第九話 そして、彼は決意する。
夕方、我が家のリビング。本日は家族全員外出の為、フリースペースになっているリビングでソファーに寝転がってテレビで野球中継を点けていた。静寂の中流れているのは、ドームに押し寄せたファンの歓声とトランペットやトロンボーンの楽器音。そして突如鳴り響いたカキンという音でハッと意識をテレビにやると丁度相手が逆転タイムリーツーベースを打った所だった。
はあっと溜息が出たものの、普段なら共に出ていたであろう「くそー」という言葉が出ていないことにふと我ながら違和感を覚えた。更に画面右下に出ているカウントや点数等の試合情報を表示している欄を見ると回数がもう既に八回になっている。確かさっき記憶にある時点では六回でファンチームの攻撃中だった筈なのに。いつの間にやら回数が積み重なっている。
時計を見ると時間は十六時を回った所。俺の最後に見た時の記憶は十五時ぐらいだったのだが。さっきからそうなのだ。いつもなら集中して見れる、っというか見てしまう野球中継を、今日は記憶飛ばし飛ばしで見ている。気付けば時間が進んでいる。それは相手ピッチャーがエースなこともあって、淡泊に攻撃が終わっている所為でもあるが、それだけではない。他に意識が行って、脳内に情報が入ってこないのだ。
色々考えて、集中して見てられなど出来なかった。
神に成り果てた少女の過去を全て聞いて、その話と彼女の顔がやたらとリピート再生される。
人に悪意で攻撃され、周りに避けられ、自分を神だと周囲に言い散らし、そして自分自身も神だと盲信してしまった少女。やっぱりそれはぶっ飛び過ぎだとは思うけど、それでもその気持ちは痛い程理解出来てしまった。
人間には承認欲求と防衛機制がある。承認欲求っていうのは、自己が価値のある人間だという確証を得たくて他者への理解を求める、簡単に言えば他人に自分を認めてもらいたいという欲求。防衛機制は自分の精神が傷つきそうになった時安定を保とうとする精神的働き。
脇屋君や藤ヶ谷さんの話からして、愛沢優菜は元々その見た目や明るい性格から男女問わず好かれていた。あの容姿ならそれは昔からだっただろうし、彼女にとってはそれが当たり前になっていたのだろう。男子生徒からの告白を断っていた理由も単純に付き合いたい男子がいなかったからという理由だけではなく、そうやって皆に好意を寄せられる自分とその生活に満足していたから、だから誰か一人のものではなく、皆から好かれる自分であることを望んだからかもしれない。
でも、いや、だからこそそのことを快く思っていなかった女子とある時軋轢が生じ、そのことで周囲からも徐々に煙たがられ、そして一番心を許していた親友にも遠ざけられた。それまで満たされていた承認欲求に欠如が生じ、満たすことが出来なくなり、彼女は深く傷付いた。
それは元々彼女が満たされていたから。元々欠けていた部分があるなら人は慣れて日々の生活の中で気に留めなくなっていく。でも、元々満たされていたものを失ったなら人間はその失った者にしがみつく。過去にしがみついて、でも結局誰も認めてくれなんかしない。告白されて以来、誰も自分を価値ある人間だと認めてくれない。だから、その事実から逃げる為にすっぱい葡萄の理論で自分は神だと、価値ある人間だと宣い、他の者を低く見ることで自分を理解出来ないのは仕方無いと合理化させて自分を納得させた。そして思い込みは次第にエスカレートして、遂には自分を神にしてしまった。でも、そんなことをしたら余計に皆煙たがり、欲求は満たされなくなっていく。悪循環だと気付いた。だから、逃げ出した。
全く自業自得だ。そんなことをしたら、人に忌まれることぐらい分かるだろうに。
……なんて一概にバカには出来ない。悪いのは本人だけじゃない。周りだって悪い。原因だけじゃない。それより原因によって起こった結果だ。彼女にそういう行動を強いた、周囲にも問題がある。皆が周りにあわせて、一人に無関係を貫くという攻撃をした。彼女を追い詰めた。
それに、愛沢さんだってやり方を少し間違えただけだ。誰にでもある欲求を強く持ってやり方を間違えただけだ。要は誤差なのに、何故彼女はあんなに苦しまなければいけない。不公平だ。それでいてそれは公平だ。
そして苦しんでいるのは彼女だけではない。もう一人、苦しんでいる少女がいる。
昔から周囲に合わせる性格があり、親友が苦しんでいる時クラスメイトに合わせて避けてしまった。
彼女……秋谷さんは言っていた。転校初日の帰り道、俺の、秋谷さんは嫌いな人を排除するような人には見えないという言葉に対して、私もそういう人間かもしれない、と。そして無理に周りに合わせることがないと言った俺に、羨ましいと、確かに言った。
彼女は後悔しているんだ。周りに逆らうことが出来ず、親友を傷つけてしまった過去を。そして、自分自身を責め続けている。
初対面の相手に距離を測り違えてしまうというのも多分、わざとなのだろう。あえて近すぎるキャラを演じることで、相手を試していたのかもしれない。そんな自分に合わせることが出来る人を見極めていたのかもしれない。自分がもう傷付かない為に、それに何よりもう相手を傷付けてしまわないように。多分、無理矢理演じているように感じたギャルキャラは友達に合わせたというだけではなく、人を近付けすぎないようにする為だったのかもしれない。まあそれは、本人がギャルっぽくならないようにしたと証言したのだからあえてギャルっぽくしたという訳ではなく、無意識の内にそうなってしまったのだろうが。
一旦、大きく深呼吸をする。
双方とも共通して過去に囚われてしまっている。
「ちょ……」
でも、それを知って俺はどうしたい。
「ちょっと……」
友達であり続けると決めて、俺はどうしたいんだ。そしてもう一人過去に苦しんでいる少女がいると知って俺は一体どうしたいのか。
「ちゃっとバカ兄、聞いてんの!」
突如耳に聞こえて来た大声で思考が遮断された。
って、えっ、びっくりした。何っ!? っと声のした方を見ると、明澄香が不機嫌そうにこちらを見つめていた。ああ、今の明澄香か。
そういえば何か聞こえてた気がしたけど、それより考えることに気を回していたから気に留めなかった。無視した形になってしまったのは申し訳ないな。
「ごめん、ごめん。ちょっと考え事してた」
「はあっ、テレビ見ながら考え事って……。ていうか、ちょっと、なに日曜の昼間からリビングでソファーに寝転がって野球見てるのよ、バカ兄。若いくせに激ヤバでしょ」
溜息を吐いてから、顔同様に声にも苛立ちの感情を募らせて喋る明澄香。
別にやばくないですー、普通ですー。
っていうか、この妹、こないだからバカ兄、バカ兄と。やだもうこの子ったら、本当に反抗期真っ盛りね、全く。ここまで慕われていないと実感出来る呼び方もそうそう無い。
ついこないだ朝に話すまでは全然会話が無くなっていたからたまに必要事項で話をする時も、「んっ」とか「ちょっ」とか名前呼ばれないパターンばっかだったってのに。もしくは酷い時は、「建人、明澄香呼んでるわよー」っと明澄香と同じ台所にいる母に呼ばれたこともあったぐらいだ。あれっ、それ考えれば、ちょっとマシになってるんじゃね。
でも、あの日話してからまた何故か明澄香不機嫌そうにしてたんだよな。全く、何でだか。
「ハハッ、ごめん、ごめん。で、用って?」
しかし、ここはこやつよりは大人な俺。っというか、実際スルーしてしまったのは申し訳無かったし、あえて反抗せずに素直に謝罪。そして用件を聞くことにした。
それに、明澄香から話しかけてくるなんて珍しいからな。どうせ事務的なことだろうが、それでもちょっとは嬉しいもんだから。
「ちょっ、バカ兄。あのさ、ちょっと裏口から家出てくか、部屋に籠もっててもらえる?」
ふっ、早速前言撤回だな。
嬉しいもへったくれもあったもんじゃない。何だ、急に!
事務的な用件どころか、お前出て行けよ的な用件だった。
「何でだよ、嫌だよ。――俺はこのリビングの大きい液晶画面で野球を見ていたいんだ!」
というか、そっちが頼む立場なのに上からの態度なのが若干イラッと来たという理由の方が大きい。特にバカ兄の部分が。
「ハアッ、野球見たいって、考え事してたっつってたじゃん。見てないじゃん」
自分の要求が受け入れられなかったのが限り無く不快だったようで、幼稚な表現で言えば明澄香は凄い嫌そうな顔をしている。
「いや、そうだけど! これからちゃんと見ようと思ってたんですー!」
「うわっ、ちょっ、小学生かよ」
妹が若干引き気味になっている。
ぐぬぬ……。思わず咄嗟に言ってしまったが、そんな言ってから自分でも思ってしまったことを……。
「ていうか、急に帰ってきて何だよ。理由は何だ」
だから、話の矛先をすり替えた。
理由、バカ兄と同じ空間にいたくないとか無しな。それはほらっ、ちょっと流石にショックだから。今の心情的にも下手したら泣いちゃうから。うわっ、妹の言葉にショック受けて泣く兄とかマジ激ヤバじゃね。
「はあっ……いや、クラスメイトと遊んでたらちょっと私の部屋に行ってみたいって言うから、断る理由も無いし連れてきたの。で、もう家の前にいて待たせてる訳。だから、早く部屋にでも戻っててよ」
再び溜息を吐いてから喋り出す明澄香。ねえ、何その溜息。さっきからイラっと来るんだけど。っていうかお前は、溜息でワンクッション入れないと兄と喋れないのか。ったく。
それからさ、それだと俺がリビングにいちゃダメな理由にならないと思うんだけどね。だからってどういう訳だから?
とか何とか言いながら、まあ本当は気持ちは理解出来るけどな。俺もそうだけど、このぐらいの年頃の奴は友達に兄弟、特に異性の兄弟を見られるのを嫌う傾向にある。近過ぎる存在を話のネタにされるのは、どこか緊張感と照れ臭さがあるものだ。特に今は反抗期満開状態な妹は尚のことだろう。
ったく、仕方ないな。
「はいはい、分かった、分かった。部屋に戻ってやりますよ、ったく。――にしても、お前もうクラスメイトを部屋に連れてくるぐらいに仲良くなったのな。それってもしかして男か?」
何て冗談っぽく言ってみたが、射殺すような視線があるだけで、特に否定の言葉が聞こえてこない。
あれっ、ちょっと、冗談だろ。
「おいっまさか、本当に男じゃ……」
「なに、ちょっと動揺してんのよ。他に女子もいるし、大体ただの友達だから。ちょっ、キモイんだけど」
本気で引き気味に言われた。
ああ、ただの友達でしかも女子含めた数人か。なら、問題は無い。
明澄香も転校を繰り返した所為というかお陰というか、人と丁度良い塩梅で付き合うことが上手い方だ。だから、今までだって友達はちゃんと出来てきたし、寧ろ多い方だったから別に驚きという訳でもないのだが、流石に男一人だけを部屋にということは無かったからな。全く、妹に先に越されたのかと思って動揺しちゃったじゃねえか。
うん、そうだ。動揺した理由はそれだけだ。他にはない。妹に彼氏が出来ること自体に動揺したとかそういうことではない。
「てか、それならバカ兄だって女子の友達出来てんじゃん」
「女子の友達?」
疑問を付けて、思わず復唱してしまった。
誰のことだ。秋谷さんか、それとも藤ヶ谷さんか。しかし、どちらにしろ明澄香に話した記憶が無いんだけどな。ひょっとして、どこかで一緒にいるとこ見られたとか?
「ほらっ、あの超可愛い人。なんか毎日変なもの持って歩いてたり、ちょっと変わってる人がいるって話は聞いてたけど、まさかバカ兄と友達だったとはね。なに、なんぼ金渡したの?」
その妹の言葉を聞いた瞬間、ドクンと心臓が跳ね上がった。それって……。
「……何で知ってるんだ?」
少し声が震える。動揺が声に表れてしまった。
何で明澄香が、俺が愛沢さんと一緒にいたことを知っているんだ。
「えっ、なに、まさか! マジでお金渡したの! ちょっ、それは激ヤバじゃね」
「いや、違うから! そっちじゃなくて、何で俺が一緒にいたって知ってるんだよ」
「ああっ、そっちか」っと少し安堵したように呟く明澄香。
さっきの本気で心配してたのか。
「いやさ、ちょっと夜にコンビニ行ったらその人と一緒にいたバカ兄見掛けたから。てか、なになに、何でそんな動揺してんの……って、まさか! ちょっ、もしかしてその人ってバカ兄の友達じゃなくて――」
「違う。そんなんじゃねえよ」
出た声は自分でも驚くくらい鋭い。
不機嫌な顔から一転、ニヤニヤと悪戯めいた笑顔をしていた明澄香は今度はその口調に狼狽した様子を見せ始めた。
「えっ、なに、そんな強く否定しなくてもいいじゃん。なに、ちょっと怒ってんの」
そして、再びムスっと不服そうな顔で言った。
「あっ、ああ、ごめん。分かった。ともかく部屋いくよ」
明澄香の言葉で何故か怒りの感情を持っていることを自覚し、自分を落ち着かせるように大きく息を吐き出してから、謝罪する。それから立ち上がり、歩き出した。
部屋がある二階に向かって階段を歩いている途中で、後ろから声がした。
「バカ兄! その……今夜七時からまた竜一出る番組やるから、別に見てもいいよ」
ああ、そういえば前もそんなこと言ってたけど、その時は愛沢さんに会いに行って見なかったんだっけ。最近俺を見ると不機嫌そうにしていたのは、その所為だったのかもな、なんて思った。
「そりゃ、どうも。まあ、気が乗ったらな」
でも、それより。今自分の感じたことにショックを受けた。浮き彫りになってしまった自分の本心に戸惑いが隠せない。
確かに俺は今、妹に愛沢さんと会っていたということを知られて感じてしまった。やばいと。これはまずいと、一瞬でも危機感を持ってしまった。
避けられるかもしれないと知って尚、俺は愛沢さんと友達で居続ける等と決意しておきながら、そのことを知られるのを本能的に怖れてしまった。
……一緒じゃねえか。俺は他の奴と何も変わらない。俺は違うと思い込むだけ思い込んで、でも結局一緒だった。周りに自分が避けられるのを怖れてしまってるんじゃねえか。そんな醜い自分に嫌悪感を抱く。
でも、もう一つ確かに感じたものがある。いや、正確には確信したことがある。
俺が避けられるのを怖いと感じたのは事実だ。そのことに罪悪感を感じているのも確かだ……。なら、何故俺がこんな想いをしなければいけない。もうこんなの懲り懲りだ。
人と友達でいることに、普通に接することに恐怖したり、一々他人の視線を気にしなきゃいけないなんて馬鹿げている。間違っている。不条理にも程がある。でも俺がどんなにそう思ったって周りは何も変わらない。
なら、どうするれば良いか。そんなの簡単だ。
周りが変わらないなら、そんな不条理な現状の大元を変えてしまえば良い。
――彼女自身が変わるしかない。
彼女は、愛沢優菜はクラスメイトが好きな異性から告白されてそのクラスメイトに目の敵にされ、そして周りからも同じ扱いを受けた。全く、本当にドラマや小説でよくある話じゃねえか。でも大抵の創作物ではそういう扱いを受けたヒロインは最後には主人公の手を借りて救われるものだ。
勿論、俺がその使命を背負っているなんてことは言わない。俺はヒロインを助ける主人公キャラなんかではないと自覚はしている。
――それでも俺は思う。彼女の現状を変えてあげたい。
勿論、分かっている。そんなのただ俺の為に、俺が満足する為だけにそう思うだけで、そもそも相手に望まれてすらいない。自分勝手に自己満足する為だけにやる、相手の気持ちも考えない下手をすれば最低な行為。ただのエゴだ。だからこんなのヒロインを助ける主人公なんかじゃない。寧ろ悪役になるんだろう。
でも、だからどうした。知るかそんなの。自分勝手で結構。望まれていなくても、彼女が苦しんでいるのは事実なのだから、その苦しみから解放してあげたいと思って何が悪い。
どう考えたって、やっぱり見捨てられないから。俺は主人公になり得なくても、どんなに自分勝手でも、自分なりに彼女を助けたいと思っているから。
彼女も例外なく救われるべきヒロインであると信じることにする。




