第六話 そして、俺は彼女と向き合う
夜道を駆ける車輪の音は軽快。いつもより感じる風に気持ちを高めながら、より一層ペダルを強く踏み締め自転車を進めていく。
家を出て行く際には、明澄香に「ちょっと、もうすぐ竜一出る番組始まるのにどこ行くの?」と暗に見ていけ命令を出されたが、そこは用事があると言い切って何とか出てきた。
もう既にチョコレートは買った。気まぐれな神に捧げる供物? は板チョコ一枚と安価で済ませ、向かうは恒例の公園。今、願おう。初めてなんだから聞いてくれよ、神様。必ずいてくれ。
ずざーと一気にブレーキを掛け、自転車を止める。止まったその先。既に数回、俺が神と話した場所。
――そこにいた。願いは通じた。月夜に照らされ、本日はブランコに立ち尽くすその姿はこちらに背を向けながらも正に神々しい。なんていうのは誇張表現になるのだが、それでもその表現に近しい輝きを放っている彼女は、確かにそこにいた。
まあそれは、その手に持つ杖の先のガラスが光っているのもあるんだけど。五十センチ程あるプラスチックの棒の先にはハートのガラスの玉がセットされている。どうやら今日のアイテムは神の杖、通称マジカルステッキのようだ。まあ要はどこぞのデパートのおもちゃ売り場に置かれているようなアイテムをお持ちになられている。
あら、可愛らしい。っておい、それどっかの作品で見たことあるぞ。ちょっとどこで買ってきたんですかね、そのマジカルロット。そして、絶対あなたそれの対象年齢から外れてるから。
「今日も良く来たと褒めてあげよう、我が同士、建人よ」
「そりゃ、どうも」
自転車の音で気付いたようで、振り返った彼女が近付く俺を確認すると表情見せないまま言った。
笑顔、っとかは無いよな。
そして今日も相変わらず上から目線ですね。いや、神だから普通なんだろうけどさ。
「それで、例の物は持ってきてくれた?」
首を横に傾けながら言う仕草も、やっぱりなかなか絵になりますねっと。
まあ、その可愛さに免じてこれを差し上げよう。……ついでに、これから俺が彼女に言うことに対してのその贖罪も込めて。
俺は、彼女の前に着くとチョコが入ったコンビニ袋を持った手を前に差し出す。
「勿論。はいっ、チョコレート」
「うむっ」
うむて。
彼女はとんっと軽くジャンプしてブランコから降りると、ステッキを持った手を伸ばしてきたので、ステッキ邪魔だなっと思いつつ袋を手渡す。中を確認し、もう一度うむった。
それとそっちはどうでも良いかもしれないけど、スカートなのに少しでも高さある所から飛び降りないでくださいー。こっちはスカート捲れるんじゃないかって一瞬ドキっちゃうんですー。まあ、実際見える訳なかったけどね。ちょっと残念だったけどね。
なんて考えながら、俺は隣のブランコに座ろうとした時ふと彼女の顔を見て驚いた。――袋の中を覗いた彼女が、一瞬微笑んでいたように見えたから。時折見せる普段被っている仮面が一瞬剥がれたような、その彼女自身の表情はしかし一瞬で、はっとした時にはいつもの無表情。瞬間的に見間違いだったのではとも思ってしまう。でも、俺のおそらく驚きが表れているであろう顔を見た途端にバツの悪そうな表情を彼女は見せた。やはり、見間違いでは無かったのかもしれない。
一瞬見えた彼女の素の顔。それは今でも充分美しいのだけれど、その美しさをより際立たせる輝きを放っていた。そして思い出す。そういえば、いやかもしれないってだけでしかも一瞬だったけど、それでも俺が彼女の笑顔を見るのはこれが初めてだったんだ。
もっと見たいと。そう本能的に思った。
「確かに受け取った。私の為によくやってくれた、建人」
誤魔化すように咳払いをしてから、愛沢さんはそう言って袋毎スカートのポケットにしまい込む。そして、ブランコに座る。
「ちょっ、よくやってくれたって……」
いくらキャラとはいえ、せっかく買ってあげたのにその態度って……。うちの妹かよ。まあ、妹なら頼んだもん買ってもありがとうどころか、あざ、だからまだマシだと言えるけど。痣がなんだよ。
まあ、冗談だけどな。別に気にしないけど。
しかし、そんな俺の言葉を受けて彼女がしまったっと言ったような顔をして焦り始める。
「あっ、その……建人さん、ありがとうございました」
そして、訂正してきた。
神様、下からになっちゃったよ。でも、その姿が微笑ましいと感じた。だから俺もうむった。
「それで、値段は何円だった?」
「値段? いや、お金ならいらないけど。えっ、逆にくれる気だったの?」
「……? 当然では?」
言って、再びきょとんと小首を傾げる。
てっきり、捧げよとかいうから、お前の金で買ってこいやって意味だと思ってたんだけど。そこら辺は律儀なんだな-。でもそれなら自分で買った方が早いんじゃね?
「そうだね。でも今回は別に金はいらないよ。俺からの差し入れってことで」
「そう。まあ、私は神だからそれでとうぜん……はっ、あっ、ありがとうございました、建人さん」
言いかけて、しかし一瞬ハッとした後、言い直す愛沢さん。再び、俺うむる。
流石、神様。キャラ捨ててまで礼をするなんて、礼節弁えてるなー。でも、俺格上になっちゃってるけど大丈夫?
まあ、それはともかく。勿論本当に元から金を取る気なんて無かった。でも最初から、タダであげるなんて気も無かった。
「まあ、確かにお金はいらないんだけど。でも、代わりに条件はある」
「……?」
「俺の質問に答えてもらいたいんだ」
「……質問?」
最初はただ、本当に分かっていないように首を傾げた愛沢さんだが、徐々にその顔に若干の曇りが見え始めた。俺が何を言うか、予想されたかな。多分、それは間違いじゃない。
ういしょっと俺は、ブランコの上に立ち、漕ぎ始める。小学生以来聞いていないギーギーという軋んだ音が俺のブランコから鳴り響く。
そして俺は愛沢さんの了承を得る前に口を開いた。
「何で学校に行かなくなったの? 何があったの?」
真剣な声で、真摯な顔を隣の愛沢さんに向けてそう聞いた。オブラートにも包まない、装飾も何もあったもんじゃない真っ直ぐな質問。だからこそ、彼女にはかなり響いたと思う。
彼女が必死に隠していた真実。それを俺は効果の程は知らないにしても、贈り物という精神的負荷を掛けて聞いているのだから、我ながら酷い奴だと理解はしている。でも、俺は口にした。口に出してしまった。
勿論、このままそんな事実無視して彼女と付き合っていくという選択肢もあった。気を遣い、俺が彼女の過去の傷に触れそうな話をしないで、これからも同じように接し続ける事も出来た。
でも、そこに前進はない。それはこんな友達と言えるのかすら怪しい俺達の関係のことだけではない。彼女自身も前へ進んでいくことが出来ない。今のまま停滞を続けて、その先彼女に何がある。だから、触れたら寧ろ後退してしまうかもしれないというのに、元から俺には選択肢なんて一つしか無かった。
そしてこちらを見た、彼女の顔は予想通りに沈鬱そうな表情をしていた。
「……知ってたの?」
苦々しい声で彼女が言う。
「今日聞いたんだ。実は愛沢さんとは同じクラスっていうのを聞いたのも今日。君の親友にね」
一転、今度は目を見開いて驚きの表情を見せた。
しかし、前に顔を向け俯き加減にして、
「……神である私が、人間に親友なんている筈がない」
そう彼女は言った。手を震わせながら。
自分が人間であるいう事実と共に、その柵も捨ててしまったと、そう言いたげに。
「それに前も言った筈。地位の低い人間が格上である私のことを理解出来ないという必然の理があっただけだと。私が人間達のあまりの愚行に見限り見捨てた。その上、元々学校などという先を考慮しても必要になるかすら未確定な教育を受ける機関に通うこと自体神である私には必要性が薄かったのだから、最早行く必要は無いと判断した」
まあ、それはそうだ。社会の歴史の授業でで過去のことを知ったって、理科で実験の結果を知ったところで、それが何になると考えたことはある。こんなの日常生活に必要ないだろと何度思ったことか。でもそれは自分だけじゃない。そもそもだから学校に行く必要がないなんて、イコールで繋ぐことは出来ない。
「学校に行かなくなったのは、高校一年の途中、だよね。それからこれは違う人に聞いたんだけど、その少し前、変な噂が流れたんだって。……愛沢優菜が人の彼氏を奪ったって」
「そんなの……!」
バッとこちらを向き、強い語気と怒りの表情で彼女が声を出す。しかし、徐々に体と雰囲気が萎んでいく。
「……私は知らない」
その様子が噂が流れたのは事実だと、真実を告げている。なら、知らないというのは嘘だというのか。いや、それも嘘ではないというのは分かる。
なら、何を知らないか。
「そうだよね。あっ、いやっ、まだ会って間もない俺が言うのもなんだけどさ、愛沢さんがそんなことする筈ないとは思ってたよ。つまり、誰かが愛沢さんの身に覚えのない、悪評を垂れ流した」
「そう! 私は知らない! ただ、愚かな人間が! 醜い心しか持たない人間達が身の程もわきまえずに神である私に嫉妬して、そんな下らないことを言い出しただけ!」
きっ、と俺の顔を見つめながら、なのに俺ではない、ここにはいない誰か達を睨むように彼女は険しい表情を見せる。
「前に言ってた自分に適合しない生き物は排除してしまうっていうのあれ、その人達のこと言ってたんだね」
「そうであって、そうではない。人間という存在自体が、誰しもそうしていかなければ自己の精神の安定も保てない弱者ばかりだから」
心を落ち着けるように、一回大きく深呼吸をしてから、再び愛沢さんは淡々と語り出す。
そうだ。その通りだ。全く、愛沢さんの言ってることは間違いではないと共感してしまう。
でも、それは自虐でしかない。自己の精神を保つ為に自分は神だと盲信して精神を安定させている自分は弱い人間の一人だと、自分が醜い人間の一人だと、そう言っているのと同義だ。矛盾している。
「だから、神を演じ始めた?」
何があったかは分からないし、彼女が何を想って、何故そんなキャラを演じているか。未だに真実は分からない。でも、予想は出来る。
何でそんな噂が流れたかは知らないけど、噂の所為で、いやそれ以外にもあるかもしれないけど、自己を否定され、深く傷つき、そうして彼女は逃げた。現実から。その逃げた先が神だっていう発想は凄いのだけれど。否定された自分を肯定しようと、神である自分の存在を人間が理解出来る筈がないという思い込みに浸った。でもそれは更に彼女を傷付けて、居場所を失った彼女は遂に学校に行くことをやめた。
「私は演じてなどいない。本当の神だから。当然のように振る舞っているだけ」
「なら、神らしいことをしてみせてよ」
本当の神なのに、彼女は遠くにいる誰かを助けるなんてことは出来ないし、人の病気を治すことも出来やしない。何も特別なことも出来ない、言行不一致だ。それはだから人間であるという証明以外の何ものでもない。つまり、彼女は今ただの大ホラ吹きになりさがっている。
「人間界に配属されている間、人間達に溶け込む為に私の神としての能力は失われている」
へえっ、寧ろ感服するね。物は言い様だ。
でも、失われている? それ使い方間違えてるぜ。元から無いものに対して失うなんて言葉は使われない。
「強いて言うなれば、今現在、人間を見守る任務をこなしているこの姿が証明といってもいい」
何言ってるんだ、公園に遊びにいくことを任務というなら、子供は皆神ってことになる。
「あのね、お嬢ちゃん、公園に立ち尽くすことをね任務とは言わないんだよ。大丈夫、分かる?」
「……建人、神である私を侮辱するとは何事?」
おっと、いかん、いかん。いやー、うっかり。口が滑っちゃったぜ。
で、その愛沢さんは凄いジト目でこっちを見ている。どうやら、悔しがっているようだ。
「いや、だって。ね?」
「分かった。そんなに言うなら、特別に私の第一拠点に連れて行く。愚かな建人に私の活動を見せてあげる」
第一拠点? ああ、そういえば、前にここは第二拠点とか言ってたっけ。
ふうん、そこに行けば俺が神だと信じると。そんなこと無いと分かりきっているけど、多少の興味はある。
携帯で時間を確認。もう十時前か。まあ、明日は土曜で休みだ。遅く帰ることになっても別に問題はないか。
「ふうん、じゃあ見せてもらおうかな」
「なら、建人。私を自転車の後ろに乗せる許可を与える」
はいはい、分かってますよ。まさか自分は自転車乗っておいて、女性を一人で歩かせる訳にはいかないですからね。
そうして、俺は揺れるブランコからジャンプで飛び降り、愛沢さんは普通に立ち上がって自転車に向かう。俺が自転車に跨がると、愛沢さんも荷台に横向きで乗っかったのを確認してから発進する。っとそこで、はたと気付いた。あれっ、もしかしてこの状況って。
思った瞬間。俺の腰にこそばゆい感触。見ると若干冷たく柔らかい感触をもつ、彼女の腕が俺の腰に回されていた。
「あひゃうえー!」
言葉になっていない言葉を発してしまった。こっ、この状況は反則だろ。ドキドキが止まらないぜ!
そうして、心ここにあらずなまま俺達はその第一拠点とやらに向かっていった。
勿論、空を飛んだりワープするなんてせず。他の者と何も変わることのない重さを後ろに感じながら、人間が持ち得る力を使って進んでいった。
☆★☆★☆★☆★☆
「遠いね……」
現在登るは、街を少し外れた所に立っているそこまで大きくは無い山、そしてその中にある周囲を木々に囲まれた細長い整備道。その道はなかなかの急勾配で、ただでさえきついというのに、後ろに人を乗せるとなると自慢じゃ無いが進める気がしない。今は手で自転車を押しながら、愛沢さんと隣に並びながら歩いている。正直腰に回された手とすぐ傍から漂ってくる甘くて心地の良い匂いに、心臓が平均以上に働きっぱなしだったので、ちょっと安堵している自分もいる。無論、名残惜しさはその倍だが。
そして現在我が隣の神様と言えば、そんな俺の呟きに応えることはなく、エネルギー補給だかで我が与えし板チョコを貪っていた。もぐもぐ、ごっくん、もぐもぐ、ごっくん。以下リピートである。
その様子はどうにも愛らしいし、食べっぷりの良さが気持ち良いからそれは別に良いのだが、何故自転車漕いでたの俺なのにただ乗っていた神様がエネルギー補給の必要性があるんでしょうかね。
「ねえ、チョコおいしい?」
表情には見せないが、あまりにも食いっぷりが良いので、聞いてみた。
「当たり前でしょ! おいしいに決まってるじゃない!」
すると、無表情のまま若干キレ気味に怒られた。あれー、俺何で怒られたんだ。唐突過ぎて思わず、「そっ、そうだよね」しか言えなかったじゃねえか。
「にしても、本当にチョコ好きなんだね」
「べっ、別に好きじゃないし……!」
また一瞬照れ焦る神様。
なっ、ここでも否定だと! じゃあ尚更なんでさっき怒ったんだよ!
あのね、毎日バットブンブン振ってる奴が「野球好きなんだねー」って言われて、「好きじゃねえし!」って答えながら相変わらず振り続けても全然説得力ないんだよ。これオーケー?
「それよりもう着くからこれ返して」
何とこの神様、一瞬で元のポツポツとした喋りに戻ってしまいました。言うと俺の自転車の籠に入れていたマジカルステッキを取り出した。
何やら歩くのに邪魔とかで入れておいたけど、それならそんなもの元から持ち歩くなという話だ。本当に。
まあでも、今はそれは置いといて。
「やっと着くのか……」
安堵の息と共に言葉も漏らす。もうこの山を登り初めて三十分は経つ。流石にこの坂道を自転車押しながら、何十分も歩くのはきつい。正直早く休みたかった。
「もしかして建人、疲れてる?」
「えっ、そりゃ、まあ」
「……全く、これだから地に足着けてしか移動することの出来ない人間は」
ハリウット俳優さながらの、手を横に肩を竦めたやれやれのポーズをされた。若干イラっと来た。何様だと思ってしまった。
はいはい、凄い、凄い。あなたは浮くことが出来るんですね。じゃあ、俺の自転車に乗った意味無かったですね。そしてあなたただ俺の後ろ乗るか、手ぶらで歩いてただけだからね。疲れてはいないだろうね。
ただその一行にしてツッコミ所が多彩な発言を全て否定する元気は今は無い。
だから、一言に反感も文句も、全ての思いを乗せた。
「へえー、凄いな、流石だなー、神様は。じゃあ浮いて?」
さあ、どうだ。右ストレート直撃ノックアウトか?
しかし、彼女の反応は予想外のものだった。余裕そうに上からはあっと、溜息を溢してきた。
「だから、さっき言った筈。私は今力を失っているからそれは不可能」
「へえー、それは残念だなー」
はいはい、言い訳乙っと。ていうか堂々とし過ぎて、寧ろ清々しかった。要するにでかい口叩いたけど私も出来ません、ってことな。その逆に貫いた態度を讃えて最大限の棒読みで答えてあげた。
寧ろこっちがやれやれの念を込めた溜息を吐いて、それから地面に向けていた顔を上げ先を見つめる。
上で道が途切れているのが見えた。
「あれっ、愛沢さん。あれは、もしかして、やっと……」
「そう。あそこはこの山の頂にして、私の第一拠点。さあ、建人。その美しく高尚な景色をとくと見よ。――って、ちょっと建人。なに急に私を置いてこうとしてる……急に急ぐとはなにごと」
最早ゴール目前でちんたらしている理由もない。前口上を受けて高まる期待の中、目的地に向けて自転車を置いて駆け出した。所で愛沢さんに止められた。
「いやー、ごめん、ごめん。もう少しで到着だと思うと、気が逸って。じゃあ、行こうか」
「はあっ……仕方がないから、建人にあわせることにする」
「はいはい、よろしくお願いします」
溜息混じりに上から目線を向けてきたので、軽く聞き流した。
そうして相変わらず並んで歩き、進むとようやく常に上に向いていた視線が正面を、そして遂に下を見下ろす形になった。
「おおっ……」
思わず感嘆の声を挙げてしまった。
眼下に広がるのは、幾つもの光の点。一つ一つの家が、店が、建物が、自分達を照らそうと輝きを放ち、そうして意図せずその光は、芸術的なイルミネーションを作り出している。夜が覆う闇の中において比率よく放たれているその輝きとのコントラストが絶妙なその光景は形容のし難い美しさを放ち、俺達の住む街の夜の輝きは、強く俺の心と目をひいた。
「人々を監視するという私達の役目においてここまで最適な場所はない。だからこの場所は好き。それに何より、綺麗だから。……建人は、どう?」
その景色に圧倒され見惚れていた俺は、その言葉でハッと我に帰る。隣を見ると、愛沢さんはその景色に目をやり立ち尽くしていた。そして再び呆然とした。美麗な景色を見た相乗効果か、その顔が際立って美しく、改めて綺麗だなっと実感したから。じゃなくて。
さりげなく私達と言ったことは置いといて。何度も見た景色を今見て彼女は何を思うか。それはその変化の無い表情からは読み取れないが、それでも彼女の目は光を放っている。まだ、光が残されている。それは分かった。
「綺麗だね。こんな綺麗な景色今まで見たことないよ、なんて陳腐な発言を言ってしまうくらいに」
「流石、我が同志。建人は分かっている。……それに人がいることもほとんどいないし、あの幾つもの輝き、家。ここから見下ろすとより私は神だと実感出来る。何故あんなに綺麗な輝きを放つことは出来るのに、その人間自体は醜いのか。本当に謎」
半径十メートル程の円形のスペースの中には草がそこまで生えておらず土の地面が広がり、その周囲には木々が立ち並んでいる。風とその風によってそれらの木々が揺れる音しか聞こえてこない静謐な空間。そんな場所で、表情は変わらずとも彼女の声は普段よりはっきり、苛立ち混じりに俺に届いた。
その表情に俺は顔を歪めた。
「それなら俺も醜いってことになるんだけどね」
「違う、前も言った筈。建人は例外。あんな醜い人間達とは違う。建人は神の私と――」
「違うよ。俺もただの人間だ」
こちらを向いた愛沢さんに、きっぱりと告げた。それは愛沢さん、君もだ。
何が神の活動を見せてやるだ。詐欺も甚だしい。まだ俺の方が上手く嘘を吐ける自信がある。期待などしていない展開を微塵も裏切ることもなく、それでいて読めた状況。全く、これが物語なら最悪な構成だ。何故こんなのを見せられなければいけない。目の前の美景に心が清められる感覚を感じながらも、そんなことに苛立ちを覚える。
過去を探っても、どこをどう調べても彼女はやっぱり人間な筈なのだ。でも事実に逆らい、神になりきろうとしている。
近くにあった石を掴んで握る。彼女だけではない。誰と特定する訳ではない。というよりはっきり彼女に何があったのか分からないし、何より自分が何にこの感情を抱いているのかすらはっきり理解出来ていない。でも、その行き所の見えない憤りをその石に込めて。強く、その景色に向けて投げ込んだ。
その石は重力も助力にして真っ直ぐ進んで落ちていくが、やがて景色に溶け込んでいき見えなくなる。
「建人は、自分はただの人間だと言い切る……?」
「うん、そうだね。本当に俺はどこにでもいるような普通の人間だよ」
「何で? そんな訳ないのに。そんな人が私と……」
困惑した様子で彼女は呟いた。そうして数秒沈黙が続く。それから残念そうに、彼女はその言葉を小さく吐き出した。
「……今はまだ建人は、自分がどれ程の存在か理解していないんだね」
今はまだ、か……。
何故そこまで言い切るのだろうか。俺自身が分かっていないのに。だから、今後も理解することは無いだろうと理解しておきながら、
「ははっ、そうですね」
愛想笑いを浮かべて適当に答えておいた。
☆★☆★☆★☆★☆
時刻は既に十二時を回っていた。
山を降り、っといっても自転車で山道を下るのは危険なので結局押して歩きながらだけど、今は公園付近に戻ってきた。
その間、時々言葉を交わしながらも、お互いに殆ど無言で歩を進めた。何と言うか、言葉が出てこなかったのだ。きっと夜遅く山道を歩いて疲れてるから。なんて取って付けたような言い訳を自分に言い聞かせながら。
「さて、じゃあ、どうする? 夜遅いし、送っていくか?」
荷台をポンポン叩いてアピールするが、彼女はふるふると首を横に振る。
「社は近いから、大丈夫」
へえ、社近いんだ。神社住んでるの?
「そっか、分かった。じゃあ、ここでお別れだ」
コクリと愛沢さんは頷く。
「それじゃあね、愛沢さん。また近々会おう」
俺のその言葉に愛沢さんは、目を見開いて驚いたような、しかし困惑しているとも見て取れる表情を見せてくる。
いや、実際に狼狽している。
「まだ、私と会う気があるの?」
「何で? 当然じゃん」
「でも、建人は私のことを知っている筈。皆私を嫌って離れていったことも。なのに――」
「別に。人は人だし。そんなんで離れるようなら俺はもうとっくに離れてるよ。今日だって公園に行かなかった」
「何で?」
何で、か。別に当然のことなのに。でもそれを彼女の場合、今まで進んできた過去がその答えを曖昧にしている。
だから、はっきり口にした。
「なんでって、そりゃ友達だから」
だから、今日もここまで来たのだから。
俺にそう言われ、無表情で佇む愛沢さん。でも、その目は再度輝きを放っていた。外界からではなく内から。
そして俯き、暫くしてから上げた顔はもう見慣れた無表情。
――でもその顔は変わって、一瞬少し笑ったような気がした。っていうのは本当に極小だったから気の所為だった可能性もあるんだけど。
「建人……ありがとう」
でも、小さく彼女から放たれたその声は、確かに俺の耳に届いた。




