第69話:【火と風と魔法の粉】
「えっ、いいんッスか?昼寝なんてして」
「もちろん。朝早くからお疲れさまでした。起きたら調理場に顔を出してくれるかな」
「ここは天国ッスか!了解ッス!おやすみなさいッス!」
サップは足取りも軽く、寝室の方へ駆けていった。その背中を見送ろうとしたところで、彼が振り返った。
「あっ、忘れるところだったッス。昨日お願いされた物も一応採ってきたッスよ。調理場に運んどいたッス」
「ありがとうサップくん、助かります」
「じゃ、おやすみなさいッス!」
今度こそ廊下の奥に消えていくサップを見送ってから、聡介はイグニシアとエルマに目を向けた。
「さて、始めましょうか」
────────────────
遊び部屋からは、賑やかな声が絶えず聞こえてきていた。
「5!5が出た!!1、2、3、4、5!はい、あーがり!!」
「えぇ~、もう一回!」
「いくぞー!それ~!」
聡介が少しずつ用意してきた双六や、竹のような素材で編んで作ったボールが、子どもたちに好評のようだった。年長組が年少組と混ざって、一緒になって盛り上がっている。
全体を見渡すようにして、ディーザが部屋の端に立っていた。
聡介に言われた通り、遊びは子ども同士に任せ、何かあった時だけ動くスタイルを実践している。
調理の関係でエルマが抜けることは覚悟していたようだったが、それでも「また私が子守ですか……」と、廊下を通りかかった聡介にぼやくのは忘れなかった。
もっとも、チビたちに袖を引かれると、ぼやきながらも結局は部屋の中へ引き込まれていくのだが。
数をこなすにつれ、ディーザにも慣れが見えてきた。それをいつか伝えたら、どんなリアクションが返ってくるだろうか。想像しながら、聡介は調理場へと足を向けた。
────────────────
「さて、今日は調理というより加工を試していきたいんだ。早いうちにサザナミマスの可能性を広げておきたいから」
「具体的に何をするつもりだ」
イグニシアの問いかけに、聡介は少し眉を寄せながら答えた。
「んー、言葉で説明するのが難しいんだけど……作りたいものは二つあって。一つは料理がすごく美味しくなる粉、もう一つはふりかけ、というかフレークだね」
「粉に、ふりかけ……ですか?」
エルマが戸惑いを顔に浮かべた。想像もしなかったという顔だった。
「ピンとこないよね」と聡介は苦笑した。
「だから、実際に作ったほうが早いと思う。取り敢えず、いつものように下処理をお願いします。その間に使えそうな物を見繕ってきますんで」
そう言い残して調理場を出ると、聡介は宿坊の中をゆっくりと歩き始めた。
────────────────
その途中で、気になっていた部屋の前で足が止まった。
一番奥の部屋だった。ふと思い立ち中をのぞいてみる。初めて見た時は物置かと思ったが、じっくり見てみると他と違い、壁が塗り固められた漆喰のような土壁で、天井は中央に向けてアーチ状に湾曲し、その先が煙突のように抜けている。
外から見た時、煙突があることが気にはなっていたが、内側はこういう構造になっていたとは思いもよらなかった。
さらによく見ると、床板には意図的な隙間があり、高床になっていて、基礎の部分からかすかな隙間風が入り込んでくる。壁には幾つもの棚が設置されており、部屋を横断するように、物干し竿のような棒が渡してあった。
不用品が雑多に放り込まれて、半ば物置のようになっているこの部屋……。何かしらの用途がある部屋に思えるが、詳しく見ても分からず、ディーザに声をかけてみた。
「あぁ、あの部屋ですか。乾燥室だったそうです。昔、龍の聖堂に参った人たちの衣服や身を乾燥させるために作られたと聞いています。具体的な構造や使い方までは……」
「乾燥室」と聡介は繰り返した。
脳裏でパズルのピースがかちりと嵌まる音がした。
────────────────
今はまず試作品を作る。部屋の検証はその後でいい。
思いのほか時間をくってしまい、慌てて道具をかき集め調理場に戻ると、イグニシアとエルマが何匹ものサザナミマスの下処理を終えたところだった。
「戻ったか。下処理はすんだぞ」
「ありがとうございます。それじゃぁ……まずは限界まで焼いてみましょうか」
「限界まで?」
「シアさん、後で火の調整をお願いできますか」
やや訝しげなイグニシアを横に、聡介は持ってきた材料を並べ始めた。
────────────────
思っていたより、難しかった。
イメージしていたのは、日本の鰹節に着想を得た万能出汁粉と、鮭フレークに着想を得たサザナミマスフレークだった。
子どもの頃に祖父から聞いた話と、工場見学のうろ覚えの知識を頼りにすれば何とかなる、そう思っていた。
火が強ければ焦げつき、弱ければ中々水分が飛ばず、ともすれば普通の焼き魚になってしまう。試行錯誤の末、土鍋に藁のようなものを敷き詰め、薄切りにしたサザナミマスをその上に並べるところまでは辿り着いた。しかし、まだ何かが足りない。
エルマは途中から昼食の準備に切り替え、つみれ入りのスープを作り始めていた。
その時、調理場の入り口からか細い声が聞こえた。
「あの……ライクが、昼ご飯はまだかって、聞いてこいって」
ティアだった。
その姿を見た瞬間、聡介の頭に一つの考えが浮かんだ。
「ティアちゃん、ちょうどいいところに来たね」
声をかけられたティアが、きょとんとした顔で固まった。
「エルマちゃん、食事の采配をお願いできるかな」
「分かりました」とエルマがすぐに答えた。
「ティアちゃん、こっちへ来てくれる?」
おずおずと近づくティアに、聡介は尋ねた。
「ティアちゃんって、風の魔法は使える?」
「……はい。飛ぶのは怖いですけど、風の魔法だけなら……」
「よし」と聡介は言った。「昼食が終わったら、少し付き合ってくれるかな。長くなるかもしれないけど」
真剣な目で訴える聡介を見て、ティアは小さく、しかしはっきりと頷いた。
────────────────
昼食を終えて戻ってきたサップが、下処理を手伝ってくれている。エルマはもう一方の試作品に取りかかっていた。
聡介は土鍋の上にすのこを被せて蓋にすると、二人に向き直った。
「シアさんは竈に火を入れてください。ティアちゃんは……鍋の中の空気を外に追い出すみたいに、風を送れるかな。できれば窓の外に向けて」
「……分かりました。難しそうですけど、やってみます」
ティアは鍋に翼の先を向けて、魔法を使い始めた。最初は風が強すぎたり弱すぎたりで、藁や魚の切り身が暴れた。
「大丈夫、失敗しても気にしないで。落ち着いて、ゆっくり」
聡介がそっと肩に手を置いた。
その瞬間だった。不安定だった風が、すうっと穏やかになった。大湖水を渡る風のように、力強く、時に繊細に、鍋の中から湯気だけを引き剥がして、まっすぐ窓の外へと送り出していく。
「……できてる」
ティアが自分の翼の先を見ながら、小さく呟いた。
────────────────
途中で何度か休憩を挟みながら、およそ二時間。
ティアの顔に疲れが見え始めた頃、聡介が蓋を取って中を確認した。
薄切りの切り身は、水分が抜けきって、パリパリの煎餅のようになっていた。
「……ありがとう、シアさん、ティアちゃん。思っていた通りのものが作れそうだよ」
それだけ言うと、聡介はすり鉢を引き寄せて、乾いた切り身を入れ始めた。
「ソウスケ、それを一体……」
イグニシアの声には答えず、すり鉢に手を動かし続ける。しばらくして、完全な粉が出来上がった。
沸かしていた湯を器に注ぎ、粉を一匙加えてかき混ぜる。それをイグニシアに差し出した。
「ちょっと飲んでもらえますか」
「なんだというのだ……」
文句を言いながらも、イグニシアが器を受け取って口をつけた。
そして、動きが止まった。
「……なんだ、これは」
その様子を見たサップとエルマ、そしてティアまでが次々と口をつけていく。
「なんッスかこれ!ここは天国越えて神の国ッスか!」
「なんて深いコク……」
「……おいしい」
ティアがほんの少し、目を丸くしていた。
聡介は一息ついてから、説明を始めた。
「魚の旨味を凝縮した粉だから、湯に溶かすだけでこんなに美味しくなるんだ。調味料で味を調えたら、これだけで立派なスープになると思う。乾燥させてあるから日持ちもするし……もしかしたら買ってくれる人もいるんじゃないかと思って」
全員が頷いた。手と口はスープを啜るのに忙しい。
────────────────
一心地ついたイグニシアが、器を置いて口を開いた。
「言いたいことも、やりたいことも分かった。だが……この手間を毎回は厳しくないか」
ティアに目を向けながら言うイグニシアに、聡介は答えた。
「大丈夫です。今日はあくまで試作ですから。考えていることがうまくいけば、もっと簡単に、もっとたくさん一度に作れるようになると思います」
脳裏に浮かぶのは、さっき見つけた漆喰壁の乾燥室だ。あの部屋が思った通りに機能すれば……。聡介は胸の内で静かに期待を膨らませた。
「お前は本当に突拍子がないな……」
半信半疑で肩をすくめるイグニシアの隣で、エルマが静かに口を開いた。
「ソウスケさん、こちらも味見してもらえますか。一応言われた通りにしてみたんですが……」
差し出された匙を受け取り、鍋の中を覗くと、そこには湿地帯の食材を代替調味料として使い、限界まで水分を飛ばしたフレークが出来上がっていた。
「水砂糖人参と泥生姜と沼ネギを使ってみました。サップさんが採ってきてくれた中から」
聡介は匙ですくって、一口食べた。水砂糖人参のまろやかな甘みが僅かに残った臭みを消し、泥生姜と沼ネギの爽やかな風味が、凝縮された魚の旨味をガッチリと引き立てている。
「……これ、すごく美味しくできてるよ。うろ覚えの説明でよくここまで。凄いな、エルマちゃん」
エルマが、照れたように目を伏せた。
「子どもたちに食べさせるなら甘みをもう少し、商品にするなら辛みと風味を……」
聡介がブツブツと呟く言葉を、エルマは真剣な顔で聞き取っていた。
ほかの面々も味見をして、また驚いた顔をしている。
「こちらのフレークも、子どもたちの定番おかずにしたいんだ。しっかり水分が飛んでいるから日持ちもするし、何に合わせても美味しく食べられると思う。それに……これも買ってくれる人がいると思って」
聡介はそう言って、大きく頭を下げた。
「ありがとうございました。思っていた以上の成果が出ました」
「あの、夕食に使ってみていいですか」
「もちろん。明日ザガスさんが来た時に紹介したいから、その分だけ残しておいてもらえれば」
「分かりました」
エルマがすぐに動き始めた。その背中はまだまだ元気そうだった。
ふと窓の外を見ると、いつの間にか夕暮れが広がっていた。
そのタイミングで、聡介の腹の虫が、調理場に響くほど盛大に鳴った。
「もう……作ることばかり考えずに、まずはご自身がしっかり食べてくださいね」
エルマが呆れたように笑うと、イグニシアも「全くだ。園長が飢えていては、示しがつくものではないな」と肩をすくめ、早速つみれ汁を器に注ぎ始めるのだった。




