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【第三章開幕】異世界転移したおっさん保育士、子どもも大人も世界の歪みも、愛と受容でまるごと抱きしめる  作者: まどか
第三章:ひよこエプロンと、抗う露天街の子

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第46話:【色褪せた場所と、龍の灯火】

ゾルグの乗る船は、壁のように立ち並ぶ建物群から離れるようにしながら、湖に向けて船を走らせた。


やがて、大湖水の湖岸に沿って横長に伸びる木造の高床式の建物群にたどり着く。


かつては商人や種族でにぎわっていたであろう通りは、今は人影もまばらで、天幕の端がほつれたまま風に揺れていた。


「ここは?」


「俺の妻たちが作った、本来のバザールだ。今じゃ見る影もないがな……」


ゾルグが短く言った。その横顔に、懐かしさとも苦さともつかない色があった。


通りの奥の方角から、別の喧騒が波のように聞こえてくる。活気というより圧力に近い音だった。


「まずは宿を確保する。ついてこい」


────────────────


ゾルグが案内したのは、通りの中ほどにある小さな宿だった。


看板は色褪せていたが、建物自体はしっかりしていた。


扉を開けると、カウンターの奥に白髪交じりの人間の男が座っている。帳面に目を落としていたが、ゾルグの顔を見た瞬間に顔を上げた。


「……ゾルグか。久しぶりだな」


「ああ。世話になる」


「いつもの部屋でいいか」


「ああ。こいつらも頼む」


宿の主人が聡介たちを見た。値踏みするでも警戒するでもなく、ただ静かに見た。


「……初めて見る顔だな。訳ありか?」


ゾルグはその問いには答えず、聡介を見やる。


「別俣聡介と申します。お世話になります」


「…グラムだ。数年前まではこの辺りで一番の宿だったんだがな」


グラムは苦笑しながら立ち上がり、鍵を取り出した。


「荷物を置いたら、少し話でもするか。久しぶりに、話したいことがある」


────────────────


荷物を置いた後、グラムは聡介たちに語った。


シーヴァが音頭を取ってバザールを作った頃のこと。各種族が力を合わせて桟橋を建て、宿を作り、通りを整えていったこと。


「少し前までは、みんなが笑っていた。物々交換でも、少しの金でも、そこに来れば何かが手に入った。……今は違う」


グラムは窓の外を見た。


「組合の証がなければ、まともな取引もできん。素材を持ち込めば買い叩かれる。そうやって得た貨幣で、組合公認の店でしか買えないものを買わされる。……気づいたら、みんなそのサイクルの中に入っていた」


「抵抗しようとした人は」


「した。シーヴァさんが一番声を上げた。それで、どうなったか」


グラムは言葉を切った。


聡介は静かに聞いていた。


「……今でも商売を続けているのは、やめたら負けな気がするからだ。シーヴァさんが作った場所を、俺たちが手放したら終わりだ。そう思って、細々と続けている」


その目に、諦観と、かすかな何かが混じっていた。


────────────────


昼過ぎ、聡介はドランと一緒に通りを歩いた。


建物の陰に、子どもたちがいた。数人、膝を抱えて座っている。


着ている服は汚れ、足元は裸足だった。聡介が近づくと、一斉に警戒した目を向けてきた。


「こんにちは」


返事はなかった。


その中の一人、カエルのような見た目をした子の膝に、乾いた血がついているのが見えた。


「ちょっとだけ、いいかな」


聡介は腰を下ろし、お散歩リュックからガーゼと清浄綿を取り出した。


「触らないで…」


「うん、触らないよ。膝、拭いてあげるだけ」


「いらない」


「そっか」


聡介は引かなかった。ただ、子どもの前に清浄綿を置いて、待った。


周囲の子どもたちがお散歩リュックの中身を少し気にしながら、聡介を見ていた。


しばらくして、怪我をした子が「……ちょっとだけ」と言った。


聡介は丁寧に、膝の汚れを拭いた。


「冷たい」


「うん、そういうものなんだ。痛くはないでしょ」


「……ない」


手当てが終わった後、聡介はお散歩リュックから乾燥果物を一掴み取り出して、子どもの手に乗せた。


「これ、食べてみて」


子どもが一口食べた。目が少しだけ丸くなった。


「……甘い」


周囲の子どもたちが、一斉に身を乗り出した。


「みんなの分もあるよ」


聡介がリュックから次々と乾燥果物を取り出すと、子どもたちが恐る恐る手を伸ばした。

その様子を、少し離れた場所から見ている視線があった。


聡介が顔を上げると、建物の影に、こちらを睨むように見ている少年がいた。


年は十代の前半くらいだろうか。鱗はリザードマンのものだが、その目は他の子どもたちとは違う色をしていた。


少年は聡介と目が合うと、踵を返して路地の奥に消えた。


────────────────


夕方近く、ゾルグが「聖堂に寄っていく」と言った。


聡介たちはその様子に黙って後に続く。


湖岸に沿って組まれた木の足場を進むと、通りの最果てに、深い緑に覆われた石造りの建物が見えてきた。


他の建物から少し離れたその場所で、ぷつりと足場が途切れる。


一面の草むらに足を踏み入れた瞬間、カツン、と足裏に硬い感触が返ってきた。


草に隠れて見えなかったが、そこは大昔から築かれていた巨大な石の基壇の上だった。


よく見ると、生い茂る雑草の中に、人が踏み分けて歩いた形跡だけが、大湖水を背にする聖堂の入り口へと細く続いている。


その踏み分け道のすぐ隣には、同じように草や蔦に半分呑み込まれた木造の建物が、ひっそりと佇んでいた。


聖堂の扉は閉まっていたが、鍵はかかっていなかった。


長年の風雨に耐えてきた分厚い木造りの扉に、ゾルグが大きな手をかける。


ズ、と低い地鳴りのような重い音を立てて、扉が開かれた。


中は薄暗かった。祭壇の周りは拭かれていたが、隅には埃が積もっている。


枯れた花が一輪、台座の前に置かれていた。それは、人々の営みの気配が感じられない、何処か終ってしまった場所のような空気だった。


ふと見ると、正面の祭壇に、石の台座があった。その中央に、握り拳ほどの大きさの球体が置かれていた。


「……あれは、何ですか」


聡介が尋ねると、ゾルグは球体には近づかず、脇にある明かり取りの窓から湖の方を見た。


「龍玉だ」


「龍玉」


「大湖水を守る龍に遣わされたと言われている。龍が健在であれば、輝くはずのものだ」


ゾルグの視線は窓の外、大湖水の中央の島の方角に向いていた。


「……見ての通り、今は輝きを失っている。そのせいで龍が去ったと噂が広まり、あっという間に誰も見向きもしなくなった」


聡介とドランは興味を持って台座に近づいてみた。確かに、光は見えない。ただの石のようにそこにある。


その時だった。


ドランが抱いていた小さな体と、台座の球体が、何かに引き合わされるように微かに反応した。


球体の中心から、ほのかな光が滲み出した。


蛍が灯るような、かすかな輝きだった。


「あれ……? ちょっとゾルグさん、これ光ってませんか?」


「なにっ?」


ゾルグが振り返った。台座に近づき、まじまじと見つめた。


「……本当だ」


「僕とクリムが近づいたら、急に……」


ドランが不思議そうに言った。


ゾルグは長い間、光を見つめていた。


「……あいつが言っていた」


低く、絞り出すような声だった。


「龍は私たちを見捨てない、と。真相を確かめに行くと言って……そのまま、戻らなかった」


誰も何も言わなかった。


聡介にはその言葉の全てを理解することはできなかった。でも、今ゾルグに必要なのは言葉ではないと分かった。


しばらくして、ゾルグが顔を上げた。


「……集落に知らせなければならない」


「行ってください」と聡介は言った。「僕たちのことは大丈夫ですから」


ゾルグは振り返らなかった。


「すまん……。ディーザ、後は頼んだぞ」


「……分かりました」


ディーザが短く答えた。


ゾルグの足音が、石畳の上を遠ざかっていった。


聡介は龍玉を見た。


ほのかな光は、まだそこにあった。

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