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 もうじき夕暮れとなる時間帯、制服を着た男女が二人してゆっくりと歩く。

 夏はまだ先とはいえ、太陽が照っている時間は、確実に伸び始める時期。

 放課後に男女二人で帰る。

 クラス替えをして、ほんの数日で新たに始まった二人の関係。

 お似合いの二人だと、よく言われる。

 見た目だけは、隆自身もそう思わないでもない。

 普通に過ごしているだけで、隆には女の子が自然に集まってきた。

 それなりの高さの背と、母親譲りの小さい顔と整った顔立ち、そして太らない体質。モデルとしてどう? と、声をかけられることもよくある。

 中学一年で女の先輩に、童貞を食われた。

 その先輩とはそれっきりだったが、それ以降も自然と女性が言い寄ってくる。

 だから隆は失恋のラブソングに、一切共感をしない人生を送ってきた。

 言い寄ってきた女性から、見た目の綺麗な女の子を選んで付き合っている。

 隣に歩いている子も、そんな隆の予選会を経て、選ばれた女の子だ。

 最低なことをしている自覚はある。自分自身、女の敵だと思う。

(でもこの女の子も、俺を体よくアクセサリーと使っているから)

 隣で笑う清純そうな彼女も、隆と付き合う前に、それなりに人気がある男、他校のバスケット部のキャプテンと付き合っていたと聞いている。

 フリーでいる期間、告白して、暇つぶしに付き合おうと言っていると、隆の女友達に教えてもらった。

 そんな事前情報を与えられていたが、隆は告白を受け入れた。

 お互い様だと、隆は思っていたから。

 暇つぶしだろうけど、自分を選んでくれたのだ。だったらそれに応えよう。割り切っている分むしろ気が楽だ。

 隆はその子に、それなりに楽しい時間を提供していると自負している。

 ホストと同じだ。対価を貰って、楽しい時間を提供する。一緒に居るときは、相手のことを思い、楽しくしようと心がけしているし、実際それなりに評判はいい。

 子供のころからしている習い事の影響か、隆は女の子の扱いに慣れている。彼女の気持ちをそれとなく察して、行動することが出来る。

 つまり利害の一致。そこにつきる。

「これ見て。とっても可愛いでしょ」

「おー、めっちゃ可愛いね。これ飼っているワンちゃん?」

 スマホの画面を見せてくる彼女に共感をし、肯定をし合うだけの会話。

 隆としては、別に嫌いではないし、会話を合わせることは出来る。

 ただここ最近は、こういった会話にとても疲れてしまう。

「「おぉー!」」

 目の前を歩いている三、四人の男だけの集団が急に騒ぎ出した。

 学校から駅に向かうこの道は、当然他の生徒たちも通る。

「ゲットー!」

「それを手に入れられたのはデカいな」

「こいつのチーム、かなり強くなったんじゃねぇ」

 騒いでいた男たちは、クラスメイトだった。

 クラスの中では目立たず、厄介なことがあると、押し付けられることが多い男たち。隆とは対極の立場。

 部活に入らず、かといって隆のように彼女を作らない。

(でも、とても楽しそうだな)

 疲れ始めている隆とは対照的に、全力で楽しそうにしている。クラスの立ち位置の問題は別として、自分の好きなことに楽しむ姿に、隆には羨ましく見えた。

「チッ」

 隆の隣から、苛立たし気な舌打ちが聞こえた。

 隆の彼女が顔を歪めていた。歪めた顔ですら整っているのが、隆には印象的だった。

「なんなの」

 彼女のつぶやきが聞こえたのだろうか、前に歩いている男たちが静まり返る。

 彼女としては、騒ぎまくっている男がいることが、目障りだったのだろうか。

 なんとなく空気を察したのか、前に座っていた男たちは、帰る足を速くして、足早に去っていった。

 隆達は対照的にゆっくりと歩いて、駅まで近づいていく。

 会話が弾まなくなっていた。

「ねぇ」

 彼女は隆をまっすぐと見てきた。

「なに?」

 隆は先ほどの彼女の不機嫌な様子には毛ほど触れずに、優しく笑って、彼女を見返す。

 彼女は隆の笑みに、恥ずかしそうに微笑んで、

「今日……、親帰ってくるの、遅いんだ。うち、来ない?」

 隆は何も言わずに、彼女を見つめ続けた。

 その言葉が意味するものはわかる。

 普段だったら、二つ返事で誘いを受けていただろう。

 会話は楽しくないが、この誘いに乗れば、会話を必要としない楽しいことが出来る。

 それに女の子に恥をかかせてはいけない。大切にしないといけない。断ったら彼女が可哀そうだ。

 これまでだったら、何の疑いも持たずに誘いに乗っていただろう。ただこの日は違った。

「さっき前を歩いていた奴ら、楽しそうだったよな」

「え?」

 彼女から恥じらいの表情が消えて、眉毛が下がる。

「クラス替えして、二週間くらいしか経っていない。クラスでは既に舐められている扱いのヤツらが、なんであんな楽しそうなんだろうな」

「え? うーん、キショい趣味があるんじゃない?」

 キショい趣味。

 彼女が言わんとしていることは、可愛い女の子のキャラクターが良く出てくる、よくわからないルールのスマホゲーム。

「でもさ。ワイワイしてて、本当に楽しそうだったよな」

 隆は彼女から視線を外し、笑って答える。純粋に羨ましいと思うくらいだった。

 クラスの連中からは、さっきのヤツらより、自分の方が恵まれているように見えるだろう。陽キャと陰キャの違いという奴だ。

 間違ってはいないと隆は思う。

 ただ見方を変えて考えたら、本当に自分が好きなことに打ち込めているヤツと、世間一般では楽しいとされていることをとりあえずやっているヤツ、どちらが幸せなのだろうか?

「まぁ、そうかもしれないけど」

 彼女はしぶしぶと言った感じで、隆が言っていることを認める。

「隆くん」

 彼女はさっきから話が通じない隆に、これまで見せてこなかった表情をさせながら、隆の顔を見てくる。

「どうしたの? あいつらカードゲームとか学校に持ち込んでやっている奴等だよ? 隆くんが気に掛ける必要ないんじゃないかな。マジで終わってる趣味をしているというか。というか、そうじゃなくて今日アタシの家に」

「ねぇ、例えばの話だけど、男だけど宝塚音楽学校に入りたいって言っているヤツがいたら、どうする?」

 彼女の言葉を遮るように、隆は足を止めた。

「は?」

 彼女の動きも止まる。

 宝塚音楽学校。

 東の東大、西の宝塚とも言われるほど狭き門。

 東大と違うのは、学業だけで入学できる場所ではないこと。

 演劇で食べていけるような技量を持てる、ないし持てるようにならなければならない場所。入学要綱に容姿端麗であることが条件として書かれている学校。

「そいつはさ、小っちゃい頃に親に連れてかれてさ、宝塚を劇場まで見に行ったことがあるんだ。感激したらしいよ。こんな世界があるんだと。子供だからさ。もう一発で、この世界の登場人物になりたいと思ったよ。でもソイツ、男なんだよ。すぐに無理だとわかったようだけどね」

 そしてなにより女子であること。

 それが最低条件。当然ながら隆の性別は男。逆立ちしたって、入学なんて出来ない。

「ソイツの学校生活、凄く上手くいっているんだ。それなりの高校に入って、スポーツもそれなりに出来て、彼女だっている。多分このまま勉強すれば、浪人しないで志望校には入れるだろう。でも周りにカミングアウトしたら、それまで自分が築きあげた全てを失うのを怖がっている」

 高校三年生になって、受験も視野に入ってくる。進路について、否が応でも考えなければいけない時期。

 宝塚の受験は、高校三年生まで。

「器が小っちゃいよな。ただソイツは男だけど、宝塚が死ぬほど好きなんだ。大学受験諦めて、宝塚受験しようと思っているんだ。そんな男どう思う? キモイと思うかな?」

 隆はもしかしたら、彼女という役割をこなしているなら、自分を肯定してくれるかもという思いを込めて、問いかけた。

「は? え? え……」

 彼女は立ちすくんで、隆を呆然と見ている。

 たっぷりと十秒くらい待ったが、何も言ってくれなかった。

 彼女は、理解できないものを見るように、隆を見ていた。

「そうだよな。そんなヤツ、キモイよな」

 隆はわかっていると、自分自身を笑った。

 それが世間一般の反応なのは、わかっていた。だから悩んでいた。何度も諦めようと思った。

「ごめん。俺、これから用事が出来た」

 そう言って、隆は一人で駅まで向かう。

(俺はオタクたちが、周りの理解が得られないことを全力に打ち込めることが、羨ましいんだ)

 迷っていた自分。踏み出す踏ん切りがついた。

 隆は、家とはまったく違う方向の電車に乗り込んだ。



 そのまま隆は自分が宝塚音楽学校に入る確率を少しでも上げるために、宝塚受験専門の私塾に来ていた。

 もう受験まで時間が無い。なるべく効率的に、自分をレベルアップさせる必要がある。ならば専門家に話を聞くのが一番だ。

「えーと、もう一度聞くけど、あなた男性だよね?」

「はい」

 年配の女性、この塾の責任者を務めるであろう女性は、募集要項を見た? と言わんばかりに、隆にもう一度確認をしてくる。

 その当然の疑問に対して、隆ははっきりと理解しているとばかりに、大きな声で返事をする。

「念のために聞くけど、そういった特殊な事情というか、性的な問題か何かがあったりするのかな?」

 少し考えたあとに、年配の女性は改めて質問をしてきた。

「そうではありません。一般的な男に分類されると思います」

 隆は性的マイノリティに属するわけではなかった。

「そう……」

 年配の女性は目を閉じた。

 隆が、じれったく感じるような時間が過ぎたあと。

 年配の女性は、再度しっかりと隆の目を見て、隆の質問に回答をしてきた。

「悪いことは言わないから、辞めておきなさい」

 隆にとって、聞きたくない回答をしてきた。

「……何で、ですか?」

 予想は出来るが、理由を聞きたい。

 隆もしっかりと目を合わせながら、質問した。

 宝塚音楽学校は受験倍率20倍を超える狭き門の学校である。毎年40名ほどしか入学が許されない、合格するということだけを切り抜いたら、東大よりも難しい受験だ。

 なので少しでも合格率を上げるために、宝塚受験専門の塾のようなものが存在する。

 受験志望者はそこで、徹底的に対策をして、受験に挑むのが一般的であった。

 目の前の女性はこの塾の責任者で、長い間塾を経営しており、数々のトップスターたちを世に排出している。

 この辺りでは一番の塾と言ってもいいだろう。そのトップから受験を辞めるように忠告されている。

「男だからよ」

 年配の女性の回答に、そんなのはわかっていると言わんばかりに、隆は不満そうに見つめた。

「わかっていないわね」

 年配の女性は、隆の不満を鼻で笑う。

 なんでもかんでも情熱でなんとかできるほど、世の中は甘くないとでも言いたげだ。

 隆はざっくりと、年配の女性が伝えてこようとすることを予想した。

 そういった機微が、わからない年代ではなかった。

「色々と断る理由はあるけど、あなたは宝塚歌劇の伝統を甘く見ているわ。百年以上の歴史で、良くも悪くも宝塚は女の子の劇として、特化してきたわ。そこに男の子を入れるということをよく考えなさい」

 年配の女性は、理論立てて、しっかりと伝えてくる。

「ぱっと思いつく限りでは、校舎に手を入れなければならないわね。トイレとか更衣室とか、男性女性区別できるように改築なり増築、対策をしなければならない。まずここでお金がかかるわね。他には指導方法はどうするの? 今まで女の子向けの指導しかしていないのよ。そこでいきなり男を教えて下さいと言われて、はい教えますというわけにはいかないわ。ノウハウをどっから仕入れてくるの? 仮に、百歩譲ってそこまで上手くいったとして、あなたを劇にどうやって使うの? それに間違いなく、これまでのファンからは、反対を受けるでしょうね」

 そこで一旦声を止める。

 しっかりと隆に現実を理解させるように。

「だってそうでしょ? あなたも宝塚を志すならわかっているはずよね。宝塚の男役は男以上に男らしいわ。それは女が男を演じるために、100年以上技術を磨き上げてきたからこそ出来ることなのよ。いくら男だからって、そう簡単に男役が出来るとは思わないことね。『宝塚での男』を求めて、観客は舞台を見に来るの。別にカッコいい男を見に来ているわけではないのよ。あなたが舞台に出て、人気が出るのかしらね? それまで投資したお金を回収できるのかしらね?」

 年配の女性の表情が変わり、笑みを浮かべていた。隆が嫌悪感を抱くような笑みだった。

「ぱっと考える限りで、これだけ問題があるわ。男を舞台に出すことで、当然お金も普段の運用より余分にかかる。宝塚もお金を稼がないといけない。社員を養わなければならない。あなたを入学させることによって、それだけのお金を宝塚に落とせる自信はあるの? それをあなたは試験によって、説得しなければならない。あなたに、本当に、そんなことが出来るの?」

 隆は何も言い返すことが出来なかった。自分がそんな価値があるとは、自信をもって言えなかった。

 そして年配の女性は、隆に最後のダメ押しを入れてきた。

「それにあなた、高校三年生でしょ? この一年がどれほど自分の今後に重要かは理解しているわよね? 一年遊び惚けて、笑って済まされるような年代じゃないと思わない? 一生を棒に振るわよ」

 理路整然と、きっぱりと、隆が飽きらめることが出来るように。

「だから辞めときなさいと言ったの」

 隆は何も言い返せなかった。

 宝塚の事情までには考えが及ばなかったが、高校三年生の一年の時期の大切さは当然隆もわかっていた。

 これから、いい大学に入れるかどうかは、一生に関わる問題だ。

「それに宝塚って、過去男子部ってなかったわけじゃなかったのよ。あったのだけど、男は出すなって、ファンから嫌がられて、結局鳴かず飛ばずで解散したわ。期待された演者は劇にも出れず、小道具やら何やら雑用で終わってしまった」

 その事実はネットで検索して、隆も知ってはいた。しかし深く考えていなかった。

 強制的に深く考えさせられる。隆が挑戦していようとしていることは、もう既に試されて、しかもそれが駄目だった。

 別に隆が挑もうとしていることは、特別なことでもなんでもない。誰かが思いついて、試して、そして既に終わったこと。

 年配の女性ははそこで話を止めて、隆の顔を見た。

 隆は口を一文字にしっかりと結び、耐えるように年配の女性の言葉を受け入れいた。

「わかってますよ。自分がやろうとしていることは無謀で、誰から見ても滑稽で、貴重な時間を無駄に費やすだけだなんて」

 そんなことは知っている。

 この場に相談することすらも、本当は恥ずかしい。

 でもそれを承知で、やると決めたのだ。

 ここで挑戦しないで、しょうがないと、自分を諦めさせるには、宝塚への憧れは隆にとって大きすぎた。

 だからこそ自分の中で最善と思える、この教室に教えを請いに来たのだ。

「断るならそれでいいです。別の教室を探します。お時間をとってくれて、ありがとうございました」

 それだけ言って、立ち上がろうとする隆。

「これからどうするつもり?」

 年配の女性は、立ち上がった隆を呼び止める。

 中腰のまま、隆は年配の女性を見た。

 足と腕を組み、心なしか前のめりな姿勢で、まっすぐと隆の目を見ている。

「他の教室を探します」

「そこでも断られたら?」

「独学で挑みます。今ネットで受験対策を学べたりするの知ってます?」

 諦めろと説教を垂れるだけなら、ここに一秒もいる必要はない。淡々と次の一手を打たなければならない。

 隆はそう自分の中で結論を出した。

「ネットで教えてくれるの? 進んでいるわね。今って」

 責任者は、ふっと笑った。自然な笑みだった。

 そして組んだ足と腕を自然の状態に戻した。

「別に月謝を払ってくれれば、来てもらってかまわないわ」

 さっきとは正反対なことを言う。

 隆は目を見開いて、責任者を見る。

「お金を払ってくれるなら、男だったとしても、私のレッスンを受けることに文句はないわ。ただ」

「ただ?」

 隆への笑みは無くなり、表情が無くなっていた。

「まずご両親にしっかり説明しなさい。そこで応援してくれると許可を得たのなら、また話を聞きましょう」

「必要ですか?」

 大切なのは、自分の意志であって、親の意志など関係ないだろうと隆は考えていた。もちろん後で話はするが、事後承諾で構わないはずだ。

「あたりまえよ」

 年配の女性は表情を動かさず、真面目な顔で隆を見る

「あんた一人で出来ることなんて、たかが知れているわ。うぬぼれない方がいい。絶対親御さんの協力が必要となる。これは宝塚受験の最低条件よ。それが出来たら、授業に参加することを考えてもいいわ」

 自分の子供が大学受験そっちのけで、わけわからないことを言っている。

 親は困り果てるだろう。そんな姿を見ることになる。しかも隆が原因でだ。

「きっちりと母親の許可を得ています」

「お父さんの許可は?」

「うち母子家庭なんですよ」

 隆にとって、母親の存在は大きかった。打ち明けないことは、逆に言うと出来なかった。

 打ち明けるまでに、大分時間がかかったことや、打ち明けた時の母親の辛そうな顔を思い浮かべ、隆は憂鬱な気持ちになったのを思い出した。


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