第7話【歪んだ理(ことわり)と、保育士の誓い】
ふぅ、と。イグニシアがドランを座らせた椅子から、緊張の解けた長い吐息が漏れた。
聡介は、処置を終えて指先に残ったワセリンをティッシュで拭い、何気なく先ほどのアルミの空き袋を丸めた。
「あ、これゴミですね。捨てておきます」
その瞬間だった。
「待ってください! ……それを、捨てると言うんですか!?」
ヴォルカが、まるで国宝が打ち捨てられるのを見たような悲鳴を上げて、聡介の手を止めた。彼は震える手で、聡介から丸められたアルミの包装を奪うように回収した。
「……なんだ、この素材は。布ではない、金属……いや、これほど薄く、かつ滑らかに加工された魔導銀など見たことがありません。それに、この密閉技術……」
ヴォルカの目が、片目に嵌めた水晶レンズ越しに鋭く光る。だが、彼を最も驚かせたのは、その素材そのものではなかった。
(……信じられない。これは間違いなく『理』を書き換えるほどの純粋な魔力の残滓……。こんな清涼な力、賢者の魔法書にすら存在しないぞ)
ヴォルカは、アルミ包装に残った微かな「未知なる魔法」の余韻に戦慄し、目の前でひよこアップリケが着いたエプロンを整えている男を、底知れない存在として確信した。
「……さて。ヴォルカさん。ゴミの分析もいいですが、本題に入りませんか」
聡介は、苦笑いしながらテーブルの上に例の「虹色の石」を置いた。 ヴォルカはハッとして姿勢を正し、ピンセットのような道具で慎重に石を持ち上げる。
「……失礼しました。あまりに未知の物質だったので、つい。……さて、この石ですが。……結論から言えば、正体は不明です」
ヴォルカが、苦々しくレンズを外した。
「ただ、これだけは断言できます。この石は、本来の魔石を遥かに凌ぐ純度を持ち、見た者の心を惹きつける魅了の呪いを有している。……この歪な美しさそのものが、毒だと私は考えています。」
イグニシアが、石を見つめるドランを庇うように抱き寄せた。
「この石をドランが手にしたのは、おそらく数日前だ。……最近、あのように美しい石を宿した魔物が、里の聖域近くに現れるようになっている…。我ら竜人族は、この地の守護者たる不死鳥様をお守りする一族。だが、最近は聖域の森が淀み、守護者様の気配も感じられぬ……」
苦々しげな表情の中にドランをいたわるような眼差しを感じさせるイグニシアは、里の現状とドランについて語り続ける。
「……この子は、先代団長夫婦の忘れ形見。英雄の血を継ぎ、人並み外れた魔力を宿して生まれた。だが……両親を失った悲しみが、その力を『呪い』に変えてしまったのだ」
里の者たちは、ドランを「悪魔憑き」と呼び、遠巻きにしているという。
イグニシアは母親代わりになろうと不器用に手を差し伸べてきたが、ドランの心の扉は閉ざされたまま、魔力の暴発だけが激しさを増していた。
「竜人の子は、幼い頃に感情が昂ぶって魔力が漏れ出す『血の昂ぶり』という時期がある。我らもそうして強くなってきた。……だが、近年はその性質が明らかに変わってしまった」
イグニシアは遠い目をして、里を囲む山々を仰いだ。
「数年前のスタンピード……あの未曾有の災厄以来、里の空気は淀み続けている。それと呼応するように、子らの『昂ぶり』も激化の一途を辿っているのだ。今日のドラン程ではないが、前触れもなく突然魔力を暴走させる……。他種族では、その魔力の負荷に耐えきれず、命を落とす子も出ていると聞くが、我らにできるのは耐えろと教えることだけだ…。」
イグニシアの言葉を聞きながら、聡介は静かに、けれど痛いほどの悲しみを感じていた。
(……数年前の災厄が引き金か。部族としての不安、環境の悪化、そして親たちの余裕のなさ。それが数年かけて、今の子どもたちに影響しているんだ。……これは種族規模の『環境構成』の失敗といえないか?『血の昂ぶり』だって? それはきっとただの『癇癪』だ。不安で、怖くて、どうしていいか分からない子どもの心の叫びなんだ。それを耐えて黙らせようとするなんて……)
聡介は、椅子に座りながら自分の膝を不思議そうに眺めるドランを見つめた。
ドランは、まだ膝に残る清浄綿の冷たさと、聡介がくれた「安心感」を必死に繋ぎ止めようとしているように見えた。
「シアさん。ドランくんは、英雄の子として強くなりたいんじゃない。……ただ、泣いてもいいよって、誰かに言って欲しかっただけなんです」
「な……! 竜人にそのような軟弱な……!」
「軟弱じゃないですよ。心の根っこを育てる時間なんです。……ヴォルカさん。その石のことは引き続き調査を。……そしてシアさん」
聡介は、ズシリと重いお散歩リュックを背負うとともに決意のこもった声で切り出した。
「数日、ここに腰を据えます。帰る方法はその後だ。……この里の子どもたちの『環境構成』、やり直しましょう。先生が、たっぷり甘えさせてあげますから」




