第71話:【古き炉の記憶と、竹を編む手】
漁師の朝は早い。そう思っていた聡介は、日の出とともにグラムの宿へと向かった。
「おはようございます」
そっと扉を開けると、中にいたのはザガスと、眠そうな目をこすっているグラムだけだった。
「おう、ソウスケの旦那。おはようさん」
「あれ、皆さんは?」
「ヤツらならまだ寝てやがる。こんな休暇めったにねぇからな、ったく最近の若ぇ奴らは……」
そう言いながら、ザガスは手元のカップに口をつけた。
「ソウスケさんよ、こいつを何とかしてくれ。眠くてかなわん」
グラムがカウンターに突っ伏すようにして呻いた。
「やかましい、少しくらい付き合いやがれ!」
「あのなぁ、お前らが急に来るから、こちとら宿の準備にてんてこ舞いだったんだぞ……」
「だから昨日の朝方にちゃんと寄っただろうが! とっておきの干魚を土産によぉ。ヤバネウグイにカガミマスだぞ」
「そりゃあ美味かったが、それとこれとは話が別だ……」
気安いやり取りに、聡介はつい頬を緩めた。
その視線に気づいたザガスが、居心地悪そうに体を揺すり、カップの中身を一気に飲み干す。
「ソウスケの旦那よ、こんな辛気臭ぇところにいてもつまらねぇ。なんか面白いもんでもねぇか」
「それなら、丁度お尋ねしたいことがあるんです」
「何でも構わねぇよ。んじゃ行こうぜ」
ザガスはそう言うと、大股で入り口に向かっていく。聡介はグラムに軽く頭を下げてから、その背中を追った。
「……相変わらずだな」
グラムが一人、小さく呟いた声は、二人の背には届かなかった。
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たつのこ園に戻った聡介は、まっすぐに宿坊の奥、ディーザに乾燥室だと教えてもらった部屋へとザガスを案内した。
「ザガスさん、この部屋なんですけど。ディーザさんは乾燥室だと言っていましたが、使い方が分からないんですよ……」
ザガスは室内を覗き込み、腕を組んだ。
「……ああ、こいつは」
「ご存じなんですか」
「俺の爺さんが、若ぇ頃にここに世話になったことがあるって話してたな。確か……乾かす部屋でもあり、温まる部屋でもある、だったか」
「温まる?ですか」
「あぁ、詳しい仕組みは知らんが、部屋自体を温めて体や服を乾かすことができる。そんで、焼いた石をここに入れて水をかけると、部屋の中が熱い湯気で満たされるんだと。それが何とも気持ちいいってよく言ってたが……」
ザガスは部屋の中央にある素焼きの壺のようなものを見ながら肩をすくめた。
「眉唾としか思えねぇよな。石に水かけて気持ちいいって、どういうこった」
聡介の頭の中で、何かがかちりと繋がった。
(なるほど。サウナとしても使えるのか……)
「部屋を温める……。石を熱して、水をかける……。ザガスさん、その為の場所とかは……」
「あぁ、それなら外に炉があるって話だぞ。ちと見に行ってみるか」
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宿坊の裏手に回ると、例の部屋の外壁に埋もれるように、苔むした石造りの炉があった。
長年の間、雨風に晒されていたのだろうが、傍目には特に傷んでおらず、ただ古びているだけに見える。
聡介がしゃがみ込んで炉の内側を覗き込むと、うっすらと模様のようなものが刻まれているのが見えた。
「これは……」
「魔法陣だな」とザガスが言った。
「うちの船の底にも似たようなのが彫ってある。昔の連中が編み出した技法だ」
「動かせそうですか」
ザガスは、模様の一端に手を触れて暫くすると、目を細めた。
「……反応が薄いな。長い間使われてなかったせいだろう。手入れをすれば使えるかもしれんな」
「そうですか……」
聡介は炉の内側の表面をそっと撫でた。線のような無数の窪みが、指先に冷たく残る。
(直せたらきっと役に立つ。……焦らず、少しずつだな。一度船の魔法陣を見せてもらおう……)
そう結論づけたところで、湖の方角から賑やかな声が近づいてきた。
振り返ると、寝ぼけ眼をこすりながらも身支度を整えた漁師たちがぞろぞろとやってくるのが見えた。
「もうそんな時間ですか……。ザガスさん、色々と教えていただいて、ありがとうございました」
「おう、いつでも付き合ってやるよ」
二人は言葉を交わしながら桟橋へと向かった。そして、出そろった漁師たちに向かって聡介は頭を下げながら言った。
「それでは、本日は生け簀づくりです。よろしくお願いします」
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生け簀を作る場所は、桟橋と陸地の間にできた浅瀬に決まった。
「まずは杭からだ! 昨日の余りを使うぞ!」
ザガスの号令とともに、屈強な漁師たちが浅瀬に杭を打ち込んでいく。ドスン、ドスンという鈍い音が、朝の水面に規則正しく響いた。
その傍らでは、別の一団が湿地帯特有の竹に似た素材を切り出し、しなやかにするために炙って加工していた。
「ライクくん、ドランくん、ちょっといいかな」
聡介が声をかけると、二人が駆け寄ってくる。周りには年長組の子どもたちもいた。
「今日は、みんなにも手伝ってほしいことがあるんだ」
「俺たちが?」とライクが眉を上げた。
「うん。この生け簀、これから毎日のお世話をするのはたつのこ園のみんなだからね。作り方を知っておいた方がいいと思うんだ」
「……なるほどな」
ライクは納得したように頷き、隣のドランを見た。ドランはすでにクリムを地面に座らせて、興味津々に竹材を覗き込んでいる。
「よし、教わろうぜ」
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「ここをこう、交差させてから……いや、そっちの端が長ぇよ坊主」
漁師の一人が、不慣れな手つきで竹を編む子どもの手元を覗き込んだ。
「こう?」
「おう、それでいい。筋がいいじゃねぇか」
年長組の子どもたちが、慣れない手つきで竹を編んでいく。
指を挟んで小さな悲鳴を上げる子もいれば、思いのほか器用に形を作っていく子もいた。
漁師たちも初めは戸惑っていたが、次第に「そこはもう少し締めて」「力を入れすぎるとしなりが死ぬ」と、身振り手振りで教え始める。
その様子を横目に、聡介は桟橋の資材の余りで、生け簀の中心に突き出すように、手すり付きのデッキを作っていった。
(ここに足場があれば、魚をすくう時に転落の心配も減るし……子どもたちだけでお世話する時も安心だ)
聡介が刻み、漁師たちが組み上げていく。息の合った手際は、もう昨日までの手探りとは違っていた。手すりには、工作セットの釘も使って素早く建てつけていった。
聡介は、時折エプロンのひよこを一撫でしながらも、手を止めなかった。
「ソウスケさーん! サザナミマス獲ってきたッスよー!」
「サップくん、ありがとう! ちょうど生け簀の枠が出来上がったところだよ」
「おおー、いいタイミングッス!」
出来上がったばかりの竹製のフェンスが、浅瀬に沈められ、杭に縛り付けられていく。
その中へ、サップが慎重に魚を放していった。水面に、銀色の光がいくつも跳ねる。
「わぁ、いっぱいいる!」
ドランが手すりから身を乗り出し、歓声を上げた。
「危ないよ、ドランくん。落ちないようにね」
「大丈夫だよ、先生! ……あ、逃げた!」
その日の午前中の作業は、そこで一区切りとなった。
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昼食を挟んで、午後の作業が始まった。
漁師たちは、使い古した道具を子どもたちに持ってきていた。
「ほら、古いがまだ使えるやつだ。持ってみな」
網を渡された子どもの一人が、その重さに思わずよろける。
「うわ、重い……」
「慣れりゃどうってことねぇよ。ほら、こうやって振る」
漁師が手本を見せると、子どもたちが真似をして振ってみる。うまく広がらずに絡まってしまう子もいたが、それを見た漁師が笑いながら直し方を教えていた。
午前中の共同作業のおかげか、その空気はすっかり和んでいた。
「お前ら、筋がいいな。将来漁師にならねぇか」
「……うるせぇ。俺はもう仕事してんだよ」
ライクが憎まれ口を叩きながらも、まんざらでもなさそうに網を捌いていた。
年長組の中にも、漁師たちの教えに真剣味を帯びた瞳で取り組む子がいた。その光景が、聡介に新たな考えをもたらしていた。
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夕方が近づく頃には、生け簀の周りに子どもたちの歓声が響いていた。
「見て見て、こんなに獲れた!」
「僕はもっと獲るぞ!」
竹製のすくい網を手に、子どもたちが交代で生け簀に挑んでいる。漁師たちがその後ろで、時折コツを教えながら見守っていた。
「そこはもうちょい深くだ」「あぁ、逃げられちまったな」「次は行けるぞ!」
聡介はその輪の外から、微笑ましくその光景を眺めていた。
やがて日が傾き始めると、獲れたサザナミマスを手に、皆でたつのこ園へと戻っていった。
夕食の支度が始まった調理場からは、香ばしい匂いが漂ってくる。
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食事を終えた頃、漁師たちが引き上げの支度を始めた。
「じゃあな、ソウスケの旦那」
ザガスが声をかけてきた。聡介たち皆で見送りに出る。
「ザガスさん、今回は本当にありがとうございました」
「なに、俺たちも楽しませてもらったぜ。それで、例の部屋はどうするんだ」
「あ、はい。何とか使えるようにしてみますよ。明日はサップくんに船の魔法陣を見せてもらおうと思ってます」
聡介がそう答えると、ザガスはふむと考えた後、ニヤリと笑った。
「小船を一艘置いてってやるよ。そっちの方が船底を見やすいだろうし、湿地も走れるやつだから、何かと便利だろうよ」
「いいんですか、ありがとうございます」
「いいってことよ。それより、また何か面白ぇことがあったら教えてくれや」
「はい、必ず」
「おう、オメェら!行くぞ!」
ザガスの号令に、漁師たちが船へと乗り込んでいく。ドランや子どもたちが桟橋の縁で大きく手を振った。
「またねー!」
「おう、またな!」
船が湖面を滑り出し、夕暮れの水面に幾筋もの波紋を描いていく。
聡介は、その背中が小さくなるまで、深く頭を下げ続けていた。
「まさか、船まで置いていくとはな……」
「頭領は身内に甘いんッスよ」
「魔法陣って、何をするつもりなんですか?……そもそもリザードマンの船の魔法陣とは過去の偉人達の……」
口々に話し出す面々に、聡介は微笑を浮かべながら、その輪の中に入っていくのだった。




