第56話:【きれいな石畳と翼】
騒がしい笑い声が消えて、宿坊に静寂が戻ったのは、日が完全に落ちた頃だった。
眠りについた子どもたちの寝息が、廊下の奥からかすかに聞こえてくる。
昼間、イグニシアたちを振り回したチビたちの姿を思い返し、聡介は肩の力を抜いて苦笑した。
聡介は石畳の縁に腰を下ろし、大湖水の方角から吹いてくる夜風に目を細めた。
「ライクくん、少しいいかな」
振り返ると、ライクが腕を組んで立っていた。昼間の険しさは少し薄れているが、まだどこか身構えている。
「……なんだよ」
「隣、座ってくれる?」
ライクは一瞬だけ迷ってから、少し距離を置いて石畳に腰を下ろした。
しばらく、二人は黙って夜の水面を見ていた。
「今日ね」と聡介は言った。「小さな子たちがあれだけ転げ回ったのに、誰一人擦り傷を作らなかった」
「……そうだな」
「あそこまで石畳が綺麗に整えられていたのは、翼の彼女のおかげだよ。本当に助かった」
ライクが黙った。
「彼女のこと、少し聞いてもいいかな」
「……ティアの、ことか…」
「ティアちゃんっていうんだね」
聡介はその名前を初めて知った。ライクは視線を落としたまま、短く言葉を繋いだ。
「詳しくは分からないんだ…。周りの奴らに聞いたのは、最近バザールに来たことと、ハーピーなのに飛べないこと、あと仕事ができずに放り出されたこと…。そのくらいなんだ、知ってることは……」
ライクは顔を上げ、堰を切ったように語りだした。
「路地裏で蹲ってるところを見つけたんだ。なんにも喋らないし、怯えてばっかだったけど、とにかくアジトに連れて帰った」
「でも、俺たちが何をしても反応しなかった。飯をやっても、声をかけても。……だから、正直どうしたらいいか分からなかったんだ」
「エルマでさえ、だめだったんだ…」ライクは膝の上で手を組んだ。
「あいつ、世話焼きだからさ。無理にでも飯を食わせようとしたり、手を引こうとしたりしたんだけど、ティアはただ怖がって小さくなるだけで……。俺たちのやり方じゃ、傷つけることしかできなかったんだ」
「でも、放っておけなくて。ここで仕事をしてスープを貰った日に、あいつでもできる仕事があるかもしれないって、とりあえず連れていこうって、思ったんだ」
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それは、ライクたちを園の準備の仕事に誘った次の日のことだった。
ライクが引き連れてきた年長組の中に彼女の姿はあった。
他の子どもたちが、まだ警戒しながら壁を拭いたり荷物を運んだりする中、石畳の隅に一人、膝を抱えてうずくまっていた。
翼を体に巻きつけるようにして縮こまり、周囲の動きをただじっと見ている。
ライクがなんとか声をかけようとして、かけられずにいるのを、聡介は気づいていた。
聡介はそっとその子の前にしゃがみ込んだ。目線を合わせる。
「ねえ、ちょっといいかな。君にしか頼めない、ものすごく大事な仕事があるんだ」
少女の肩がビクリと跳ねた。叱責を予期したように翼を更に体に引き寄せ、消え入りそうな声で言う。
「……ごめんなさい。わたし、壁拭けない。なにも、できない、ごめんなさい…」
「そんなことないよ」
聡介は首を振った。
「ここ、草を刈ったばかりで、石がまだいっぱい残ってるだろう? もしも小さい子たちがここで転んだら、怪我しちゃいそうなんだ。手が使えなくても大丈夫。足や翼の先を使って、この石たちを端っこに退けていってくれないかな」
少女は信じられないという顔で、聡介を見た。
「……こんな石を、どかすだけで、いいの」
「何言ってるの」と聡介は笑いながら言った。
「これが一番大事な仕事だよ。君が石を拾ってくれるおかげで、みんなが安心して走り回れるんだから」
少女はしばらく動かなかった。
それから、おそるおそる翼の先を石畳に伸ばした。
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「あいつ、あの日の夜」
ライクが静かに口を開いた。
「お前から貰ったスープを、少しだけ美味しそうに飲んでたんだ。……笑ってた。あいつの笑う顔、あん時初めて見た」
夜風が石畳を撫でていった。
「それで、また明日も連れてこようって思ったんだ」
聡介はライクを見た。
「ありがとう、ライクくん。諦めずに連れてきてくれたのは、君の優しさだよ」
「……別に」
ライクは顔を背けた。顔が赤くなっていた。
「ただ、放っておけなかっただけだ」
聡介は何も言わなかった。ただ、夜の水面に目を戻した。
大湖水が、静かに光を揺らしていた。




