだ。

「隆、ちょっと待ってくれ」

 その呼びかけに振り向くと、昼を一緒に食べた友達のうちの一人、西川がいた。

 ニヤニヤした笑いが、鼻につく。

「どうした? 連れションする?」

 疲れながらも、冗談を交えて、会話を振るが、それに対して西川は何も言わなかった。

 西川はニヤニヤしながら、隆を見るだけ。

「俺、漏れそうなんだけど、どうした? なんか用事か?」

 隆は呼び止めただけで、一向に話そうとしない西川に痺れを切らして、こちらから話しかける。

「隆さぁ、宝塚目指してないって、本当なのか?」

「なに?」

「もう一度言うけど、宝塚目指してないって、本当なのか?」

 その話はさっき、隆が否定して終わったはずなのに、西川はまた蒸し返してきた。

「いやさっき話したろ。俺は演劇の専門学校に行くって」

「本当か?」

「しつけーって」

 隆は西川を無視して、トイレに入る。

 小便器の前で、用を足そうとすると、隣に西川が並んで用を足そうとする。

「あのさ」

 まだニヤニヤしながら、西川は隆を見ている。

 用を足しながら、横を見てニヤニヤするのは傍から見れば、かなりヤバいのではないかと隆は思った。

「実は俺、隆の元カノと今、付き合ってるんだよね」

 囁くように伝えてくる。

 隆の顔が一瞬、強張る。

「そっか。おめでとう。アイツ、良いヤツだから、彼氏彼女は楽しいと思うぞ」

 隆は強張った表情をすぐに笑顔に変えて、そつなくお祝いを言えたと思えた。

「で、聞いたんだよ。なんで隆と別れたの?って」

 お祝いの言葉には、何も言わない。

 西川はそれはそれは楽しそうに、喋っていた。

「そうしたら隆が大真面目な顔で、俺宝塚音楽学校を受けようと思っている。って言われたと。で彼女は固まっちゃったらしいんだけど、しばらくしてから」

 そこで西川は一呼吸おいて、

「ムリ!」

 囁き声の範囲内ではあるが、大きな声で隆の耳に響かせた。

「って、思ったからだって」

 隆はもう何も言わずに、そのまま洗面台に行き、手を洗う。

 西川もその後をついてくる。

「そりゃそうだよな。俺らは人生を左右する大学受験を控えた、受験生さまだぜ。そんなに頭が良くない俺の彼女も、受験に向けて勉強している。なのにその大事な時間を使って、男が宝塚受験かぁ。別れたくもなるよなー。しょうないよなー。無理ないよね」

 隆は勢いよく振り返って、西川を睨みつけた。

「お前に俺がそんなことを、言われる筋合いはない」

 隆の目には怒りが籠っていた。

 西川は隆の怒りもどこ吹く風といったところで、ヘラヘラと笑っていた。

 隆は大きくため息をつくと、

「もう授業が始まるから、どっか行けよ」

 西川はもう一度、笑顔を浮かべると、そうだなと言って、隆を置いて教室に向かい始めた。

「あ、そうだ」

 西川は隆の方を振り向いた。

「隆が、宝塚を目指していること、誰にも言わないから、安心してくれよ」

 そう言うと、西川は隆の前から消えていった。

 西川がいなくなって、しばらく隆は廊下を立ち尽くしていたが、

「あー、自分が嫌になる」

あれだけ固い決意をしたというのに。色々な人に協力して貰っているのに。

(俺は不退転のつもりだったが、実際はその程度の覚悟だったのか)

 自嘲して、隆は教室に戻っていった。


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