第63話:【サザナミマスとコハルウオ】
漁は朝早くから出ているという。話ができるのは昼頃になりそうだと聞いて、聡介はそれまでの時間をどう使おうか考えた。
結局、子どもたちと過ごすことにした。
「ソウスケ……そんなことをしていて大丈夫なのか」
イグニシアが、湿地帯の泥に膝までつかった聡介を見て、訝しげに眉を寄せた。
聡介の周りでは、リザードマンの子どもたちが黙々と泥をこねている。粘土質の泥を団子にしたり、器のような形を作ったり。ただ泥に塗れて遊ぶだけでなく、何かを作り出すことに夢中になっていた。ドランも一緒になって、すでに泥だらけだ。
「問題ありませんよ」
「しかしだな、午後には話し合いがあるんだろう。昨日は任せると言ったが……」
「まぁまぁ、シアさん。情報はちゃんと仕入れましたから」
聡介は泥に汚れた手のまま、にこやかに言った。
「この大湖水では大小さまざまな魚が捕れるそうです。特に大物が捕れた日はお祝いみたいになるんですって。あと、食べきれない魚は干物や燻製に加工することもしているみたいですよ」
「いつの間にそんなことを……」
「子どもたちから聞いたんですよ。子どもは大人のしていることを、よく見ているものです」
「……ソウスケらしいな」
「それにほら、これを見てください」
聡介は近くに置かれた魚籠を持ち上げた。中には、手のひらサイズの丸っこい金色の魚が何匹も入っている。
「これは?」
「コハルウオというらしいですよ。何でも、大人は捕れない魚なんだとか」
「なんだそれは」
「さて、どういうことなんでしょうね。その辺りも聞ければと思っています」
そうこうしながら、午前中は穏やかに過ぎていった。
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名残惜しげな子どもたちと分かれ、身を清め、昼食を済ませた。折良くその日の昼食は魚の干物だった。
聡介たちは漁師の頭領との会談に臨んだ。
場所は前夜と同じ広間。すでに里長が座っており、その向かいに、ゾルグにも引けを取らないがっしりとした体躯のリザードマンと、その隣に少し小柄で丸っこい感じのするリザードマンの女性が座っていた。
「遅くなりまして、すいません」
聡介は二人と対面になるよう腰を下ろす。
「なに、我らも今しがた腰を下ろしたところだ」と里長が言った。
「痛み入ります」
そのやりとりを見ていた大柄なリザードマンが、低く口を開いた。
「俺たち漁師に用があるんだってな。いったい何が目的だ」
噛みつくような響きだった。あまり友好的とは言えない。だが聡介は慌てなかった。
「今日はお忙しい中、お時間をいただきましてありがとうございます。バザールで養護院を開いております、別俣聡介と申します。お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか」
聡介のあまりに丁寧な物腰に、二人のリザードマンは一瞬呆気にとられたように固まった。
大柄な男が、咳払いをして答える。
「……俺はこの里の漁師たちを纏めている、ザガスってもんだ。隣は家のかかぁでベラという」
目線で示された女性が、にこやかに会釈した。
「で、名前なんざどうでもいいんだよ。お前たちは俺たちに何を言いに来たんだ」
「お前さん、そんなに喧嘩腰じゃ、話すものも話せやしませんよ」
ベラが横から口を挟んだ。
「すいませんねぇ、兄さんがた。うちの亭主は気が短くて頭に血が上りやすい粗忽者で……」
「誰が粗忽者だ!大体、俺はお前を連れてくるつもりなどなかったぞ!」
「なんだいあんた!里長様の頼みとあっちゃ断れませんよ。大人しく私と話を聞きなさいな」
ビシッという一言に、ザガスが憮然としながらも口をつぐむ。
聡介はその様子を見て取ると、ゆっくりと話し始めた。
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バザールで苦しい日々を暮らす子どもたちに出会ったこと。養護院を開く決意をしたこと。そこで実際にぶつかっている食料や財政の事情。何も隠さなかった。
聡介はまず、自分たちの現状を知ってもらうことから始めた。
その上で、漁への参加、もしくは自分たちで漁をする許可を頂けないか。漁場の仕来りがあるならきちんと従う意思があること。加工業務があれば手伝いたいし、あるいは独自に加工を任せてもらえないか。
切々と、お願いとして訴えた。
ザガスは黙って聞いていた。話が終わると、ようやく口を開いた。
「俺たちはシーヴァには世話になった。漁で取れた魚が売れて、生活も楽になってたんだ。それをあのゾルグの野郎がぶち壊した。それに留まらず、息子までほっぽりだしやがって、俺は心底気に食わねぇんだよ!」
その声が、徐々に熱を帯びていく。
「お前たちが何をしたいかもわからねぇ。ガキども集めてお前に一体何の得があるってんだ。こちとら漁に命かけてんだよ、そんな訳のわからねぇ野郎にしてやれることなんざ、これっぽっちもねぇ!」
聡介はここでも、落ち着いて、包み隠さず自分の思いを口にした。
「得…なんて考えてませんよ。これはいわば僕の我儘です。僕は、自分のしたいと思ったことをしているだけなんです」
「あなたが漁に命をかけるように、僕は保育士という仕事に恥じないように、全力で命を預かっています。命が掛かっているのは同じなんです」
ザガスの瞳から、聡介は一度も目を逸らさなかった。
「ただ、僕一人だけ、少しの仲間とだけでできることには限りがあります。だから、皆さんと助け合いながら進めることで、できることを増やしたい。そう思っています」
聡介の瞳に力が籠る。
「漁師さんたちの漁も、同じじゃないでしょうか」
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聡介の言いしれぬ迫力に、ザガスの屈強な体がわずかに揺れた。
「はぁ……あんたの負けだよこりゃ。いつまでもグチグチと言い訳がましいったらありゃしないね」
ベラが呆れたように笑った。
「ソウスケさんって言ったかい。このお兄さんは大した男さ。一本ぶっとい筋が通ってる。あんたはどうなんだい。私が惚れた男は、そんな意気地のない男だったのかい!」
その発破に、ザガスの体がまた揺れた。
しばらくの沈黙の後、ザガスが先ほどよりトゲの抜けた口調で言った。
「……何を言われようと、素人をいきなり漁に連れていくわけにはいかねぇ。同じ理由で、簡単に許可も出せねぇ」
「あんた!」
「最後まで聞きやがれ!」
ザガスが一度声を張ってベラを黙らせ、続けた。
「大湖水にはサザナミマスという魚がいる。そこら中を群れで泳ぎ回っていて、誰でも捕れるような下魚だ。バザールでも殆ど価値のつかねぇ、労働者の餌だと買い叩かれるような魚だ」
「泥臭ぇ上に小骨ばかりで、そのまま焼いたって食えたもんじゃねぇからな。そんなので良ければ大した手間でもねぇ。お前たちに回してやる。食い方でも何でも、好きに考えてみりゃいいだろう」
「いいんですか!それで、こちらは何をさせてもらえばいいでしょう」
「見返りなんざ後からで構わねぇよ」とザガスが言った。「ただ、お前らが信頼できる奴らだってことを、俺たちに見せてみやがれ」
「ありがとうございます」
聡介は深々と頭を下げた。イグニシアとドランも、それにならって頭を下げる。
「偉い!あんた惚れ直したよ!」
「うるせぇ、こいつの為なんかじゃねぇ。子どもが腹すかしてんのは可哀想だろうが!」
「益々偉いよあんた!やっぱりうちの旦那はいい男だねぇ」
ザガスは顔を赤くしてそっぽを向き、それきり口を噤んでしまった。
「よし、双方話はついたようだな」
里長が席を立った。
「細かい話はベラと進めておくがいい」
それだけ言うと、去り際に一言だけ残した。
「みなを頼んだぞ」
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使い物にならなくなったザガスを横に置いて、細かい調整はベラと進めた。
元々事務のようなことをしているらしく、話はスムーズに纏まった。明日から、漁が終わって帰る頃に龍の聖堂へ魚を水揚げに来てくれることになった。
好意に甘えるだけにならないよう、できるだけ早く恩に報いる方法を考えよう、と聡介は思った。
その後は、しばらく雑談をした。ベラは話好きらしく、他愛のない話を楽しそうに続けてくれた。その中で、聡介も気になっていたことを聞いてみる。
「そういえば、朝方子どもたちが捕っていた魚なんですが、手のひらサイズの丸い金色の魚で……」
「あぁ、コハルウオのことかい。あれはねぇ、大人が捕まえる気でいるとすぐに隠れちまうんだよ。でも不思議なもんでねぇ、子どもが遊びで捕まえようとすると、ホイホイ獲れる。私らも子どもの頃はよく獲って遊んだもんさ」
「あの、あれって食べられたりします?」
「コハルウオをかい?あんまし聞いたことがないねぇ。子どもが遊びで獲る魚だよ、考えたこともなかったねぇ。あんた変わったこと考えるお人だねぇ」
「はは、変わってるとはよく言われます」
それを皮切りに、子どもでも獲れる魚や大湖水の主な獲物について教えてもらった。
「オトダマハゼにカガミマス、ウズマキナマズには注意と……」
聡介が教えてもらったことを指を折りながら数え上げる。
「まだまだいるんだけどね。その辺から覚えときな」
「はい、ありがとうございます」
「それに、今年あたりにはそろそろ……」
ベラが何かを言いかけたとき、入り口から声がかかった。
「ソウスケ、今日中にバザールに向かうなら早くしろ」
ゾルグだった。
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その瞬間、今まで黙っていたザガスの気配が膨らんだ。
「あんた」
荒々しく立ち上がろうとする肩を、ベラがしっかりと掴んだ。
「ザガス……」
ゾルグが、怒りの混じった複雑な表情のザガスを見つめ、名を呟いた。
「邪魔をする気はなかった、すまん。……ソウスケ、俺は船で待つ。終わったら来い」
それだけ言うと、踵を返して去っていった。
その背が見えなくなると、ザガスがどかっと腰を下ろした。
「あんたはもう……。堪え性のない人だねぇ」
「………」
「ソウスケさん、今日はこの辺でお開きだね。楽しかったよ、これからよろしくねぇ。無愛想な夫の代わりに言わせておくれ」
「こちらこそ、いろいろと教えていただきありがとうございました。ザガスさんもありがとうございます」
聡介の方を一瞥すると、ザガスはふんと鼻を鳴らし、またそっぽを向いた。その頭を、ベラがぺしんと叩いた。
「全くしょうがのない人だよ。それじゃまた明日にでも魚を届けるからね。きばんなさいよ!」
「はい、それではこれで」
聡介はそう言って、ゾルグの待つ船へと向かっていった。
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「不思議な子たちだったねぇ」
ベラが独りごちた。
「俺にはわからん」
ザガスがぶっきらぼうに答える。
昼下がりの太陽が、いまだ眩しく湿地帯を照らしていた。




