第8話 朝に告げる
中学校への入学を控えた、弟が落ち込んでいた。
「お兄ちゃぁん、しーちゃんもけんちゃんも学校違っちゃった……」
そうだなあ。学区があるし、仕方ないだろ?
「そうだけど……つまんないよ」
新しい友達を作る……お前にはちょっと難しいかもな?
「そんな事ないけど……つまんないよ」
相当、中学がつまんないんだな。
「笑うなよ!」
ゴメン。じゃあ、何かあったらオレの所に来いよ。下の階にいるんだからさ。
「えー、二年生の教室なんか怖くて行かれないよぉ」
……それもそうか。
「ん。でも、お兄ちゃんがいるってわかってるからいい」
それから、弟ははにかみながら笑う。
「お兄ちゃん、大好き。ありがと、側にいてくれて」
「……」
久しぶりに昔の夢を見た。
ブカブカの学ランで拗ねていた真宙。可愛かった。
それがこんなにデカくなるなんて思わなかった。
好きになるなんて思わなかった。
眠れなかった頭を無理矢理覚醒させて起き上がる。
真宙はまだベッドの中だった。
起こさないようにそおっと歩いて家を出た。
コンビニから帰って来ても、真宙はまだ寝ていた。
不貞腐れているだけかもしれないけど、まだ朝も早いから放っておく。
それよりも、これからオレは必勝祈願の朝食を作らなければならない。
「で、出来た……」
思わず声が漏れた。
非常に形が崩れているけれど、フレンチトーストにはなった。
コンビニにはバニラエッセンスがなかったので、それだけが気がかりだけど。
「おはよう……兄貴」
甘い匂いに誘われたのか、真宙がぬぼっと起きて来た。
オレは昨夜何もなかったみたいに笑いかける。「兄弟」なんだから、それでも大丈夫。
「おう。朝飯だぞ」
「ん……」
不恰好なフレンチトーストを見て、真宙は少し笑った。
オレ達は「兄弟」だから、これで大丈夫。
「あのさ、兄貴……」
食後のインスタントコーヒーを啜っていると、真宙が遠慮がちに聞いた。
「兄貴は……俺のことが好きなの?」
「んんぐっ! な、なな、何!?」
不意にコーヒーが喉を通って熱い。一気に頭に血が上る。
オレはまた赤面しているか? コーヒーでやけどした事にならないだろうか。
「いや、俺が嫌いじゃないんなら、好きだから家を出たのかな……って」
さすがオレの弟。全部わかってる。
だからこそオレ達は「兄弟」のままでいるべきなのかもしれない。
「誤魔化さないで……ちゃんと、教えて」
だけど真宙の瞳は、オレのそんな小さなこだわりを飲み込むように深い色を湛えていて。
この瞳に恋心を抱いた時点で、オレの完全な負けだった。
「……うん」
真宙のまっすぐな瞳に、真宙のまっすぐな言葉に、オレが抗える訳がない。
「お前が、好きだ……」
誤魔化しようのない気持ちを、たった一人の弟にぶつけてしまった。
「ごめんな」
好きになって、ごめん。兄貴でいられなくて、ごめん。
「謝らなくていいよ、兄貴」
真宙は大きく頷いた後、立ち上がる。
何がなんだか。オレが呆けて見ている間に制服に着替えて、カバンを肩から下げた。
それから振り返って、真顔で言う。
「とりあえず、試験、受けてくる」
「アアッ! ごご、ごめん、大事な朝にこんなこと……」
弟の受験のために生きるはずだったのに。
肝心な所でオレは失態を犯している。
「大丈夫」
慌てるオレに、真宙は朝日を背負って力強く笑った。
「今の俺は、無敵な気分なんだ」
しっかりした足取りで。背筋を伸ばして。
真宙はオレに広い背中を見せて、出かけていった。




