5.うろんな遺跡
目が覚めると、まず喉の渇きを感じた。それどころか、全身がカラカラに渇いている心地がする。
「……ハナ!」
とっさに起き上がると、乾いた風が頬を撫でていった。目前は一面砂――頭上には、突き抜けるような晴天が広がっている。
「……ここは」
砂漠風景の中、空の青さを映す大きな水溜まり。そして俺を日差しから守ってくれている椰子の木が見下ろすここは、「オアシス」だろうか。
「あ。グライル、お寝坊」
水中から顔を出したのは、気持ちよさそうに水浴びをするハナだった。
良かった――引き離されなかったらしい。
「……つか、ここどこだ?」
巨大鯨に飲まれてからの記憶がない。氷どころか海の気配すらないここに、なぜ打ち上げられているのだろうか――。
「あの大きな魚、『げーと』って言ってた。『遠くいきたいなら、連れてってあげるって』……でも、すぐ行っちゃった」
あの鯨はただの動物ではなく、火蜥蜴のような魔獣族だったのだろう。
「……にしても、過酷な場所に連れてきてくれたな」
陽炎が揺れる視界の先には、どこまでも続く砂丘。熱気を帯びた風が吹き抜け、焼け付くような陽射しがハナの真っ白な肌を焦がしていた。
「……ハナ、日に当たり続けると病気になるから、こっちへ来い」
「病気? どんな?」
構わずバタ足をする少女を捕まえ、脱いだコートを頭に被せた。
「これ、熱い……」
「いいから日除けにしとけ」
不満げな赤い瞳から視線を逸らし、ため息混じりに周囲を見回した。
「とりあえず、夜過ごせそうなところ探すか」
「ここ、水いっぱいある」
「砂漠の夜は極寒だぞ?」
それに、いつまでもここに居るわけにもいかない。
師団長から逃げ出したと思えば巨大鯨に飲まれ、気づけば砂漠のど真ん中――まったく、あり得ないことばかりだ。
ひとまず「砂漠といえば」とまつ毛の長いアイツを思い浮かべ、身体の中心に意識を集中させた。
【シェイプシフト】
「グライル……! なに、そのコブ……!」
まったく、氷の海だろうと砂漠だろうと、コイツは無邪気なものだ。はしゃぐハナをラクダのフタコブに乗せ、アテもない砂漠行脚を始めることにした。
暗くなる前に町へ着かなかったら、今度は毛のふさふさな動物に化けてコイツの毛布になるしかないか――その前に、俺の体力が尽きなければ良いが。
「グライル、あれ」
ハナが指さす方向には何も見えない。しかし10キロ先だろうと鮮明に見えるらしいコイツの目には、何かが見えているようだ。
『よし、そのまま見失うなよ!』
ハナの案内に従って進むうちに、石のモニュメントが連なる遺跡群が見えてきた。その中心には、一軒家ほどの大きさの祠が建っている。
「よし、よくやったな。今夜はここで休めそうだ」
遺跡の外壁は砂で削られていたが、薄暗く涼しい祠の内部には象形文字や壁画が刻まれていた。
「グライル。これ……ハナ読める」
「……は?」
古代の文字を、なぜコイツが――と壁に焦点を当てた瞬間。
「なん……でだ?」
そこに刻まれていたのは、懐かしい文字だった。前世で使っていた母国語。そう認識した瞬間、視界が歪んだ。
何かがおかしい――まるで水の中にいるように、景色がゆらめく。
『××おかえり。今夜の残業、長かったね』
聞き覚えのある声が、遠くで響いた。
そこは見覚えのあるリビングだった。シーリングライトの明かりに照らされた木のテーブルには、夕食の皿が並んでいる。俺の好物、野菜たっぷりのシチューだ。
向かいの席にいるのは――。
「…………衣里?」
久しく顔を見ていなかったが、見間違えるはずがない――前世の元妻だ。最後に見た姿より、かなり若い。
『今日給料日前でしょ? 奮発して、ちょっと豪華な海鮮入れちゃった! あ、お刺身用にも残してるから、あとで食べようね』
優しく微笑みながら、彼女はスプーンを取る。いつものように、当たり前のように――いや、これは「昔」の当たり前だ。結婚したばかりの頃の、衣里と俺。
目の前に不思議な歪みが入り、リビングが消えた。驚く間もなく、いつの間にかベッドに寝ている――俺の腕に頭を預け、少し汗ばんだ衣里は夢見心地に笑っていた。
『ねぇ、××。私たち、ずっと一緒……だよね?』
これは幻覚だ。
分かっているのに、身体が動かない。彼女の指先が俺の頬に触れた瞬間、喉の奥が焼けるように熱くなった。
細い腕が俺の首に回る。温もりが――あの頃のままだ。
『ずっと一緒、だよね?』
その言葉に、何も答えられなかった。
いや。答える資格がない。
俺は彼女を――。
「グライル……?」
「――っ」
現実に引き戻された瞬間、息が詰まるほど喉が痛んでいた。額の汗を拭いながら、周囲を見回すと。ハナが壁画の前に立ち尽くしている。
「ハナ……」
ゆっくりと振り向いた彼女の赤眼は、どこか空虚だった。
「……ここ」
かすれた声が響く。
「これ……私、みたことある。さいしょに、教えられたこと……」
遺跡の壁には、鎖でつながれた人影が描かれてている。その横には、魔法陣を刻まれる者の壁画もあった。
「『兵器』は……むかしむかしから、こうしてできた」
壁の絵をなぞる指が冷たかった。
「しゃべるのをやめたら、ごはんをもらえた」
「……やめろよ」
そんなこと、今聞きたくない。
「力を見せたら、檻から出してもらえた」
「……やめろって」
「敵を殺せば、『よし』って言われた」
「やめろ!」
表情を消したハナを、強く抱きしめた。「前」の彼女に戻る前に、引き戻さなければ――。
「お前はもう『人間』だ! 軍の奴らの命令なんて聞かなくて良い、無条件に愛されるべきで……」
「『あいされる』って?」
赤い瞳が、俺をまっすぐに見つめる。
乾いた桜色の唇が、「紙の束に書いてあった」と空虚に紡ぐ。
「グライル……『あい』ってなに?」
焼けるように熱いままの喉が、動かない。
どう言葉にすればいいのか、俺には分からなかった。
夜になると、さすがに祠の中も温度が下がってきた。石造りのここは隙間だらけだから、まぁ当然だろう。
ハナは白い息を吐きながら、じっと月を見つめている。
「あー。飯、どうするか」
腹が減った今の状態だと、うまく【シェイプシフト】できない気がする。このままだと、コイツを温められる毛布に変身できない――。
「オマエが肉に化ける。ハナ、それ食べる。かんぺき」
「なーにが完璧だ……まぁ、少し安心したわ」
冗談を言う元気はまだあるようだ。ひもじい思いをさせるのは申し訳ないが、せめて震える肩を引き寄せた。
「グライル?」
「……俺も寒いから、コートは貸せねぇ。中に入れ」
厚手のワンピース越しでも、小さな背中は想像以上に華奢だった。懐に潜り込んで丸くなるハナは、子猫のように見える。
「……人って、あたたかい」
誰かと寝る温かさを、コイツは知らない。
「ああ……そうだな」
コイツの知らないことを、全部「当たり前」にしてやりたい――。
「これからは、好きな時に外へ出られる。いつでも好きなものを食べて、好きなことを喋れるんだ」
「グライル……」
より強い力で抱き寄せれば、しがみつく腕にとんでもない力が込められた。
「……っ!」
コイツには力加減も教えなければ、俺の身が持たない。しかし引き離すのも悪い気がして、背中に腕を回すと。
「じゃあ、あのキラキラした丸いパンが食べたい……今すぐ」
コイツ――。
「……それはまた今度な」
しばらくすると、ハナはゆっくりと目を閉じた。
「おやすみ、グライル」
穏やかな寝息を聞きながら、俺も目を閉じる。
「『あい』ってなに?」――そんなの、俺が教えてほしいくらいだ。
腕の中の熱を抱きしめながら、意識を手放した――が、夢を見る間も無く目が覚めてしまった。
「……ん?」
体が動かない。最初はハナにひっつかれているせいかと思ったが、腕の中にハナはいない。
「なっ……んだこりゃ!」
いつの間にか、全身が蔦のロープで縛られていた。
「グライル、なにしてるの?」
唯一動く首を回すと。逆さになったハナが、キョトンとした顔でこちらを見つめている。
コイツに緊縛趣味なんてあるはずがない――いったい何が起こっているのか。
「失礼。そちら『軍の方』とお見受けしたので、とりあえず縛らせていただきました」
耳元でかすかな声が聞こえた――が、ハナと俺の他には誰もいない。まだ薄暗い祠の中を見回していると、頬を突くこそばゆい感覚がした。
「こちらですよ、人間の男性」
「なっ……?」
耳元で懸命に声を張っているのは、親指サイズの小人だった。鮮やかな色のついた、木製の仮面をかぶっている――この祠に関係する、精霊か何かだろうか。




