第9話【副団長、保育補助に就任す】
「シア先生、検温はもっと優しく! 敵襲じゃないんですから!」
塔の中に、聡介の切実な声が響いた。
現在の竜人族戦士団は、文字通り満身創痍だった。数年前のスタンピードで団長夫妻という精神的支柱を失い、若きイグニシアが副団長としてそのすべてを背負っている。
魔物の見回り、食糧確保の狩猟、兵士の練成、里の治安維持……。彼女の睡眠時間は削られ、常に戦士としての「緊張」を強引に維持し続ける日々だった。
そんな彼女を動かしたのは、ドランの変容だ。
あれほど心を閉ざし、魔力を暴発させていたドランが、聡介という「人族の男」のそばで、見たこともないほど穏やかな寝顔を見せている。
「……私には、できなかったことだ」
その感銘が、疲弊しきった彼女を突き動かした。
彼女は公式な休息時間を返上し、軍務の合間のわずかな「隙間」を縫って、志願して保育補助に就いたのである。
「……おまえたち! 今日の体調に曇りはないか! 離脱は許さんぞ、前へ!」
イグニシアは、聡介が手作りした『しあ せんせい』というひよこの名札を皮鎧の胸元に輝かせ、軍隊ばりの点呼を取る。
「シア先生、子どもたちが怯えてます。もっと、こう……ふにゃっと笑ってください」
「ふにゃっと……? ぬ、ぬぐぐ……」
無理に作った笑顔は、もはや「不敵な笑みを浮かべる狂戦士」だったが、彼女は必死だった。
午前中の「小麦粉粘土」の時間は、彼女にとっての戦場だった。
「シア先生、粘土は『こねこねして、気持ちいい』を楽しむ遊びです。攻城戦のシミュレーションをやめてください」
粘土で不格好な砦を築いては、子どもに「ここが弱点だ」と説くシアにツッコミが入る。
そして昼食後、シアに早馬が届く。
「副団長! 北の森に魔獣の影! 指揮をお願いします!」
「……心得た」
名札をつけ、ドランを膝に乗せたままのイグニシアが、一瞬で戦士の目に戻る。
彼女はドランをそっと聡介に預けると、粘土のついた手で剣を握り、風のように去っていく。
数時間後、返り血を浴びて戻り、兜を脱ぐ間もなく「お昼寝」のトントンに参加する……という、凄まじい「二足のわらじ」状態だった。
ーーーーーーー
イグニシアは、お昼寝中のドランの背中を、不器用な手つきでトントンと叩き続けていた。
ドランの顔付きは、今は亡き団長――バルドスに驚くほど似ている。
目を閉じれば、憧れた男の面影がそこにある。だが同時に、そのまつ毛の長さや眼差しは、親友でもあり自分を妹のように可愛がってくれたかつての副団長、ミレイユの生き写しだった。
(……この子は、私の希望であり、私の敗北の証でもある)
イグニシアの心に走る、冷たい嫉妬の棘。
それを押し殺すように、彼女は軍務の隙間を縫ってここに来る。
バルドスたちが命を賭して守ったこの子を、今度は自分が守らねばならない。だが、どう愛せばいいのかが、どうしても分からない。
そんな彼女の横で、聡介が穏やかに声をかける。
「シアさん、さっきよりずっと優しいリズムになりましたね」
「……そうだろうか。手の内を読まれているようで、あまり心地よいものではないな」
「あはは。保育士は子どもの表情だけじゃなくて、大人の表情も見るのが仕事ですから。……シアさん、頑張りすぎですよ」
聡介は、イグニシアが抱える「背景」を詳しくは知らない。
けれど、彼女がドランに向ける眼差しの中に、深い愛情と一緒に、何か重く苦しい「棘」があることだけは察していた。
その時、塔の扉が乱暴に開かれた。
「――副団長! 職務中に、またこのような場所に籠もっているのか!」
入ってきたのは、族長の側近を務める古参の戦士だった。
彼は皮鎧の胸元に揺れる『しあ せんせい』の名札を一瞥し、これ以上ないほど不快そうに顔を歪めた。
「族長がお呼びだ。貴殿の『奇行』と、戦士団の規律の乱れについて……釈明していただこうか」




