第11話【竜の里の静かなる綻(ほころ)び】
「ひよこ組(異世界分園)」としての活動が始まってから、数日が過ぎた。
子どもたちも寝静まったであろう夜更けに、塔の一室で、聡介とヴォルカは、揺れるランプの火を囲んでいた。
「……ソウスケ殿。あの日、父上がなぜあそこまで頑なだったか、改めてお話ししておかなければなりません。そして……この数日、あなたの『保育』を間近で見せていただいた今だからこそ、伝えたいことがあるのです」
ヴォルカが、自身の細い指先を自嘲気味に見つめながら切り出した。
昼間の快活な彼とは違う、どこか湿り気を帯びた「兄」の顔だった。
「この里は武力がすべてです。族長である父上は、名実ともにその頂点。そして、戦士団を率いる団長筋。その二つの太い柱が里を支えてきました。……ですが今、その柱はどちらも折れかかっています」
ヴォルカが机の上に広げた古い羊皮紙をなぞった。そこには、歴代団長の名が連なっている。
「次期団長であるはずのドランは、まだ幼く、その力は『悪魔憑き』として忌まわしき暴走を招いている。そして……次期族長を継ぐべき僕は、見ての通り、剣一本満足に振るえぬ役立たずです」
「……ルカさん」
「父上は、焦っているんです。自分が生きているうちに、脆弱な後継者である僕でも里を統治できる仕組みを作るか、あるいはドランを『兵器』として完成させるか……。その強迫観念が、里に重い足枷をはめている。……だからこそ、ドラグシアへの負担が、あそこまで膨れ上がってしまった」
ヴォルカの瞳に、深い後ろめたさが滲む。
「女性でありながら類まれな武力を持つドラグシアは、力が全てのこの里で、実力のみで副団長の座を勝ち取った。彼女は、父上にとっては『跡を継げぬ息子の代わり』であり、亡き母上の面影であり、里を繋ぎ止めるための『最強の楔』なんです。彼女がドランの監視で心を擦り切らしていく姿を、父上も、そして兄である僕も、どれほど苦しい思いで見てきたか……」
ヴォルカは一息つくと、居住まいを正し、真っ直ぐに聡介を見つめた。
「武力としては役立たずな僕の知略で、この古い慣習を上書きしてやりたい。……それが、この里が未来へ生き残る唯一の道だと信じているんです。……ソウスケ殿」
ヴォルカの言葉に、力がこもる。
「……この数日間、あなたと過ごして、私はその力に希望を見出しました。あなたはドランを『兵器』ではなく、ただの『子ども』として扱ってくれた。それだけで、あの子の魔力は、かつてないほど穏やかに凪いでいる。……ソウスケ殿。あなたの『保育』で、私に力を貸してはくれませんか? ドランを導くことで、ドラグシアを『楔』の役割から解放したいのです。……そして、父上の肩の荷も」
聡介は、ヴォルカの静かな、けれど震えるような願いを、真っ向から受け止めた。
24年間、日本の保育現場で見てきた「組織のしがらみ」や「不器用な親子関係」。
形は違えど、そこにあるのは、大切なものを守りたいがゆえに自分を縛り付けてしまう、人間の切実な営みだった。
「……ルカさん。あなたは、本当にこの里を、そして家族を愛しているんですね」
「……っ。……買いかぶりですよ。僕は、自分の不甲斐なさを埋めたいだけだ」
ヴォルカは照れ隠しに顔を背けたが、その耳は微かに赤くなっていた。
聡介は、いつものように穏やかに微笑み、お茶の入ったカップを差し出した。
「分かりました。僕にできることなら、喜んで協力させてください。……なんとかなるさ、じゃなくて、なんとかしましょう。ルカさん」
夜の静寂の中、不器用な兄の決意と、異世界から来た保育士の「受容」が、静かに溶け合っていった。
この里の長い歴史を塗り替える、小さな、けれど確かな一歩。
聡介は、明日からの「日常」がより愛おしいものになると確信しながら、消えかかったランプに火を灯し直した。




