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【第三章開幕】異世界転移したおっさん保育士、子どもも大人も世界の歪みも、愛と受容でまるごと抱きしめる  作者: まどか
第三章:ひよこエプロンと、抗う露天街の子

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第58話:【窓の外の背中】

年少組の寝息が廊下の奥に揃った頃、聡介はそっと部屋を出た。


エルマが子どもたちの隣で目を閉じているのを確認してから、イグニシアに小声で告げる。


「少しの間、見ていてもらえますか」


「分かった。長くなるなよ」


「努力します」


廊下を歩いていると、居間のあたりから気だるい空気が漂ってきた。


空いているドアからのぞき込むと、年長組が、思い思いに寛いでいた。壁にもたれる者、床に大の字になる者。どこか慣れない様子で、体は休んでいるのに落ち着かなそうにしている。


「どうしたの、みんな」


聡介が部屋に入って声をかけると、数人が顔を上げた。


「なんか……こういうの、慣れなくて」


一人が言った。正直な言葉だった。


ライクが壁際で腕を組んだまま、少し視線を逸らしながら言った。


「ストリートじゃ、気ぃ抜いたら終わりだからな。急に安心しろって言われても、そうはいかねぇよ」


「そうだよね」と聡介は言った。


「でも、今日みんなはちゃんと仕事をした。だから、休む権利がある。胸を張って、ゆっくりしていればいいよ」


誰も何も言わなかった。でも、壁にもたれていた子が、少しだけ肩の力を抜いた。


「大きい子たちが楽しめるような遊びも、そのうち用意するから」と聡介は続けた。「少し待っていてね」


「遊び……って、俺たちが?」


ライクが、珍しく素直な顔で聡介を見た。


「もちろん。働くだけじゃ疲れちゃうでしょ」


ライクは決まり悪そうに鼻の頭をこすり、それから唐突にドアに向かって歩き出す。


「……俺、もう少し外を見回ってくるよ」


そう言って外へと向かうライクの背中は、どこか嬉しそうな、年相応の背中に見えた。


────────────────


ディーザが使う部屋のドアをノックすると、返事があった。


「……どうぞ」


声のトーンが、どこか遠かった。


入ると、机の上に資料が広げられていたが、ペンは止まっていた。ディーザの視線は窓の外に向いている。


「ディーザさん、一段落ついたので、朝お話しした食料のことを相談してもいいですか」


「あっ……はい、大丈夫です」


ディーザが姿勢を正した。


────────────────


実務の話は、淡々と進んだ。


現在の備蓄で賄えるのはおよそ一週間。人数が増えれば、それより早く底をつく。


「何か良い手はありませんか」と聡介が聞いた。


ディーザは少し考えてから、口を開いた。


「……リザードマンの漁師と交渉する、というのはどうでしょう。ゾルグが近いうちにバザールへ来るはずです。彼に繋ぎを作ってもらえれば、漁の手伝いなどと引き換えに魚をもらえる可能性がある」


「なるほど」


聡介は少し考えた。漁の手伝い。魚の現物。それを別の食料に替える方法。頭の中でいくつかの流れが繋がっていく。


「かつてのバザールみたいに、物々交換の流れをもう一度作れないかな、とも思っていて」


「……現地の種族を巻き込む、ということですか」


「ええ。まずはゾルグさんが来るまでに、旧バザールで少し情報を集めようと思います」

ディーザが頷いた。


聡介は立ち上がりかけて、ふと窓の外を見た。


足場の上を、先ほど出ていったライクの背中が動いていた。午前の仕事はとっくに終わっているはずなのに、まだ何かを確認するように歩いている。


視線を戻すと、ディーザも同じ方向を見ていた。


思えば、路地裏でライクと鉢合わせした日から、こういう瞬間が何度かあった。


「ディーザさん」と聡介は言った。「ライクくんのことで、悩んでいますか」


ディーザが、ほんの少し体を強張らせた。


「……突然、何を言うんですか」


「気を悪くしたらごめんなさい。路地裏で彼を見かけてから、特にたつのこ園と関わり始めてからは、考え事をしている時間が増えたような気がして」


ディーザは答えなかった。


「ディーザさんとライクくんのこと、聞かせてもらえますか」


長い沈黙だった。


やがてディーザは目を閉じ、それから静かに口を開いた。


「……ソウスケさんは、本当にお節介ですね」


────────────────


姉が亡くなった後のゾルグは、何かに取り憑かれたように動き続けた。商団と衝突し、周りを巻き込むことも気にせず、ただ走り続けていた。


当時のライクは十歳だった。


母を亡くし、父親はほとんど家に帰らない。一度に両親が消えたような日々の中で、ディーザは彼と共に暮らすようになった。


「姉さんの代わりにならなくちゃ、と思っていました。子どももいない私が、そんな大それたことと分かっていても」


聡介は黙って聞いていた。


「私なりに、精一杯やってきたつもりでした。二年ほどそんな生活が続いて、あの子が十二歳になったある日……いなくなっていたんです」


ディーザの声が、少し乾いた。


「近所の方が教えてくれました。今朝早く出かけた、叔母さんには心配するなと伝えてくれと」


窓の外で、ライクの背中がまた動いた。足場の端にある木片を、手持ち無沙汰そうにつま先で蹴っている


「私がしてきたことは何だったんだろう、何がいけなかったんだろう。何度も考えました。ゾルグに詰め寄っても、あしらわれるだけで」


ディーザは小さく息を吐いた。


「風の噂でバザールにいると聞いていましたが……今更会ってどうするのか、もし拒絶されたらと考えているうちに、何もできなくなっていて」


しばらく、部屋が静かだった。


「まさか自分がまたバザールに来ることになるとは思っていませんでした。こんなに近くにいるのに、あの子は何も言ってこない。何を考えているのか、分からないんです。それが……とても、怖い」


────────────────


聡介はしばらく、ディーザの言葉を受け取っていた。


「打ち明けてくれて、ありがとうございます」と聡介は言った。「辛かったですね」


「……」


「最近出会った僕が、あなたたちのことで知ったふうな口をきくことはできません。でも、一つだけ言えることがあります」


ディーザが顔を上げた。


「ライクくんは、ディーザさんのことを嫌っても恨んでもいないと思います」


「なぜ、そう言い切れるんですか」


「仲間への接し方を見ていれば、分かります。本当に懐の深い子です。そんな彼がディーザさんに何も言ってこないのは……ただ、死ぬほど気恥ずかしいだけだと思いますよ」


「そんな……そんなわけ、ないでしょう」


「きっとそうですよ」と聡介は言った。「僕も昔は男の子でしたから。今更どんな顔をして話せばいいのか、彼自身も戸惑っている最中なんじゃないでしょうか」


ディーザは何も言わなかった。


「同じ屋根の下で過ごす間柄です。時間がいくらかかっても構わない。きっといつか、ちゃんと話せる日が来ます。僕が保証しますよ」


長い沈黙の後、ディーザは握りしめていたペンからふっと力を抜き、静かに言った。


「……少し、考えてみます。今日はこれで」


聡介は頷いて、立ち上がった。長居したことを詫びて、ドアに手をかけた。


その時だった。


「エルマ、おい、起きてくれ!」


廊下の奥から、イグニシアの切迫した声が響いた。続いて、昼寝から目を覚ました子どもたちの、活力に満ちた声が一斉に溢れ出す。

物悲しい空気を打ち破るような喧騒だった。


聡介は思わず、笑った。

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