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【第三章開幕】異世界転移したおっさん保育士、子どもも大人も世界の歪みも、愛と受容でまるごと抱きしめる  作者: まどか
第三章:ひよこエプロンと、抗う露天街の子

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第45話:【湿原を駆ける、銀の航跡】

出発の少し前、ゾルグが一人の女性を連れてきた。


昨日、子どもたちの輪の外から聡介を値踏みするように見ていた女性だった。


「俺はずっとついていてやれないからな。向こうではコイツをつけてやる。……おい、挨拶しとけ」


「本当になんで私がそんなことを……」


女性は短く息を吐いた。それから、聡介たちに向き直った。


「まぁいいです。ディーザといいます、お見知りおきを」


「こんな愛想もへったくれもないやつだが、バザールのことには詳しい。何かの役に立つだろう」


「余計なことを言わないでください。だいたいあなたは——」


「御託はいい。とっとと船に乗れ」


「………」


納得のいかない表情のまま、ディーザは不承不承船に乗り込んだ。


「昨日も伺いましたが」と聡介はゾルグに近づいて言った。「どうしてそこまでしてくださるんですか」


ゾルグはしばらく黙っていた。


「……別段、何かを求めているわけでも、何かしてほしいわけでもない」


「はあ」


「強いて言うならば、勘だ」


「勘……ですか」


「ああ。こっちの都合だ、深く考えるな。……さあ、行くか」


「……お世話になりました」


聡介はゾルグの背中を見送った。何と言えばいいか分からなかった。でも、その「勘」という一言が、ずっと胸の中に残った。


────────────────


出発した船は、聡介の思いとは裏腹に爽快に進んでいく。


リザードマンの集落を出た船は全部で三隻。先頭をゾルグの乗る船が行き、中央に聡介たちが乗る船、もう一隻が後ろに続いた。


ゾルグに言いつけられたディーザは、聡介たちの船に同席していた。出航してしばらくしても、彼女は特に何かを話すこともなく、外を見ながら黙って座っている。


他のリザードマンたちと雑談を交わしていた聡介だったが、思い切ってディーザに話しかけてみた。


「ディーザさん、でよろしかったですか」


「そうですが……何か」


「少しお話をと思いまして。そういえば、この船ってリザードマンの集落で作られているんですか」


「……まぁ、いいでしょう」


ディーザは少し間を置いてから、口を開いた。


「船ですか。そうですね、集落にいる職人たちが作っています」


「やっぱりそうなんですね。すごい技術だと思って」


「勿論です。先人たちが知恵を持ち寄り作り上げた、叡智の結晶です。門外不出のものですので詳しくは言えませんが——そもそも魔法というものは感情が力となる、つまり感情の状態によって出力が変わるということはご存知ですね。よって余程鍛錬を積んだ者以外は、魔力を一定に保つのが難しいというのがこの世の理です。この船の術式は、その不安定さを補うように設計されていまして——」


話し始めたディーザは、饒舌だった。


聡介は相槌を挟みながら、ゾルグやシーヴァ、そしてこのディーザのことに思いを馳せた。姉を亡くして、姉の夫を遠ざけて、それでも姉が作ったバザールのことを誰より詳しく知っている。


「——つまり、出力の調整が難しい魔法というものに対して、この船の術式を通せば一定の力を出力することが……。聞いていますか?」


「あっ、はい。とても分かりやすく教えていただきありがとうございます」


「そうですか、ならよかったです」


そう言ったきり、またディーザは船の外を向いて黙ってしまった。


(話しやすい人なんだけどな)


聡介は苦笑を漏らした。


────────────────


しばらくの後、休憩の合図があり、船のスピードが緩んだ。


操舵士のリザードマンが声をかけてきた。


「随分と打ち解けるのが早いな。気難しいやつなんだが」


「そうですか? とても話しやすい方だと思いますけど」


「お前、変わってるな」


「よく言われます。……それにしても、船の操舵、面白そうですね。僕にもできるかなあ」


「おっ、保育士の兄ちゃん、やってみるか?」


「いいんですか?」


「ああ、大して難しいもんじゃない。こっち来てみろ」


ほかの面々が船から降りて体を伸ばす中、聡介は操舵士の横に行き、舵柄を握った。イグニシアもさりげなく近くに来て、聞き耳を立てている。


「いいか、この舵柄を握って魔力を流し、進みたい方向に舵を切る。それだけだ」


「そんなに簡単なんですか?」


「まあな。だがうまく扱うにはそれなりにコツがいるぞ。やってみな」


聡介は舵柄を握り、魔力を流そうとした。


(あれ? なんとなく普通になっていたけど、魔力ってどう流すんだ? そもそも僕に魔力ってあるのか?)


そうこう考えているうちに、不審に思った操舵士が声をかけてきた。


「どうした兄ちゃん、何か分からねえことでも?」


「いえ、どうやら僕には難しいみたいです」


「えっ? そんな、魔力を流すだけだぜ」


「ありがとうございました、ご無理を言って。……そうだ、シアさんとか上手そうですよね」


「なっ、私がか」


「さっきから興味がありそうな顔してるじゃないですか」


「おっ、竜人族の姉ちゃんが挑戦かい。さあやってみな」


「なぜ私が……」


ぶつぶつと文句を言いながらも、満更でもなさそうなイグニシアが舵柄を握った。ゆっくりと魔力を流していく。普段は炎へと変換される魔力が、スムーズに術式を流れ始めると同時に、船が滑らかに動き始めた。


「うめえじゃねえか姉ちゃん、初めてか?」


「……話しかけるな、気が散る」


そう言うと、イグニシアは操舵に集中していった。


────────────────


一行はそのまま昼食休憩を取ることにした。

団欒の場でもディーザは寡黙で、端に座って黙々と食べている。


ゾルグといえば昼食を食べ終えるとすぐ「少し眠る、しばらくしたら起こせ」と言い残し、船で寝息を立て始めた。


イグニシアは手っ取り早く食べ終え、すぐに操舵に向かった。どうやら随分お気に召したようだ。


そんな面々を見るともなく眺めていると、小柄なリザードマンの男が話しかけてきた。初めて遭遇したあの日、聡介にクリムのことを尋ねてきた男だ。


「まったく、自由な奴らばっかりだぜ。そう思わねえか」


「ゆったりしていていいじゃないですか。えっと……」


「ああ、まだ名乗ってなかったか。俺はザインってんだ。ゾルグとは幼馴染ってやつだな」


「そうですか。ザインさん、少しお尋ねしてもいいですか」


「なんだい、俺が答えられる話かい」


「ええ。もう少し皆さんのことが知りたくて。集落のことやバザールのことあたりを」


「ふむ……まあいいだろう」


ザインは楽な姿勢に座り直して、語り始めた。


「ゾルグの嫁さんが生きていた頃はな、集落全体がバザールとのつながりを歓迎していた。漁で採れた魚や作物で珍しいものや便利なものが手に入る。みんな喜んでいたよ」


「それが変わったのは」


「嫁さんが死んでからだ。俺たちは例の商団を疑って行動を起こしたんだが、それが裏目に出ちまった。バザールとの関係が悪化して、集落にも余波が来た。里長はもともと外に開くことに反対していたから、そら見たことかって感じでね」


「集落の皆さんは、どう思っているんですか」


「複雑だよ。一度便利な生活を知ってしまったから、戻りたいという気持ちはある。でも今さら動いて、また何かあったらと思うと……なかなか動けないんだろうよ」


「まぁ、俺たちも何かできているわけでもないがな…」ザインはそう言うと寂しげに船を見つめた。


聡介は静かに聞いていた。


「ゾルグさんは、今も諦めていないんですね」


「…諦めたら、嫁さんに顔向けできないと思ってやがるんだ。本当に……不器用な男だぜ」


ザインは笑い顔にはどこか諦めに似た憂いがあったが、その表情の奥には、確かな敬意があった。


────────────────


しばらく後、ゾルグを起こした一行は休憩を終え、再び出発した。


聡介たちの船はイグニシアが操舵している。


「シアさん、ちょっと待ってください、速くないですか」


「問題ない」


「問題ありますよ!」


聡介が舵柄に近づこうとして足を滑らせた。


「わっ」


「先生!」


ドランが慌てて聡介の腕を掴んだ。ザインが笑いをこらえながら聡介を引き上げた。


「シアさん、安全第一でお願いしますね」


「……善処する」


苦笑いを浮かべる聡介を見て、ドランが可笑しそうに笑った。その隣でクリムの羽飾りが風に揺れていた。


なんとかイグニシアの操舵に慣れながら、聡介はザインから聞いたことをずっと考えていた。


リザードマンの集落のこと、ゾルグの妻のこと、バザールの実情。自分の出る幕ではないと分かってはいるが、考えずにはいられなかった。


────────────────


夕方近く、前方に水面の輝きが見えてきた頃、ゾルグが一度船を寄せて止めた。


「あれが、大湖水だ」


湖というより、海に近かった。


どこまでも広がる水面が、夕日を受けて金色に輝いている。その湖岸に、無数の建物が街の輪郭を作っていた。


その向こうには、湖から湿地帯に向けて堅牢な壁が伸びている。


「……大きい」


ドランが息を呑んだ。


「あれがバザールか」


「ああ」


ゾルグが、少し遠い目をした。


「あいつが、かつて人間と一緒に作った場所だ」


その声に、懐かしさと苦さが混じっていた。

聡介は大湖水の中央に目をやった。


水平線のような場所に、ひときわ水面から盛り上がった島の影があった。


「あの島は?」


「ここら一帯を守る龍が住むと言われている島だ。いや、いたと言った方が正しいか。その言い伝えも随分と昔のものだ」


ゾルグは遠い目をしながら語り、最後にポツリと呟くように言った。


「湖畔にある龍の聖堂も、今となってはもう…」


聡介はふと、ドランの横に座るクリムを見た。何故かその時、クリムの体が温かくなったのを感じた。


────────────────


「さて」と重苦しくなった雰囲気を吹き飛ばすように明るくザインが言った。


「着く前に一つ、提案がある」


「なんですか」


「せっかくだから、バザールの手前でひとっ走りしないか。腕試しだ」


「ザイン……お前はまたくだらんことを」


「いいじゃねえかゾルグ、この姉ちゃんいい腕だぜ。どうだい、やるかい?」


イグニシアがちらりとこちらを見た。


「受けて立つ」


「イグニシアさん、即答しすぎでは」


「問題ない」


「勝手にしろ」


ゾルグは呆れながらもそう返した。それがレース開始の合図になった。


走り始めた三隻は抜きつ抜かれつ、風のように湿原を走る。イグニシアはけして引けを取らなかった。


そうして始まったレースは、決着がつく前にバザールの手前に着いてしまった。


「引き分けだな」


「……次は負けない」


イグニシアが舵柄を離しながら言った。ザインが「怖い怖い」と笑った。


バザールの喧騒が、波のように押し寄せてきた。


聡介は船上でお散歩リュックを背負い直した。ドランはしっかりクリムを抱いている。イグニシアはどこか満足そうだ。


聡介はエプロンのひよこを一撫でして、前を向いた。


「さあ、行きましょうか」

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