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【第三章開幕】異世界転移したおっさん保育士、子どもも大人も世界の歪みも、愛と受容でまるごと抱きしめる  作者: まどか
第三章:ひよこエプロンと、抗う露天街の子

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第59話:【隔たるもの、交わるもの】

それから二日ほど、聡介は旧バザールを歩き回った。


案内はライクに頼んだ。「なんで俺が」と言いながらも、ライクは断らなかった。


足場の上を歩くと、寂れた外観からは想像もつかないほどの人が残っていた。


空いた宿の一室に身を寄せるガビアルの家族、朝早くから水辺に向かうトードフォーク、荷物の少ない旅商人がカウンターを磨いている宿。


新バザールに馴染めなかった者、帰るに帰れない者、様々な事情を抱えた人たちが、ここで息をひそめるようにして暮らしていた。


「あの人たちは毎朝漁に行って、採れたものを新バザールで換金して、また物資を買い直して……」


ライクが説明しかけて、言葉を止めた。


「割に合わないよな、どう考えても」


「そうだね」と聡介は言った。


歩いていると、あちこちから声がかかった。


「ライク、元気か」「坊主、大きくなったな」「母さんに似てきたじゃないか」


ライクはぶっきらぼうに返しながら、それでも足を止めて一人ひとりと短い言葉を交わした。


どこかの宿では、老いたオッターフォークの女性が「少しだけど」と言って干し魚を押しつけてきた。


「いいよ、受け取れない」


「うるさい、持っていきな」


ライクは結局、受け取った。


その背中を見ながら、聡介は思った。この子は三年間、ここで生きてきたんだ。


シーヴァの息子として、旧バザールの人たちに覚えられながら。


────────────────


旧バザールには人がいる。現地の種族もいる。この人たちを新バザールの仕組みから解放して、もう一度ここに活気を取り戻せないか。


そのためにはまず、彼らがなぜ搾取されながらも新バザールに留まり続けているのかを知らなければならない。


聡介がそんなことを考えながら宿に戻ったのは、二日目の夕方のことだった。


────────────────


三日目の朝だった。


朝食を終えた年長組を見送り、聡介は食卓に一人残って湯気の立つカップを両手で包んだ。


イグニシアが使ってくれているマーラのハーブが、かすかに甘い香りを漂わせている。


さて何から手をつけようか。


ポケットからひょいと顔を出したピヨすけが、カップの中を興味深そうに覗き込んでいた。


その時だった。


「ピヨッ!」


ピヨすけが突然窓の外を向いて、羽毛を逆立てながら鋭く鳴いた。


聡介が顔を上げると、遠くから喧騒が聞こえてくる。


────────────────


外に出ると、足場の上に人だかりができていた。


年長組の作業が止まっている。その前に、大柄なリザードマンの姿があった。


「ライクくん……?」


ライクが、その人物と向き合って立っていた。


聡介がピヨすけに「ありがとう」と囁いて歩き出すと、背後でドアが開く音がした。ディーザだった。窓から気配を察したのか、その顔は既に強張っていた。


────────────────


「お前には関係ないだろ!」


「父親に向かってお前とは、どんな口の利き方をしている!」


「お前なんてお前で十分だ!」


ゾルグの喉の奥から、地鳴りのような唸りが漏れた。大柄な体躯から放たれる威圧感に、周囲の年長組が思わず一歩身を引く。だが、ライクだけは真っ直ぐに父親を睨みつけたままだった。


「小汚い仲間と路上で暮らす内に、品性までドブに捨てたか」


「俺たちをバカにするな!その汚い口を閉じろ!」


誰の目にも明らかだった。ゾルグが沸騰していた。


分厚い雲がゆっくりと太陽を覆い、足場の上に黒い影が落ちる。吹き抜けていた湿った風が、ぴたりと止んだ。


赤黒くなった顔に怒りの形相を貼り付け、その手が振り上げられそうになったその時、前に飛び込む影があった。


「ゾルグ!いい加減にして!」


ディーザだった。


「貴方は…何がしたいのよ!」


ゾルグは一瞬だけぎょっとしたように目を見開き、ライクに向けようとしていた拳を、その手前で辛うじて止めた。


剥き出しの敵意がわずかに削げ、酷く低い声で言葉を紡ぐ。


「ディーザ……お前もいたのか。そこをどけ、父親を馬鹿にするような息子には罰が必要だ」


「嫌よ!大体父親らしいこと一つしないで、何が罰よ!あなたこそ今まで何をしていたの。ライクがここにいることぐらい知っていたでしょ!」


ゾルグが黙った。


「ライクはね、確かに里を飛び出したわ。でもそれは逃げたんじゃない、自分で道を選んだのよ。少なくともその決断から逃げずに、今日まで仲間を守ってきた。ライクはもう一人前の大人よ!貴方にどうこうされる謂れはないわ!」


「……減らず口をベラベラと」ゾルグの声が再び低くなった。「そもそもお前がしっかりと面倒を見てやれなかったから、こんなことになっているんだろうが!」


矛先が、ディーザに向いた。


ディーザの体が、まるで見えない何かに胸を刺されたように、止まった。


言葉が出なかった。


その間に、ライクが前に出た。


「うるさい!叔母さんは何も悪くない!」


ライクの声が、足場に響いた。


「俺が一人で困っていたとき、側にいてくれたのは叔母さんだった!帰ってきもしなかったお前なんかとは違う!」


ゾルグが、虚を突かれたように動きを止めた。


「自分も辛そうなのに、俺のために慣れない料理を作ってくれた。苦しくて泣きたいような夜は、隣で眠ってくれた。そんな叔母さんを、お前なんかが馬鹿にするな!!」


ライクの背中を見ていたディーザが、目を見開いた。


信じられないものを見る目だった。その視界が、激しく滲んでいく。


遠く、静まり返った大湖水の水面で、ぽつんと魚が跳ねる音がした。その水音が、やけに大きく足場の上まで響く。


誰も何も言わなかった。


足場の上に、唐突に沈黙が訪れた。


────────────────


聡介は、その沈黙にそっと入っていった。


「ゾルグさん、ひとまず落ち着きませんか。現状の説明が必要なようですし」


ゾルグは答えなかった。


「ライクくん、ディーザさん、ここは僕に預けてくれませんか。一度食堂に戻って、お茶でも飲んでください。落ち着きますよ」


いつの間にかそこにいたイグニシアが、心得たように頷いた。


「さあ、いこうか」


ディーザとライクは、それぞれ納得のいかない顔をしていた。でも、視線が合った瞬間、二人の表情が変わった。先ほどのやりとりを思い出したのか、どちらも気まずそうに目を逸らす。


それから、ぎこちなく、隣同士で歩いていった。


「ゾルグさんは、こちらへ。お話させてください。それに僕から聞きたいこともあるんです」


「……お前に説明が務まるのか」


「ある程度は」と聡介は言った。


龍の聖堂に向けて歩き出す。しばらく間があって、重い足音がついてきた。


先ほどまでの喧騒が嘘のように、足場の上には静寂が訪れた。


「俺たちは、どうすりゃいいの」


後に取り残された年長組の一人が、呟いた。


その声は再び吹き始めた風に乗って、大湖水の水面へと消えていった。

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