第10話:【断罪の族長と、静かなる保育士の「受容」】
里の広場は、重苦しい沈黙に支配されていた。
中央に立つのは、族長ギルガラン。100年以上の年月を戦い抜いてきた豪傑の放つ威圧感は、並の人間なら呼吸を忘れるほどに重い。
その矛先は、伝統を乱したとして呼び出されたイグニシア、そして人族の男――聡介へと向けられている。
「イグニシアよ。職務を放り出し、この人族と『ままごと』に興じているというのは真か?」
ギルガランの視線が、射抜くように聡介を捉える。
「……フン。見たところ、まだ鱗の一枚も揃わぬような幼い若造ではないか。そのような小童の『甘え』を持ち込むのは、里そのものを滅ぼす毒。……貴様たちはこれ以上、里を汚すというのか!」
(……若造、か。やっぱりそう見えるよなぁ。鏡で見た自分でも二度見したけど……)
聡介は真っ向から視線を受け止めたが、内面はそれどころではなかった。
(……あー、やっぱり来たか。経験年数が増えても、この「敵意の気配」だけは慣れない。正直、めちゃくちゃ怖い。……何もそんな威圧的に言わなくても……相手は竜人族の豪傑? 俺、なんでこんなことしてんだろ。逃げ出したい。……あ、今の体、胃は痛くないのか? 若返った実感がこんなところで来るなんて、皮肉だな……)
思考が千々に乱れる中、ギルガランの拳が、みしり、と音を立てた。その殺気に、聡介は現実に引き戻される。
「黙るというのか。それとも、言葉も出ぬほどの臆病者か! 貴様は、その時責任が取れるのか! 甘やかしは、時に死を招く毒となるのだぞ!」
族長の一喝に、聡介の背筋が冷たく跳ねた。
(……。でも、こんなに怒ってるってことは、ここがあの人の譲れない部分なんだろうな。この里を一人で背負ってきた「恐怖」の裏返しなんだ……。よし、落ち着け。深呼吸。歩み寄らなきゃ、ここから先には進めない)
聡介は震える指先を隠すようにエプロンの上で重ね、ゆっくりと顔を上げた。
「……族長さん。……ありがとうございます。……責任、という言葉。その重さを誰よりも知っているあなたが、あえて僕にそれを問うてくださったこと……心から、感謝します」
「……感謝だと?」
「はい。僕も毎日、怖いです。でも、あなたがそうして『門番』のように厳しく目を光らせてくれているからこそ、僕は安心して、この子たちの『心の育ち』に専念できる。……そう、思っています。僕も、あなたも。そしてドランくんの両親も。……この子が、健やかに、明日も笑っていてほしい。その願いだけは、きっと同じですよね」
その時、それまで俯いていたイグニシアが、ゆっくりと顔を上げた。その瞳には、迷いを断ち切った強い光が宿っていた。
「……族長。私は今まで、戦うことだけが……己の心に蓋をし、ドランを『戦士の卵』としてしか見ていなかった。……けれど、それは私の逃げでした。この子を愛すること、この子の孤独に寄り添うことが怖かったのです!」
シアは一歩前に出て、ギルガランを真っ直ぐに見据えた。
「ソウスケが教えてくれたのは、戦うこと以上に難しい『保育』という道です。私は、この子を笑顔にしたい。……父上! 私を副団長としてではなく、ドランの傍にいる『シア』として……一人の先生として、信じてはいただけませんか!」
気高い叫びだった。ギルガランが、愛娘の叫びと聡介の言葉に、押し黙る。
その表情にわずかな揺らぎが生じたのを見て、聡介は静かに、自身の不透明な現状を交えた提案を添えた。
「族長さん。……僕は旅の者です。というか、自分がどこから来て、どこへ行くべきかも分からない、ただの迷子です。いつ、ここを去らなきゃいけないかも分からない。だからこそ……僕がいる間だけでも、あなたが守っている『強さ』の隣に、僕の『保育』を置かせてほしいんです。相反するように見えても、どちらもこの子の命を守るための、大切な『守り』の形だと思うから」
伝統を重んじる戦士たちの手前、族長が言葉を失ったその時、背後からひらひらと軽い足取りで、ヴォルカが割って入った。
「――おやおや。父上、そう熱くならないで。ソウスケ殿やイグニシアの言うことにも、一理ありますよ」
ヴォルカは族長の隣に並ぶと、事務的なトーンで、自身がまとめたデータを読み上げた。
「父上、先日のご命令通り報告いたします。ここ数日彼らと行動を共にしながら分析しましたが、里における魔力暴走の発生件数は確実に減少しています。これは里の防衛効率を向上させる『軍事的な利益』に繋ります。……ここで彼らを処罰するのは、合理的ではありませんよ」
その言葉を紡ぎながら、ヴォルカは聡介の隣に並び、一瞬だけ聡介に向かってパチンとウィンクをして呟いた。
(ソウスケ殿、ナイスですよ。父上の心にはもう、十分届いています。あとは『理屈』で逃げ道を作ってあげないとね)
ギルガランは長い沈黙の後、小さく鼻を鳴らした。
「……ヴォルカ。余計な知恵を。……ソウスケといったか。貴様の術が里の益となるか、引き続きこのヴォルカに見極めさせる。イグニシア、貴様もだ。職務を全うしつつ、その『ほいく』とやらをやり抜いてみせろ」
背を向けて去っていくギルガラン。その足取りが、先ほどよりも微かに軽くなったように見えた。その瞬間、聡介の膝からガクンと力が抜けた。
「ふぅ……。心臓に悪いなぁ、もう。なんとかなる、とは思ったけどさ。……よいしょ……。あー、死ぬかと思った。ルカさん、シアさん、僕、変なこと言ってなかった? 顔、引き攣ってなかったかな……」
「よいしょ」と口に出てしまった自分に、中身がおじさんのままであることを自覚しながら、力なく切り株に座り込む。
「……体は若返ったみたいでも、緊張した時のこの『どっと来る感じ』は変わらないんだなぁ……」
脇汗を拭い、首筋をさすって溜息をつく。聡介は隣の青年に声をかけた。
「助かりましたよ、ルカさん。ナイスフォロー!」
「……ソウスケ殿。何度も言いますが、私の名はヴォルカです。その愛称で呼ぶのは控えていただけると……。まあ、いいでしょう。今日は貴殿の熱意に免じて、目を瞑ります」
ヴォルカは呆れたように肩をすくめたが、その口元は緩んでいる。
「……シアさん。僕ら、合格みたいですよ」
「……あ、ああ。……そうだな、ソウスケ」
イグニシアは不器用に微笑んだ。
聡介に「シアさん」と呼ばれ、胸元の『しあ せんせい』という名札を誇らしく握りしめる彼女は、もう、独りで戦う戦士ではなかった。




