第51話:【道の途中の商人】
新バザールの商店街を回り始めて、一時間も経たないうちに現実が見えた。
寝具ひとつで銀貨十枚。食器のセットで銀貨八枚。保存食の袋は種類によって銀貨三枚から五枚。
「……査定所でもらったお金では」とドランが言った。
「全部合わせても、布団一枚買えるかどうかですね」
聡介は手帳に数字を書き込みながら、息を吐いた。
「思った以上に厳しいな」
イグニシアが腕を組んだ。
「現地の種族への売値は、さらに上乗せがあるとディーザが言っていた」
「それは……」
「組合の税だ。加盟していない者には、別途徴収される仕組みになっている」
聡介は手帳を閉じた。数字を見ていても、今は答えが出ない。
「もう少し回ってみましょう」
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大通りから外れて歩いていると、いつの間にか人通りの少ないエリアに出ていた。
組合の看板が目立つ大通りとは違う。くたびれた天幕、色褪せた看板、客の来ない店先。
旧バザールほど寂れてはいないが、新バザールの活気からは完全に取り残されていた。
その一角に、小さな雑貨屋があった。
扉は開いているが、中に客はいない。帳簿を前にして溜息をついている男が、カウンターの奥に見えた。
人間の男だった。年は四十代くらいだろうか。旅慣れた様子の服装だが、肩が疲れたように落ちていた。
通り過ぎようとした時、男が顔を上げた。
聡介たちを見た。
一瞬、止まった。
フードの奥を見ている。ドランの仕草、イグニシアの立ち姿。男の目が、何かを確認するように動いた。
「……少し、よろしいですか」
男が立ち上がった。声は低く、穏やかだった。
「竜人族の方……ですよね」
イグニシアの目が細くなった。
「何者だ」
「敵意はありません」と男は言った。両手を上げた。「少しだけ、話を聞いてもらえませんか。人目のつかない場所で」
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店の奥の小部屋に通された。
荷物が積み重なっていたが、椅子だけは用意された。男はルードと名乗った。
「私はバザールの創立メンバーの一人です。今は……ご覧の通り、新しいバザールの端っこで細々とやっています」
「シーヴァさんを知っているんですか」と聡介は言った。
ルードの顔が、一瞬だけ変わった。
「知っています。彼女がいなければ、このバザールは生まれなかった。……私がここに来たのも、彼女に誘われたからです」
ルードは帳簿を閉じた。
「あの方が亡くなってから、私はずっと迷っていました。組合のやり方に従えば食っていける。でも……」
「でも?」
「自分がしたかった商売は、こんなものじゃなかった」
ルードは窓の外を見た。バザールの大通りの喧騒が、壁を通して聞こえてくる。
「私がやりたかったのは、樹海や大陸の奥地に踏み込んで、まだ誰も見たことのない素材を持ち帰ることだ。亜人たちと対等に笑い合いながら取引することだ。……今やっていることは、その真逆です」
聡介は静かに聞いていた。
「ルードさん。少し聞いていただけますか。実は今、私たちは」
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聡介が養護院の話をすると、ルードはしばらく黙っていた。
それから、「子どもたちのためですか」と言った。
「はい」
「利益は」
「ないです。当分は」
ルードが笑った。自嘲するような、でもどこか懐かしそうな笑い方だった。
「シーヴァさんも、最初はそう言っていましたよ。利益より先に、人が笑顔になる場所を作る、と」
ルードは立ち上がった。
「店を畳む手続きを、始めます」
「え?」
「今日中に組合に申請を出します。店舗の引き渡しには時間がかかりますが……手続きが終わるまでの間は、この店を使えます。物資の仕入れルートとして、使ってもらって構いません。組合の目を通さずに動ける間に、できるだけ手配します」
「ルードさん、でも」
「私がしたかったのは、こういう商売ですよ」とルードは言った。「遅すぎたかもしれませんが」
その目が、久しぶりに前を向いていた。
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その日はそこで一旦別れ、それぞれの行動を進めた。そして翌日。かつてのバザール、グラムの宿にルードが訪れた。
「ここに来るのも久しぶりだ…」と感慨深げに呟くが、グラムの姿が目にはいるやいなや、彼は勢いよく頭を下げた。
「グラムさん…すまなかった」
「ルード」
自分の名を呼ぶ声に、より一層深く頭を下げ、ルードはその胸の内を吐露する。
「私は、あなたたちを…そして自分を裏切っていた。そのことに薄々気付きながらも、何もできなかった…。本当に、申し訳ない」
グラムは目を閉じ黙った後、おもむろに応えた。
「仕方が、なかったんだよ…。私だって似たようなものだ…」
その声は穏やかだったが、何処か諦めに似た響きが感じられる。
グラムはそう言うと、ルードに近づき肩に手を置き、「おかえり…」と呟いてまたカウンターに戻っていった。
暫くは目元を拭う気配と、鼻を啜る音が響いたが、それも落ち着いたのか、ルードは聡介たちのいるテーブルへとやってきた。
何処か憑き物が落ちたような表情で腰を下ろすルードを見つめていると、その口から言葉が漏れる。
「私は…何をやっていたんでしょうね…」
「ルードさん…あなたはちゃんと戻ってきましたよ。前を向くと、決めたんでしょう」
違いますか、と問いかける聡介の声で、その目の焦点が合っていく。
「そう…ですよね。私はまた…。いや、お恥ずかしいところをお見せしました」
「そうですよ!頼りにさせてもらいますからね」
「精一杯、頑張ります」そう口にしながら口元に薄く笑みを取り戻したルードが「そういえば、一つ聞いていいですか」とイグニシアの方を向き尋ねる。
「なんだ」とやや驚きながら応えるイグニシアに、ルードは居住まいを正し、言葉を続けた。
「昨日から気になっていたんですが、竜人族の方は、時に特別な武器をお持ちだと聞きました。ひょっとしてあなたの剣も…」
「……特別かどうかは分からんが、里で作られた武器を私も愛用している」
「少し見せてもらうわけにはいきませんか?」
「見るだけなら構わない」
イグニシアが剣を抜いた。刀身が赤く輝いた。
「……これは」驚くルードを尻目に、聡介思わずといった様子で尋ねる。
「今まで気にはなってたんですが、シアさんの剣って一体どういうものなんですか?普通の鉄じゃないですよね?」
「ああ、不死鳥の山脈では灼光石という鉱石が採れてな、それを里の職人が鍛えたものだ。炎へと変換した魔力と親和性が高い。私が樹海でグレートボアを倒したときのことを覚えているか?」
「確か…刀身に火を纏っていましたね」
「あぁ、あのようなことができるのも、この剣のおかげだ。まぁ、灼光石自体は暖を取るためにも使われているものだから、竜人の里ではそんなに珍しいものでもないぞ」
「へぇー全然知らなかったです」
「聞かれなかったからな、今度里を訪れたときには鍛冶工房を案内してやろう」
「そのときはぜひ」
その横でルードが「とんでもなく重要なことを聞いてしまった気がする」と言った。
「こんな話、ほとんど見ず知らずの私の前でしてよかったんですか」
「貴様……竜人の里によからぬことを」
「怖いですよ!そんなつもりはないです!剣のことは興味本位で…本当は樹海の先の種族と取引できる伝手を聞きたかっただけなんです……」
「それなら、心当たりがありますよ」と聡介が言った。
ルードが顔を上げた。「本当ですか」
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互いの求めるものが見えてきた。
ルードは樹海とその先への伝手を求めていた。聡介たちは養護院の物資と、里や広場への連絡手段を求めていた。
そんなやり取りの中、イグニシアは何処か迷いを吹っ切るような様子で、荷物から何かを取り出した。
「これを」
その手に乗っていたのは、小さな石だった。しかしそれは、温かみのある赤い色をしていた。
「これが灼光石だ。まぁ、この程度なら、里の者も惜しまないだろう」
「……買い取らせて…もらえるんですか」とルードが言った。
「いいんですか、シアさん」
「あぁ構わん。査定所で買い取り表を見た時から、薄っすらと考えていたことだ」
その言葉にルードは表情を引き締める。
「手持ちの貨幣で全部…。それを、養護院の物資にあててください」
「いいんですか」
「私がしたかった商売の、最初の一歩です」そう言いながら、今度はしっかり破顔するルード。
その様子を見て、今度は聡介がお散歩リュックから紙を一枚取り出した。
指先が動く。カサ、カサ、と音がして、一羽の鶴が生まれた。
「これを持っていてください」
ルードが呆然としながら受け取った。
「竜人の里からここまでの道筋と、樹海にある、みずひかり広場のことをお伝えします。そうだ、里や広場への手紙も預かってもらえますか。……その折り鶴を掲げた商団なら、僕たちの仲間だと分かりますから」
我に返ったルードは、手の中にある折り鶴をしばらく見つめていた。そしてあげた顔には、熱い決意が漲っていた。
「……約束します。けしてあなた達の仲間にご迷惑にならないようにすること。また、公平な取引をすることを…」
ルードが鶴を胸元にしまった。
窓の外、旧バザールの通りに、夕暮れの光が差し込んでいた。




