第60話:【動き出す歯車】
龍の聖堂は静かだった。
聡介が先に入り、ゾルグがその後に続く。重い足音が石畳を踏みしめ、やがて止まった。
ゾルグの視線が、祭壇の方へ向いた。
龍玉が、ほのかに光っていた。
「……輝きは、消えていないな」
低い声だった。怒りの抜けた後の、素の声だった。どこか安堵が混じっていた。
聡介はその呟きには触れなかった。ゾルグが祭壇から視線を戻すのを待ってから、静かに口を開いた。
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話は、順を追って進めた。
ディーザの案内でバザールを回ったこと。
路地裏で子どもたちと出会い、養護院を開く決意をしたこと。
子どもたちが役割を持って、胸を張って過ごせる場所を作りたいこと。
それには旧バザールが活気を取り戻すことが必要だという予感があること。
それから、ライクのことを話した。
旧バザールの人たちに声をかけられる様子。
干し魚を押しつけられて、結局受け取った背中。仲間たちと過ごす生活。
ディーザが抱えてきた苦しみ。
ゾルグは一度も口を挟まなかった。ただ目を瞑り、じっと耐えるように耳を傾けていた。
話し終えると、聖堂の中はしばらく静かになった。窓の外から、湖畔を撫でる風の音だけが聞こえてくる。
「そうか……」
ゾルグがそれだけ言って、深く何かを考え始めた。その顔は、先ほどまでの激昂が嘘のように落ち着いていたが、どこか暗く疲れているようにも見えた。
「ゾルグさん」と聡介は言った。
「今のあなたとライクくんは、どうしようもなくすれ違っています。でも、それは今までの時間の積み重ねです。すぐにどうこうなるものじゃない」
ゾルグは答えなかった。
「時間をかけてすれ違ったなら、また時間をかけて寄り添えばいいんです。ライクくんも、ゾルグさんが何を求めて行動してきたか、頭ではきっと分かっているはずですよ。男の子ですからね。それに今は、守りたい仲間がいます。里を出た頃よりも、ずっと色々なことを考えられるようになっているはずです」
「……もう、わかった」
そう呟くと、ゾルグは長い間、龍玉を見ていた。
やがて、大きく胸を震わせるような深い溜息を吐き出し、絞り出すように言った。
「暫くはお前に預ける。……よく、してやってくれ」
その顔は、いつの間にか一人の父親のものになっていた。
「分かりました。承ります」
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二人の間に沈黙が流れた。
湖畔を撫でる風のさざめきだけが、空間を満たしていた。
しばらくして、龍玉の光を見つめていたゾルグが口を開いた。
「俺は、今更変われん。……ただ、もう一度初心に立ち返って動く。妻の、シーヴァの為にも。あいつの為にも」
「今は、それでいいと思います」と聡介は言った。
ゾルグは頷かなかった。でも、その肩から何かが少しだけ降りたように見えた。
「……それで、お前の聞きたいこととは何だ」
聡介は一瞬、きょとんとした。
「聖堂に来る前に、俺に聞きたいことがあると言っていただろう」
「あっ、そうでした。すみません、聞いていただいて」聡介は少し照れながら頭を掻いた。
「実は養護院を運営していく上で、食料のことでご相談がありまして」
現状と希望を、手短に伝えた。
ゾルグは聡介の抜けた様子に鼻を鳴らした後は黙って聞いていた。話が終わると、静かに答えた。
「それなら話が早い。俺は今日、お前たちを里に連れて行くためにここに来た」
「……僕たちを、ですか」
問い返す聡介から逃れるように、ゾルグは再び祭壇の龍玉へと視線を移した。
「ああ。龍玉の輝きが戻ったことを里長に知らせた。相当驚いていた。それで、その場に居合わせたお前たち、特に竜人族の子ども……ドランといったか。あいつと、あいつが持つ細工物に会いたいと言い出したんだ」
「そうでしたか」
「食料についての話なら、その場で話せ。今なら話が通りやすいかもしれん」
「分かりました。出発はいつ頃ですか」
「俺の方はさほど急がんが、お前の用事は早いほうがよいのだろう」
「……では、すぐに準備と申し送りを済ませてきます。宿坊でお待ちになりますか。お茶くらいなら出せますよ」
その言葉に、ゾルグは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。ライクたちのいる場所へ行くのが、よほど気まずいのだろう。
「いらん。グラムの宿で待つ、手短に済ませてこい」
「それでは後ほど」
ゾルグの様子に苦笑しつつ、聡介は聖堂を後にした。
外に出ると、大湖水の風が顔を撫でた。
龍の聖堂の中、ゾルグはまだそこにいた。龍玉のほのかな光を、一人で見つめながら。
湿った風の向こうから、止まっていた歯車が、静かに動き出す音がした。




