第57話:【新たな毎日の始まり】
朝の光が、宿坊の窓から差し込んでいた。
調理場からは、湯気の立ち昇る音と、イグニシアが鍋を扱う低い音が聞こえてくる。
聡介がそこに顔を出すと、エルマがイグニシアの隣に立って、何かを手伝おうとしていた。
「イグニシアさん、ライクが持ってきてくれたスープも、ソウスケさんが運んでくれたお粥も、本当に美味しかったです。ありがとうございました。ずっとお礼が言いたかったんです」
「……別段、大したものは作っていない」
イグニシアはそっぽを向いたまま答えた。耳が少し赤い。
「あの、もし良ければ、私にも教えてもらえませんか。ずっと料理してきたので、少しはお手伝いができればと思って」
「……まあ、邪魔にならない程度ならば」
聡介は二人のやりとりを見ながら、棚から器を取り出し始めた。
「シアさん、当面の食料なんですが、ルードさんが手配してくれた分でしばらくは凌げそうですか」
「今の人数なら、一週間は持つだろう。だが、増えるなら話が変わってくる」
「ですよね。午後にディーザさんと相談してみます」
────────────────
食堂に、子どもたちが集まってきた。
昨日の石畳の上での大騒ぎが嘘のように、眠そうな顔をした子どもたちが、よちよちと席についていく。
ドランがクリムを抱えて一番乗りで座り、「早く食べたい!」と言った。
ティアは、入り口のところで少し迷ってから、端の席にそっと腰を下ろした。隣の子が話しかけても、小さく頷くだけだった。それでも、席についていた。
聡介はそれを見て、静かに目を細めた。
朝食が並び、食堂が温かい空気に満たされていく。
「いただきます」の声が揃うと、あちこちから話し声が上がった。誰かが笑い、誰かが隣の子の器を覗き込んでいる。
聡介は器を持ちながら、食堂を見渡した。それから、口を開いた。
「今日からの過ごし方を少し話させてください」
声をかけると、話し声がすっと落ち着いた。
「年長組は、ライクくんと一緒に旧バザールの通りの掃除を進めてもらいます。たつのこ園の周りが綺麗になってきたから、少しずつ外へ広げていこうと思って」
ライクが黙って頷いた。
「ライクくん、食後に少し打ち合わせしよう。それから」
聡介の視線が、端の席のティアへ向いた。
「ティアちゃん、で良かったよね。昨日までの石拾い、本当に助かったよ。今日もライクくんを助けてあげてね」
ティアが目を丸くした。おずおずと、小さく頷く。
ライクが器から顔を上げずに「……べつに、助けてもらわなくても」と言ったが、その口元が少し緩んでいた。
「年中組はドランくんをリーダーにして、龍の聖堂のお掃除をお願いします。僕も一緒に行くよ」
「やった!」とドランが言った。クリムを高く掲げる。「クリムも行こうね!」
「年少組はエルマさんと一緒に、午前は遊んで、お昼ご飯の後はお昼寝ね」
エルマが頷いた。聡介は少し声を落として続けた。
「年中組が一段落したら合流しましょう。エルマさんには教えたいことが沢山あるんだ。……それと」
「はい?」
「お昼寝の時少し眠ろう。昨日の夜中、慣れない場所で泣いちゃった子を寝かしつけてたでしょ。ありがとうね」
エルマが目を瞬いた。それから、苦笑いして首を振った。
「……敵わないですね、ソウスケさんには」
「さあ、今日も楽しく一日を過ごしていきましょう」
聡介の掛け声に、食事を終えた面々が、それぞれ動き出した。
────────────────
聡介はイグニシアとディーザのところへ、ひっそりと寄っていった。
「シアさん、引き続き調理をお願いします。いつも頼りきりで、すみません」
「多少作る量が増えるだけだ、問題ない」イグニシアは鍋を拭きながら言った。「昨日のあれに比べたら、何倍もマシだ……」
聡介は苦笑した。
「ディーザさん、午後に少し時間をもらえますか。食料の件と、今の状況をもう少し整理したくて」
「……いつの間に私は事務担当になったんですか」
「お願いします」
ディーザは小さく息を吐いた。「……分かりました」
────────────────
年長組は、石畳から続く木の足場へと踏み出していった。
腐った木片、溜まったゴミ、足場の隙間から伸びた草。ライクが段取りを決め、年長組が動く。
ティアは最初、足場の端で立っていた。だが、誰かが草を束ねようとして手間取っているのを見て、翼の先でそっと押さえてやった。
「……あ、助かるよ」
相手の少年は一瞬驚いたように目を丸くしたが、すぐに白い歯を見せて笑った。
ティアは何も言わなかったが、次の束にも、また翼の先を伸ばした。
それをライクが横目で見ていた。
「なんか言いたそうじゃん」
仲間の一人がニヤニヤしながら言った。
「うるさい、仕事しろ」
────────────────
龍の聖堂では、ドランが張り切って床を拭いていた。
「たつのこ園は、龍に場所を借りてるんだ。感謝の気持ちを込めて、しっかり綺麗にしよう」と聡介が言うと、ドランは大きく頷いた。
「お仕事のあとのご飯は美味しいよ!」
年中組の子どもたちが笑った。聖堂に、賑やかな声が響いた。
祭壇の龍玉が、その声を受けるようにして、ほのかに光っていた。
────────────────
調理場では、イグニシアが独り鍋に向かっていた。
エルマが年少組についているため、今は一人だった。それが、どこか心地よかった。
棚の隅に、小さな布袋がある。みずひかり広場を発つ前に、マーラから渡されたハーブだった。
「そうだ、これを使って……」
独り言を言いながら、鍋に葉を一枚落とした。
────────────────
宿坊の一室、窓際の机にはディーザが座っていた。
資料が広げられ、ペンが手に握られている。だが、視線は紙の上にはなかった。
窓の外、足場の上で動くライクの背中が、遠くに見えた。
「……ライク」
誰にも聞こえない声で、ディーザは呟いた。
「なぜ、何も言ってこないの」
ペンの先が、白紙の上で静かに止まっていた。




