第七話 そして、俺は知らない彼女と再会する
愛沢優菜と最後に会った金曜日から二日経過して、本日は日曜日。
本日晴天雲一つない、青く澄んだ清い空。こういう日は出掛けるに限る! っということで、現在市街地の中を自転車で駆け抜けている。
本来は、次の日に学校を控えている日曜日っというのは何をしようにも億劫なものだ。対して土曜日は一日中休みでありながら次の日も休みを控えるという、ベリーベリーハッピーな曜日の為、大抵用事は土曜日に済ませるようにしている。
しかし昨日は昼から雨が降ってきた為外には少し買い物に出た程度で、後は家で寝たり、野球中継を見たり、高校野球を見たり、スポーツニュースの野球コーナーを見て過ごしざるを得なかった。って、我ながらほとんど野球漬けじゃねえか。っとそこだけ聞けば青春野球少年のように思われそうだが、勿論観戦専門。野球経験などあったものではない。
まあそれはともかく、そんな訳で一日移行し、本日未開の領域の開拓に勤しんでいる。
人は休日なこともあってなかなか多く、車の通行量も多い。ただそのお陰もあって、春先とはいえあまり寒さを感じない。その人間達を避けながら自転車で走っていると、やがて交差点に辿り着いた。信号が赤になり、横断歩道の前で待っていると、ふと俺の後ろから声が聞こえてきた。
「あんれっ、こーせーじゃね!」
その声は確かにこーせーと言った。ただ女性の声だというのは分かったが、何分雑音が多い為人物特定は難しい。
こーせーって俺のことか? それともいずこかの、こうせいさん?
しかし、もし俺だとしたら、その呼び方をするということは――
バッと後ろを振り向く。そうしてそのまま広範囲に辺りを見渡す。しかし、見知った顔などない。
……おかしいな、俺をこーせーって呼ぶのなんてあの人ぐらいしかいないのに。っということはやっぱり俺以外のこうせいさんか。いや、そもそも俺こうせいじゃないけど。
でもあれっ、ちょっと待てよ。何だ。あと一人、俺をこーせーって呼んでた奴が誰かいたような……。あれっ、誰だっけ。記憶の中に微かに引っ掛かっているというのにはっきり思い出せないぞ。
「ちょっ、こーせー、こっちだって、こっち! あーし、こっちだよ!」
はっ、そうだ! この、あーしなどと言う『わたし』の最終退化系一人称を駆使する聞き覚えのあるハイテンションボイス。最近聞いた覚えがある。これは……モブ化粧厚子殿!
だがしかし、更にキョロキョロキョロキョロ首を動かしてみるが、一向にあの方の顔は見えてこない。あんな字的にも他人の目を意識しない顔的な意味でも正に厚顔無恥な女子を見つけるのに苦労する筈は無いのだが。
「ちょっ、こーせー、なに気付いてない振りしてんのよ! マジありえなすー!」
遂に肩にポンと手が置かれ、振り返る。
そして見えた顔。そこには厚化粧な顔が……どこにもなかった。俺の記憶にある、あの忌まわしい顔の代わりに――
「んっ、ちょっ、なに固まってるん、こーせー? って、おーい、こーせー」
「だっ……」
「だ?」
「誰ですか、あなた-!」
――そこには見覚えのない偉い、べっぴんさんがいた。
「キャハッ! こーせー、ウケるー! 知らない振りでぶっ通すパティーンとか!」
いや、そういうパティーンもクソもないから。そもそも誰だよ、あんた。
腰に上着を巻き、ノースリーブの白Tシャツに首からペンダント、それから短めの赤スカートというファッション。顔は、目元ぱっちりでその目を覆う付け睫毛と小さく纏まった鼻に、プルプルと軽く押しただけで随分揺れそうな綺麗な唇を持つブロンドの女性。
本来は何よりその美しい顔に目がいく筈なのに、先に相手の胸元に目が行ってしまう。ふっ、膨れ上がっているだと……!
じゃなくて! こんな顔見覚えがない。だがしかし、このブロンドと付け睫毛、それに何よりこの俺の神経逆撫でに特化されたその笑い方は間違いない。
「まっ、まさかあなたは化粧厚子さんですか?」
「キャハハハハ、ちょっ、誰よ化粧厚子って! あーし、そんな名前じゃないから」
あっ、間違えた。今は化粧厚子では無いんだ。
「あっ、すいません。えっと、もしかして藤ヶ谷さん……ですか?」
「ちょっ、こーせーウケるって! 当たり前じゃん! てか、何で敬語! バリウケるー」
いや、そりゃ敬語にもなるって。変化しすぎでしょ! 化粧しなかったらこんな綺麗なの! 何で化粧したら寧ろマイナス加工されるんだよ! もうあなた、絶対化粧しない方が良いよ!
「でもいや、ほらっ、前会った時は化粧してたじゃん。何というか、化粧してないと全然違うというか、最早別人というか……」
「えっ、うそっ、もしか今の顔マジヤバ? 見てられないレベル?」
いやいや、確かに激ヤバだけど、逆々。寧ろ見てられないのは、化粧した方の顔だから。
「いや、大丈夫。寧ろ化粧してる時より今の方が良いと思うけど」
「えっ、すっぴんの方が良いって。いやいや、こーせー、それはないっしょ。化粧はした方がいいっしょ」
いやいや、藤ヶ谷さん、それはないっしょ。化粧はしない方が良いっしょ。あなた限定で。
「いや、藤ヶ谷さんはすっぴんで綺麗なんだから化粧しない方がそれが活かされてるというか、逆に化粧したら良さが殺されるというか……」
「殺される? ちょっ、こーせー、なに言ってんの? だいじょぶー?」
うん、だいじょぶー。まともなことしか言ってない筈だから。
しかし、俺がどう言おうと結局は本人次第だからな。俺はもうアドバイスはしといた。後は任せよう。
「まあ、今のはただの一意見ということで、的外れだと思ったらスルーしちゃってください。――でも藤ヶ谷さん、学校には化粧していくのに、プライべートでは化粧しないんだね」
「そりゃ、普段はメンドいから。でも学校は友達とか皆やってるし、私も学校ぐらいにはやってくかなーって感じ、みたいな」
「ふーん」
女子ってそんなもんなのか。うんうん、そっか、そっか。それは立派な心掛けだ。
でもせめて、自分を良く見せる化粧法ぐらいは覚えておこうな!
「ちょっ、それよりこーせー。アンタ、むふふ……」
藤ヶ谷さんは口に手を当てて、何やら怪しい笑みを浮かべている。
むふふって……。んな、古典的な。
「あーしの顔綺麗とか、やっぱあーしのこと狙ってんじゃん」
何ということだ。こんな発言、化粧厚子の時なら思わず胸ぐらを掴みあげてしまいそうになるだろうに、化粧をしなくても綺麗な顔立ちの所為か今は楽に堪えられるぞ。何というかギャルっぽさが少なくなっている所為でもあるだろうが、寧ろ、まあこの顔ならなー、なんて納得もしてしまっている。まあ、それでも残るギャル感とその自意識過剰っぷりに若干イラっとはくるけど。
そういえば、前に言ってた野球部員に告白されたって話もなるほど、これなら納得だ。この顔を見たなら、この顔目当てなら不思議ではない。良かったな、野球部員達よ。お前らは過ちなど犯していなかったと証明されたぞ。
「大丈夫、狙ってないよ」
爽やか笑顔でさっぱり言い切ってあげた。
しかしそんな俺の優しさも全く気にする気配なく、それでも「またまた-、冗談でしょ」なんて言ってきたので、面倒くさくなってふっとスマイルだけ向けて話題を変えることにした。
「そういえば、藤ヶ谷さん。今日はこんな所で何してるの?」
信号が青になったので、俺は自転車を押しながら、藤ヶ谷さんはそんな俺の隣を歩きながら話を続ける。
「んっ? ああ、あーし、これから駅前で友達と待ち合わせてんのね。で、行こうとしたら、こーせーいたみたいな展開で声掛けたって訳」
「ふーん、そうなんだ。って、あれ。なら、俺とこんなゆっくり話ながら歩いてて大丈夫なの?」
「うん、問題ナッシング。ちょっと物買おうかなっと思って早く出たからだいじょぶー」
「そっか、問題ナッシングでだいじょぶーなら良いんだけど」
とは言っても、俺と藤ヶ谷さんが話したのは初めて会った一回きり。正直特に話すことなんてない。
っと普通ならなるだろうが、俺には丁度この人に聞きたいことがあった。
「そういえば、藤ヶ谷さん。もう買い物って済ませたの?」
「ういんや、まだだけど」
「そっか……」
時間無いなら仕方無いか。
「どしたん?」
おっ、訊ねてくれた。正直狙って含みのある言い方をした訳では無いが、藤ヶ谷さんは俺の様子から何か察してくれたらしい。用事がある相手に、しかも知り合って間もない女子に自分から時間を作って欲しいなんていうのは気が引けたので、聞いてくれたのはありがたい。
「いや、ちょっとさ、藤ヶ谷さんに聞きたいことがあったから。ちょっとそこら辺の喫茶店でも入る時間あるかなっと思って……。でも時間ないみたいだね」
「うーん、いんや、まあ別に買い物っつったって、好きな歌手のCD買いたいってだけで今すぐ欲しいとかじゃないし、それ抜けばあと四十分ぐらい時間はあるけど。でも、こーせーがあーしに? ていうか、ここじゃダメなん?」
首を傾げて、どうやら思い当たる節を捜索中な様子の藤ヶ谷さん。
まあ、確かに俺が改めて藤ヶ谷さんに話したいことがあるなんて、何のことか思い当たらないだろうな。
それにこういう人通りの多い所で立ちながら軽く話す、なんていう話ではないしな。出来れば喫茶店とかでしたい。
時間は四十分程度か。藤ヶ谷さんが待ち合わせをしている駅というのはここから五分程の所にあるので、実際の所話せる時間は三十分ってところ。まあ、大丈夫だろう。
「ここじゃ、うるさいし人多いし、ゆっくり話たいと言うか」
「ふーん、なるほど……。あっ、そういうことか」
またまたニヤニヤと何やら怪しい笑みを見せる藤ヶ谷さん。ちょっと待て、さっき似たような顔見たぞ。今度は一体何だ。
「んじゃ、いいよ、こーせー。買い物は帰りでも別に問題ないし、そこら辺にあるカフェででもこーせーの話、聞いたげる」
「いや、確かにそれはありがたいけど、っていうか言っといて何だけど、藤ヶ谷さん本当に大丈夫なの? 何かこっちの気分に合わせてしまうみたいで申し訳ないんだけど」
素直に申し訳なさそうに気持ちを述べた。
でも、それでもずっと気になって心に曇りがかかったようにモヤモヤするから。早めに解消しておきたかった。だからありがたい。
「いやいや、良いよ、良いよ。あーしもこーせーと話たいってことで問題ナッシング」
それは問題ナッシングだ、本当に。
そういえば。ふと、秋谷さんが陽子は優しいって言ったのをふと思い出す。確かに、その通りかもしれない。
「ただその代わり、あーしになんか奢ってよね。うや、奢らせてあげるー」
ただ、そこら辺はちゃっかりしていた。そして何故か、求めてもいないのに奢りの許可を得た。




