第90話 解ける洗脳
バタフィー王子がやって来たのは、教会だった。
王都は完全とはいえないものの、円い形をしている。その中心点にあるのは、バタフィー王子の住む城ではなく教会なのだ。
その理由は、王都を守る結界にあった。
結界は教会が張るのが一般的であり、その力で余すことなく王都を包み込むために、教会が中心に据えられたというわけなのだ。
今回スォームビートルとともに張ることになる結界は、彼らが作る星形だけで形成されるはずだった。だが、それでは不十分だと直感したバタフィー王子が、補助的に力を貸そうとして、その中心にある教会へとやって来たのだ。
当然ながら真夜中では教会は閉まっており、バタフィー王子とはいえどもおいそれと入れるわけがなかった。
「アンロック」
ところが、そこは優秀なバタフィー王子。たかが教会の施錠ごとき、簡単に突破してみせていた。この王子、魔族とも一人で対等に渡り合うし、いろいろと規格外である。
真夜中の教会に侵入したバタフィー王子は、教会の礼拝質へとやって来る。
静まり返った真夜中の礼拝室は、なんとも不気味なものだ。だが、その不気味さの中にも不思議と心が落ち着いてしまう。
バタフィー王子が礼拝質の中を見回していると、急激に不思議な力を感じるようになる。
(始まったか……)
その時の感触から、バタフィー王子は先程見逃したスォームビートルたちが目的の場所に到着したのだと感じ取っていた。
(魔物たちが持っていたものだから、禍々しい魔力が流れてくるかと思ったのだが、あの石に込められていた神聖力だけが流れ込んでいる。ふん、まるであの石は聖女が用意したような感じではないか)
ふとそんな風に思ってしまったバタフィー王子は、思わず動きを止めてしまう。
「聖……女?」
自分の頭にふとよぎった単語に、バタフィー王子は頭を押さえてしまう。
(何かが、引っかかる……。いや、今はそんなことを考えている場合ではないな。結界を完成させなければ)
礼拝室の正面にある彫像の前へとやって来る。
両手を広げて正面を見る神の彫像。その前に立ったバタフィー王子は、剣を抜いて自分の目の前に構えている。
剣へと自分のうちに眠る神聖力を流し込んでいくバタフィー王子は、自分の足元に集まってくる神聖力をしっかりと感じ取っている。
「はあっ!」
バタフィー王子は神聖力をしっかりと注ぎ込んだ剣を、何を思ったか床へと突き立てる。
床に流れている神聖力と剣が触れた時、剣を突き立てた場所から、ざあっと神聖力が王都中を包み込んでいく。
その瞬間、バタフィー王子は何かハッとした表情を浮かべていた。
「クロ、ナ……? この力、君の込めたものだったのか」
バタフィー王子がクロナの名を呼んだのだ。
「そうか……。この国に巣食う悪しき気配は、魔族だけではなかったのだな。俺は、なんと愚かしいことをしてしまったのだろうか」
唐突にぶつぶつと何かをつぶやき始めている。
「なるほど、この恐ろしい力で、シュヴァルツとメープル嬢は命を散らすことになったのか……。許せないは許せないのだが、どこにいるのか分からぬ相手ゆえに、俺では対処のしようがないな」
なんと、どうやらバタフィー王子は邪神の洗脳から解き放たれたようである。
現状をしっかりと冷静に分析し、イクセンの国が置かれている状況を憂いている。正気に戻ったからこそ、なおさら友人とその婚約者の死が悔しくてたまらないというものである。
同時に、多くの問題点も把握する。自分以外の人間は、今ものその洗脳中にあるため、自分以外に味方はまったくいないということだ。
この状況で今さらクロナへの攻撃を止めようとしたところで、誰も聞きとめてはくれないだろう。
「……となると、他のことに気を逸らせればいい。ちょうどいいところに、魔族がことを起こしてくれたのだ。利用させてもらおうじゃないか……」
バタフィー王子は、にやりと笑みを浮かべている。
そう、バタフィー王子が目を付けたのは、先日追い払ったクラウンのことだ。王都のど真ん中にまでやってきてことを起こしていたのだから、クロナへの攻撃への目くらましとしては十分なのである。
それに、その前には辺境のコークロッチヌス子爵領が魔族の襲撃を受けている。侵攻してくる魔族の対処へと力を注ぎ込めば、クロナへと兵力を割く余裕がなくなるというわけだった。
「そのためには、コークロッチヌス子爵の力が必要だな。彼は今回の一件の最大の被害者だ。彼が領地を襲撃してきた魔族への報復を掲げれば、クロナを皆の意識から消し去ることはたやすいだろう」
考え込んだバタフィー王子は、すぐさま動き出す。
いつまでも教会に留まっているわけにはいかないからだ。先程のことで一部の司祭や神官たちが動き出しているかも知れない。見つかる前に立ち去る必要があるのである。
(クロナ、見ていてくれ。再び君を婚約者として迎えられるよう、その時まで君へと危害が及ばないようにしてあげるからな)
礼拝室から外へと向かったバタフィー王子は、教会の入口に再びカギをかける。
足早にそのまま立ち去り、人目を盗んで、自室まで戻っていったのだった。




