第50話:【はじまりの聖堂】
翌朝、グラムの宿の食堂に全員が集まった。
テーブルの上には、グラムが用意した簡素な朝食があった。パンと干し魚と、湖の水で淹れたお茶。
聡介はそれを一口食べてから、顔を上げた。
「皆さんに、話があります」
ドランがパンをかじりながら聡介を見た。イグニシアが腕を組んだ。ディーザはお茶のカップを置いた。
「この街で、行き場のない子どもたちのための場所を作りたいんです」
しばらく、誰も何も言わなかった。
ドランが「居場所って、どういうこと?」と聞いた。
「安心して眠れる場所。ご飯が食べられる場所。昨日みたいなことが起きない場所」
「……ライクたちみたいな子たちのために」
「そうだね」
ドランはパンを置いた。
「やろう」
即答だった。イグニシアが小さく息を吐いて、「場所はどうする」と言った。
カウンターの奥でグラムが手を止めた。聞いていたのだろう。しばらく黙ってから、こちらに向き直った。
「……一つ、思い当たる場所がある」
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「龍の聖堂に、昔の宿坊が併設されているんだ」
グラムは椅子を引いて、テーブルに座った。
「昔の巡礼者のために作られた建物だとシーヴァさんは言っていた。我々も始めはそこに泊まらせてもらったんだ。部屋は十分ある。新しいバザールの連中はあそこには近づかない。龍玉が輝きを失ってから、誰も寄り付かなくなったから」
「なるほど…」と聡介は言った。聖堂を訪れた時、隣の草にまみれた建物が気になっていた。
「それは、子どもたちが安心して過ごせそうですね」
「ただ、おそらくあの建物は許可が必要だ。管理しているのは——」
「私が話をつけます」
ディーザが静かに言った。
全員がディーザを見た。
「あの聖堂は、龍を祀る場所です。祭司の家系が代々管理してきた。姉さんも、私も、その家系の者です」
ディーザはテーブルの上で手を組んだ。
「今はもう、あまり必要とされていない場所かもしれない。でも……どんな形であれ、あそこに人が集まることは、姉さんが望んでいたことのはずです。里長や集落の者たちには、私から責任を持って話を通します」
少し間を置いて、ディーザは続けた。
「……あの子たちのために、使ってください」
その言葉の奥に、昨日路地裏でライクを見た時の表情が滲んでいた。
聡介は頷いた。
「ありがとうございます、ディーザさん」
グラムがカウンターに戻りながら、小さく言った。
「……シーヴァさんが生きていたら、きっと同じことをしただろうな」
誰も答えなかった。でも、その言葉は食堂の空気に静かに溶けた。
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午前中、一行は龍の聖堂へ向かった。
聖堂の脇、半ば草に埋もれるようにして建っていた宿坊の扉を開けると、埃の混じった空気が流れ出てきた。
「……広いですね」
中に入ると、廊下の両側に扉が並んでいた。
一つひとつ開けていくと、小さな部屋が続いている。ベッドの骨組みが残っているものもあった。窓の鎧戸はくたびれてはいたが、朽ちてはいなかった。
「建物はしっかりしてる」と聡介は言った。
「掃除すれば使えます」
「では、やろう」
イグニシアが上着の袖をまくった。
「え、今すぐですか」
「始めるなら早い方がいいだろう」
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大掃除が始まった。
聡介がお散歩リュックから雑巾を取り出すと、ドランが「僕もやる!」と飛びついた。
ドランはさっそく、どこかから古びた木製のバケツを見つけてきて、水を汲んできた。
「じゃあドランくんはこっちの廊下を頼んでいいかな」
「まかせて!」
ドランが雑巾を持って廊下に飛び出した。クリムを廊下の端の棚に座らせ、ピヨすけをその隣に置いてから、力いっぱい床を拭き始める。
「クリム、ピヨすけ、見ててよ!ここ、ピカピカにするから!」
「ピヨッ」
ピヨすけが応えるように一声鳴いた。
イグニシアは廊下の奥で、積み重なった古い家具を動かしていた。石造りの重い棚を、音も立てずに持ち上げて壁際に寄せる。
「……シアさん、それ一人で大丈夫ですか」
「問題ない」
「きっと三人がかりくらいで動かすやつですよ、それ」
「だから問題ない」
ディーザは窓を開けて回っていた。鎧戸を押し開けると、湿原の風が室内に流れ込んできた。埃が舞い上がり、光の筋がいくつも差し込んできた。
「……風が通る」
ディーザがつぶやいた。
「姉さんが、ここを掃除していた頃の匂いがする」
誰も聞いていないような声だったが、聡介には聞こえた。
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夕方には、宿坊が見違えるようになっていた。
床は磨かれ、窓は光を通し、空気が変わっていた。まだベッドも布団もないが、部屋に入れば誰でも分かった。ここは、さっきまでとは違う場所になっている。
龍の聖堂から差し込む夕日が、宿坊の廊下を橙色に染めていた。
ドランが廊下に大の字に寝転がって、「疲れた〜」と言った。
「お疲れ様」と聡介が笑った。
ピヨすけがドランのお腹の上に降りてきて、「ピヨッ」と鳴いた。
「重いよピヨすけ〜」
「ピヨッ♪」
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夜、一室にロウソクを灯して、四人が車座になった。
「ハコはできました」と聡介は言った。「次は中身です」
「中身というと」とディーザが言った。
「寝具、衣服、食器、備蓄の食料、薬品類。最低限これだけは要ります。子どもたちを迎える前に」
「査定所でもらった銀貨では」
「おそらく全然足りないですね」
沈黙が落ちた。
「どうする気だ」とイグニシアが言った。
「明日、新バザールをもう一度回ります。何がどれくらいの値段で手に入るか、まず知らないと動けませんから」
ロウソクの炎が、揺れた。
ドランがクリムを抱えながら言った。
「先生、ライクたちここに来てくれるかな」
「来てくれるといいね」
「来ないかもしれないけど」
「そうかもしれない」
「でも、来てくれるといいね」
聡介は頷いた。
窓の外、龍の聖堂の方角から、夜風が流れてきた。
どこかで水音がした。大湖水の、静かな波の音だった。




