第80話:【物々交換の約定、忍び寄る影】
「まず前提として気付いたのが、今の僕たちは、コインを必要としません」
隣にいるディーザが少し驚いたような様子で聡介のことを見やる。
「と、言うと? 商売をする気がなくなったということか」
腕を組みながら言うローレンツは、表情こそ変わらないが、失望を隠せないでいる。
「違うんです。コインを得ても、現状使い所がないんですよ。バザールの価格の乱暴さはもうご存知ですよね……」
「続けろ……」
「はい。なので、余計な貨幣でのやりとりを挟まずに、現物同士で直接取引できたらと思うんです」
「なるほど……確かにお互いが望むものが現物である以上、物資を直接やり取りする方が理にかなってはいるな……。お題目は分かった……で……」
そう言うとローレンツはテーブルに手をついて、聡介を睥睨する。
「結局はどうするつもりなんだ」
聡介はローレンツの瞳をまっすぐに見つめ返した。胸元のひよこに手を添えて、一呼吸。
「そこで、ローレンツさん。朝のお話を覚えていますか?」
「……朝の?」
「『港の男が一日の終わりに飲む一杯の価値』や『旅の商人の宿代』で考えろ、とアドバイスをくださいましたよね。あれ、すごく腑に落ちたんです」
聡介は優しく微笑み、前傾姿勢になってローレンツに問いかけた。
「僕たちが作る『万能出汁粉』。これと、そちらの船にある『塩や穀物や調味料、そして新しい調理器具』。……これを、子どもたちや旅の商人がお互いに『ちょっとした贅沢』として笑って分け合える割合で直接交換するなら、一体どれくらいの比率が対等だと思いますか?」
「……っ」
ローレンツは一瞬ハッとしたように目を見張り、次の瞬間、くつくつと喉を鳴らして笑い出した。
「くっ……ハハハ! お前というやつは……! 朝の言葉をそのまま俺に突き返してくるとはな!」
「ふふ、丸投げじゃありませんよ。バザールの現状を見て、俺にも噛ませろと言ってくれた、あなたの『商人としての誇りと目利き』を、百パーセント信用して聞いているんです」
ローレンツは笑いを収めると、ニヤリと不敵な笑みを浮かべ、腕を組んだ。
「俺が言い出さなかったらどうしていたのか気になるところだが……」
ローレンツはそう呟いて一呼吸おいて話し出す。
「いい度胸だ、ソウスケ殿。……乗った。俺たちの積荷から『上質な塩と穀物に調味料』、それに『調理器具と食具のセット』を出す。その代わり、お前たちのその粉は、うちの商団の『特別仕入れ』として、出せる限り全量を回してもらうぞ」
「交渉成立、ですね」
──こうして、貨幣を介さない「命と生活の物々交換」の基本合意が結ばれた。
その後の細かな搬入量や交換の割り当てについては、ディーザとローレンツの副手たちが羊皮紙とそろばんを弾きながら、現実的で抜かりのない詰めの作業に入っていったのだった。
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本格的な商取引は明日にして、お互い物資を用意することにした聡介は、ローレンツたちにグラムの宿を紹介し、その後ろ姿を見送った。宿への先触れはライクが買って出てくれたので任せることにした。
船番の人たちには、あとで差し入れでも持っていこうかなと思う聡介に、ディーザがつかつかと近づいてくる。若干機嫌が悪そうな雰囲気に、聡介は少し身構えた。
「ディーザさん、折衝お疲れ様です。助かりました」
「いいんです。これが本来の私の仕事でしょうし……。ソウスケさん、少しいいですか」
「はい、なんでしょう」
きたなと思いつつ、居住まいを正す聡介。彼の不安とは裏腹に、ディーザの質問は真剣味を帯びていた。
「なぜ、先方に交換の割合を委ねたんですか? ある程度事前にこちら側の条件を練っていたにもかかわらず……」
それを聞いて、聡介はハッとする。そして頭を下げて謝りつつ、思いを告げていった。
「すいません、一緒にたくさん考えていただいたのに、無視するような形になって……」
「いえ……それはいいんです。でも、気になってしまって」
「……ローレンツさんが、俺たちにも噛ませろと言ってくれたんです……。凄く嬉しかった。あそこから僕たちは一蓮托生、それならば専門家に任せるのが一番だと判断したんです」
「あの言葉がなければ、元々の提案をするつもりだったんですけどね……。結果的にはあのようになりましたけど、自分たちである程度価値をつけておくことは無駄ではなかったと思います」
「……そうでしたか……。 まあ、想定よりもいい取引ができたので、不問にします。……あなたも、ローレンツさんも、本当に人が良いですね……」
褒められたのかは微妙だが、ディーザはなんとか納得してくれたようで、不機嫌な気配も消えている。
「ありがとうございます。これからもよろしくお願いします」
聡介はにこやかに微笑むと、うーんと伸びをして気合を入れなおした。
「さて、明日の準備でもしましょうか」
商品の容れ物に困っていることを素直に告げて、融通してもらった皮の袋に万能出汁粉を詰めるため、聡介は腰を上げお仕事を割り振りに行くのであった。
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ある部屋の室内で、仕立てのよい商団服を身に着けた男が執務机に向かっている。おそらく幹部クラスであろう男のその胸元には、バザールを仕切る商団を示すエンブレムがつけられている。
部屋はバザールの中でも特に瀟洒に作られており、足元の絨毯は柔らかく、執務机も洗練されたものだった。
その机の上には様々な書類が並び、静かな部屋には、幹部の男が走らせるペンの音だけが響いていた。
しばらく静寂が続いた頃、ノックの音が響いた。
「どうぞ」
丁寧で柔らかいが、どこか粘着質な声で幹部の男が促すと、側近の男が入室してきた。
「失礼いたします。ご確認いただきたい書類をお持ちしました」
「そうですか、ここに置いてください」
幹部の男はそう言うとペンを置き、ぐっと伸びをする。
「ふぅ〜。書類仕事が続くとどうしても肩が凝りますね。一休みします、お茶を入れていただけますか」
「かしこまりました」
側近の男はそう言うと、魔法陣を使った調理器具にポットをかけ、茶の準備にかかる。
それを待つ間、手持ち無沙汰になった幹部の男は、大して興味もない様子で側近の男に尋ねた。
「そう言えばあなた、以前口頭でなにか報告してましたね。なんでしたか、子どもがいなくなったとかなんとか」
側近の男は茶を用意する手を止めることなく、淀みなく答える。
「はい、査定所で雇っていた子どもが突然来なくなったとか……。部下はどこかで野垂れ死んだんだろうと言っていましたが、気になったので他の店舗にも確認すると、軒並み雇っていた子どもがいなくなったとのことです」
「ほぅ、それで……」
「調べさせました。結果としては、亜人どもが龍の聖堂とか呼ぶ、旧バザールの最果てにある建物を改装して、そこで暮らし始めたようですね……。どうぞ」
差し出されたお茶を一口飲み、ホッと息をはく幹部の男。一心地ついたタイミングを見計らって、側近の男は話を続ける。
「どうやら、何者かが肩入れしているようです。養護園などと嘯いて子どもたちを集め、桟橋を作るなどして、漁もおこなっているようです……。まぁ、獲物はサザナミマスのようですが……」
「サザナミマス?……フッ、フフフ……それはまた随分と上等なものを食べられるようになったんですねぇ」
意地の悪い笑みを浮かべた幹部の男は、それで興味も満たせたのか、お茶をまた飲み始めた。
と、その時、再び部屋にノックの音が響く。
側近の男が訪れた者から報告を聞くと、にわかに表情が曇った。相手を下がらせると、幹部の男に報告をする。
「少し風向きが怪しくなったようです」
「何の話ですか」
「先ほどお話した養護園の桟橋に、商団の船がつけられているとのことです。見慣れぬ商団とのことで、ゾロゾロと建物に入っているところを見かけたようです」
「それはそれは、何の取引をするつもりなんでしょうね。まぁ、手が空いているものに今後も適当に見張らせておきなさい」
「かしこまりました」
幹部の男は再び体をほぐすように伸ばすと、書類の整理に取り掛かるのだった。




