表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【第三章開幕】異世界転移したおっさん保育士、子どもも大人も世界の歪みも、愛と受容でまるごと抱きしめる  作者: まどか
第三章:ひよこエプロンと、抗う露天街の子

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
62/76

第62話:【夜の集落、湿原の月明かり】

里長の言葉が広間に静かに落ちた後も、聡介の内側は驚くほど穏やかだった。


何もかもを分かっていたわけではない。ただ、湿原に来てからのクリムの反応の数々と、龍玉の輝きが戻ったこと。それらが胸の中でぼんやりと繋がっていた。里長の言葉は、その靄に形を与えただけだった。


だから、驚くより先に納得が来ていた。


「食料……か」


里長が静かに言った。「それは、たつのこ園とやらを賄うためのものか」


「はい、その通りです」


「で、わしに何を求める」


「僕たちはこの地に詳しくない者と子どもが殆どです」聡介は真っ直ぐに言った。


「そこで、リザードマンの生業である漁に参加させてもらう、若しくは加工などをお手伝いすることで、いくばくかの収穫物を頂戴できないでしょうか」


里長が目を閉じた。広間に沈黙が下りる。


「里長さん」


聡介が、願いを込めて呼びかけた。


「……バグラだ」


里長がゆっくりと目を開いた。


「まだ名乗っておらんかったな」


バグラは居住まいを崩した。肩の力が、わずかに抜けた。初めて会った時のよそ者を見る目ではなく、ただの老人の目がそこにあった。


「お主の問に答える前に、この老いぼれの愚痴を少し聞いてくれまいか」


────────────────


「……わしは里長じゃ。この厳しい湿地帯でこの里を導き守らねばならん。時に自身の考えを殺し、均衡を保つために立ち回らねばならんこともある」


バグラの声は低く、静かだった。その声からは、それまでの威厳が消え、かすかに掠れていた。


「わが娘、シーヴァがしたこと、もたらしたもの、その結果に至るまで……」


聡介はわずかに息を呑んだ。娘、という言葉が胸に引っかかる。


「孫のライクのことでさえ、残されたディーザにすべてを押し付け、わしは一人の父親や祖父であることを自らに禁じていた」


ドランが小さく目を丸くした。イグニシアも、気配が変わった。


「うまくいっているときはよい。しかし、それが立ち行かなくなった時、里ごと倒れ伏すことは何としてでも防がねばならんかった」

バグラは少し間を置いた。


「わしの考えはある意味間違ってはおらなんだ。だが、少なくとも里の中で対立を生むようにもなった。お主たちが関わろうとしている漁師の頭領は、バザールとのつながりを壊したゾルグを恨んでおる。いや……そこにしか感情の向けどころがなかったやもしれん」

広間がまた静かになった。


「わし個人としては、お主たちのしようとしていることを止めようとは思わん。なんなりと励むがいい。だが里長として、表立って命令することはできん」


バグラが聡介を見た。


「引き合わせはしてやろう。その場に同席して公正な采配もくだそう。じゃが、説得は自らおこなうことじゃ」


────────────────


長い話だった。


聡介は黙って聞いていた。詳しく聞きたいことは山ほどあった。シーヴァのこと、ライクのこと、バグラ自身のこと。


だが、今確かなことは一つだった。里長が、聡介の訴えを受け入れた。


「ありがとうございます」


それだけを言って、聡介は広間を辞した。

入り口を抜ける際、ふと振り返った。


バグラはすでに背筋を伸ばして座っていた。目元に鋭さが戻り、里長の顔になっていた。その姿は、どこか老け込んだようにも見えた。


────────────────


ゾルグに事のあらましを伝えた。


クリムの件を話すと、ゾルグは眉を寄せた。驚いてはいるが、まだ半信半疑の様子だった。


漁師との件については、多くを語らなかった。ただ「そうか……」と、硬い口調でそれだけ言った。


────────────────


その夜は、リザードマンの集落に泊めてもらった。


芦で編まれたすのこ状のベッドで目を閉じた聡介は、夜半にふと目を覚ました。


隣ではドランがクリムを抱えながら寝息を立てている。室内を見渡すと、窓辺に腰を下ろしているイグニシアの姿があった。月明かりが湿原を照らしている。


「眠れませんか、シアさん」


「ソウスケ、悪い、起こしてしまったか」


「いえ、目が覚めただけですよ」


聡介は少し離れた場所に腰を下ろした。イグニシアは窓の外を見たまま言った。


「里長の言っていたことを、考えていたんだ」


しばらく、風の音だけが続いた。


「私は今でも真紅の暴君が憎い。だが、奴がクリムになってからは、別の物だとも思えるようになってきていた」


「すいません、僕が軽率に話しすぎました」


「いや、ソウスケは何も悪くない。……ただ、形代だの、奴が実は龍だのと聞いたことで、訳が分からなくなってしまってな」


イグニシアは膝の上で手首のブレスレットを撫でていた。


「ドランが大切にしていることに、変わりはないと言うのに。こんなことで揺れる自分の不甲斐なさに、嫌気が差していたところだ」


「シアさん」と聡介は言った。「前も言いましたが、悩んだり悲しんだり、時に憎むことは、悪いことでも弱いことでもありませんよ」


イグニシアが、少しだけ聡介の方を見た。


「そして、それを恥じて折り合いをつけようとするのも、シアさんらしさです。全部引っくるめてシアさんなんですよ」


「……」


「僕には聴くくらいしかできませんが、たまに頼ってください。いつでも近くにいますから」


「ソウスケ……お前はいつもブレないな」


「保育士ですから」


イグニシアから、ふっと力が抜けた。


「さあ、そろそろ寝ましょう。明日の相手は少し手強いかもしれませんし」


「話し合いの場は任せる。何かあれば私が前に出よう」


「頼りにしてますよ、シアさん」


「それは私も同じことだ」


どちらともなく苦笑が漏れた。二人はそれぞれベッドに入って目を閉じた。


月明かりに照らされた水面だけが、静かに輝いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ