第55話:【たつのこ園のルール】
石畳の上になだれ込み、滑ったり転がったりしながら、まるで波のように広がっていくチビたちの姿を、聡介は目を細めて眺めていた。
その躍動する生命力を見守りながら、隣に立つイグニシア、ディーザ、そしてドランへと振り返る。
「シアさん、ディーザさん、ドランくん。少しの間、みんなのことをお願いしてもいいですか」
「……構わんが、随分と元気な奴らだな」
イグニシアが腕を組んで呟き、ドランが「わかったー!」と嬉しそうにチビたちの波へと駆け出していく。
ディーザも小さく頷いて、戸惑いながらも子どもたちのフォローに入った。
聡介は、チビたちの賑やかな歓声から少し距離を置くように立ち尽くしている、ライクとエルマに向き直った。
「二人とも、少し話せますか」
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宿坊の一室に、三人が座った。
聡介、ライク、エルマ。
「改めて聞かせてください」と聡介は言った。
「この、たつのこ園をみんなの生活の場にしていきたいと思っているんですが、二人はどう思いますか」
聡介の言葉に、ライクの肩がピクリと跳ねた。彼は鋭い視線を聡介に返す。
「……オレたちはストリートで生きてきたんだ。大人の施しがなきゃ生きていけないほどヤワじゃねぇ。チビたちの面倒だって、今まで自分たちだけでやってこれたんだ。今更、大人に頼る必要なんてねぇよ」
そんなライクの突っ張りを、隣に座るエルマの冷徹な一言が容赦なく打ち砕いた。
「じゃあこれからの冬はどうするの? チビたちにまた泥水をすすらせる気?」
「うっ……それは……」
「ライク、あなたの気持ちは分かるわよ。でも、私たちはただ『今日』を生き延びるだけで精一杯だった。冷たい石畳の上で震えて、お腹を空かせて泣くチビたちの姿を、もう忘れたの? これは現実なのよ」
エルマの指摘に、ライクは言葉を詰まらせ、悔しそうに拳を握りしめた。
二人の意見の衝突を見守っていた聡介は、自分がこの場所で何を作りたいのかを、静かに語り始めた。
「僕はね、みんなが安心して眠れる環境を整えたいんだ。凍える夜に怯えなくていい、お腹を空かせて泣かなくていい場所を。だけど、それだけじゃない。この子たちがただ生かされるんじゃなく、地域の人たちと繋がり、自分たちの役割を持って、誇り高く生きていける場所にしたい」
聡介の視線が、窓の外のバザールへと向く。
「それから」と聡介は続けた。
「かつてシーヴァさんたちが作ったという、あの温かくて賑やかなバザールを、僕は見てみたいんだ。そのための、小さな一歩にしたい」
部屋の中は、水を打ったように静まり返った。ライクは目を見開いたまま動きを止め、エルマも胸を打たれたように、そっと息を呑んでいた。
沈黙の中、エルマが小さく息を吐き出し、隣の少年の背中をぽんと叩いた。
「ほら、リーダーでしょ。あんたが決めなさい」
「――っ」
ライクはバツが悪そうに何度も視線を泳がせ、耳の裏まで真っ赤にしながら、頭をごしごしと掻いた。しかし、その瞳の奥には、隠しきれない嬉しさと安堵が滲んでいる。
少年は、聡介を真っ直ぐに見据えると、引き締まった声で、けれど蚊の鳴くような音量で言った。
「……お世話に、なります」
「うん、よろしくね」と聡介は言った。
それからエプロンのポケットを探って、一枚の紙を取り出した。
「これから一緒にたつのこ園を動かしていくために、役割を決めようと思って。……勝手に決めちゃったんだけど、嫌だったら言ってね」
紙を広げて、二人の前に置く。
ライクが覗き込んだ。エルマが少し身を乗り出した。
「調理主任兼護衛が、イグニシアさん。事務がディーザさん。調理補助兼保育士が……エルマちゃん」
「わ、私ですか」
「給食を作るのと、小さい子たちのお世話を一緒にお願いしたいんだ。昨日のあの采配を見て、これはもう適任だと思って」
エルマが口元を押さえた。それから、「……分かりました」と言った。声が少し震えていた。
聡介は次の行に指を移した。
「年長組リーダーが、ライクくん」
「……俺が」
「外のことは、ライクくんが一番よく知ってる。小さい子たちのことも、バザールのことも。僕には分からないことが、ライクくんには分かる」
ライクは答えなかった。
紙の上の自分の名前を、じっと見ていた。
「……最後に」と聡介は続けた。「この園で、みんなに守ってほしい『お約束』が三つだけあるんだ」
聡介は三本の指を立てた。
「一つ目は、挨拶を元気よくすること。二つ目は、自分にできる仕事、お手伝いをがんばること」
そこまで言って、聡介は一度言葉を切り、ライクとエルマの目を真っ直ぐに見つめた。そして、最後の一本を立てる。
「三つ目は――困ったとき、悲しいときは、絶対に我慢しないで、大人に大声で『助けて』と言うこと」
「助けて、ですか……」
エルマがポツリと呟いた。
「うん、初めは慣れないかもしれないけど、大切なことだから」
「大人がそういうこと言うの、信用したことない」
聡介の柔らかい声に、硬い声が続いた。ライクが顔を上げ、頑なな拒絶の視線をぶつける。
「そうだよね」と聡介は言った。怯まなかった。
「だから、これから証明していくね。ここは、我慢しなくていい場所なんだってことを」
部屋の外から、チビたちの歓声が波のように押し寄せてくる。
ライクはしばらく黙っていた。それから、耳の裏まで赤くしながら、ぼそりと言った。
「……よろしく、お願いします」
「こちらこそ」
聡介が立ち上がった。扉を開けると、石畳の上の光と歓声が、一気に室内へ流れ込んできた。
宿坊の前、陽の光を浴びて輝く石畳の上では、チビたちが縦横無尽に走り回り、転がり、まさに生命力のパレードが続いていた。
「さあ、みんなのところへ行こうか」
聡介がそう言って石畳へと足を踏み出し、エルマとライクがそれに続いた。
しかし、二人は石畳の縁まで来たところで、即座に足を止めた。
「……な、なんだこれは……」
後ろにいたライクの声が引きつった。
石畳の上で、チビたちは全員、太陽のような笑顔で遊んでいる。
しかし、そのチビたちの波に揉まれた、監視役の大人たちの姿は凄惨だった。
宿坊のステップの下、石畳の上に仰向けに突っ伏していたのはイグニシアだった。
少し離れた木陰の縁石に力なくもたれかかり、虚空を見つめているのはディーザだった。
十数分前までの威厳に満ちた竜人族の副団長と、冷静沈着なリザードマンの事務担当の姿はどこにもない。
二人の衣服は、果てしない鼻水とよだれ、そして何かのシミでしっかりと汚れていた。
「……魔獣との戦闘より、過酷だった」
イグニシアが地面に顔を伏せたまま、絞り出すように言った。
「保育士って、これを毎日笑顔で生業にしているんですよね……。ソウスケさん、一体何者……」
ディーザがガタガタと震えながら言った。
「シアさん、何があったんですか」と聡介が聞いた。
「鼻水、よだれ、排泄、お馬ごっこ、さらに石畳の上での追いかけっこ……」
「なるほど」
その横で、ドランがクリムを抱えながら「楽しかったー!」とご満悦だった。すでに何人かのチビたちがドランの足にしがみついている。
聡介は石畳を見渡した。
大人は多少ひどいことになっていたが、子どもたちは全員、笑顔だった。
「さあ」と聡介は言った。
エプロンを整え、ひよこを一撫でする。
「これから忙しくなりますよ」




