第6話【傷の手当てと、ズレる常識】
ヴォルカの案内で辿り着いたのは、集落の端にひっそりと佇む、石造りの古い塔だった。
聡介は、イグニシアの三歩後ろを歩く。
彼女の肩越しからは、ドランがひょこっと顔を出し、こちらをじっと見つめていた。
その瞳には先ほどの恐怖はなく、代わりに「この不思議な格好をした人はなんだろう」という、子ども特有の純粋な好奇心が混じっている。
聡介が小さく手を振ってみると、ドランは一瞬びくりとしてイグニシアの背中に隠れたが、すぐにまた片目だけを出してこちらを伺った。
「……さて、どうぞ。少々、本が散らかっていますが」
ヴォルカが開いた扉の先には、床から天井まで、ひしめき合うように古書やスクロールが詰まった空間が広がっていた。
聡介は一歩踏み入れた瞬間に、無意識に鼻をくんくんとさせた。
(……うわ、埃っぽいな。これ、喘息持ちの子がいたら一発でアウトだぞ。換気はどうなってるんだ……?)
職業病のチェックが頭をよぎるが、今はそれを口にする時ではない。促されるまま、中央にある無骨な木の椅子に腰を下ろした。
「……ドラン、もう大丈夫だ。ここに座りなさい」
イグニシアがドランを隣の椅子に座らせる。安堵の溜息をつく彼女の視線が、ふとドランの膝に止まった。
そこには、先ほどの暴走で地面に打ちつけたのだろう、赤黒く滲んだ擦り傷が広がっていた。
「……ドラン、よく耐えたな。その傷は男の勲章だ。すぐ乾く、放っておけ。竜人の子は、そうして皮を厚くして強くなるものだ」
イグニシアは誇らしげに、その小さな肩をポンと叩く。手当てをする様子は微塵もない。
その光景に、聡介の「ベテラン保育士」としてのスイッチが音を立てて入った。
(……勲章にするには鮮度が良すぎる。バイキンが入って化膿したらどうするんだ……!)
聡介は無言で立ち上がると、背負っていたお散歩リュックを下ろした。
「シアさん。勲章にするのは、汚れを落としてからでも遅くないですよ。……ドランくん、ちょっとだけ、お膝を綺麗にさせてね。痛いの、バイバイしちゃおうか」
「何を……? 貴殿、竜人の身体の強さを知らぬのか。これしきの傷、唾でもつけておけば……」
呆れるシアを余所目に、聡介はリュックのサイドポケットから小さなアルミの個包装を取り出した。
(こういう時は、水筒の水よりこれだ。清潔だし、冷たくて気持ちいいしな)
ピッと小気味よい音を立てて封を切る。中から現れたのは、ひたひたに潤った白い綿――清浄綿だ。
その瞬間、ヴォルカの眉が微かに動いた。
(……なんだ? 魔法…なのか?この男が道具に触れた瞬間、淀んだ空気そのものが静かに澄んでいくような……。こんな魔力見たことも聞いたこともない)
聡介はそんな視線には気づかず、ドランの目を見ながら、優しく、語りかけるように泥を拭っていく。
「さあ、ドランくん。動かないでね。……ポン、ポン。……うん、えらいね。すぐ終わるからね」
ひんやりとした感触に、ドランは驚いたように目を丸くしたが、痛みが全くない…どころか、心地いい感覚があることに気づくと、大人しくその処置を受け入れた。
仕上げに、小さなケースからワセリンを掬い取り、傷口を保護するように薄く塗る。
「はい、おしまい。ドランくん、頑張ったね。かっこよかったよ!」
聡介がドランの頭を優しく撫でると、ドランは不思議そうに、テカテカと光る自分の膝を指先でつついた。
「……いたくない。……つめたい、きもちいい」
「……貴方。今のは、どこかの国の聖水か何かが染み込んだ魔導具ですか? それとも、新種の魔法薬か……」
ヴォルカの目が、鋭く聡介の手元を射抜く。魔法薬特有の刺激臭もなく、激痛を伴う治癒の輝きもない。なのに、傷口は驚くほど穏やかに、かつ確実に保護されている。その「調和」の質が、彼の理解を越えていた。
「いえ、ただの『手当ての道具』ですよ。……さて、シアさん」
聡介はその追及をさらりとかわすと、真っ直ぐに彼女の目を見た。
「ドランくんも落ち着いたようですし、そろそろ少しだけ、お話を聞かせてもらえますか?」




