第43話:【身を清めて、腹を割って】
名前だけは、道中に教えてもらった。
ゾルグ。それがこの首魁の名だった。首魁というよりは頭目と言ったほうが正しいかもしれない。
船が再び動き出した時、仲間の一人が聡介の隣に来て「頭の名前ぐらい教えておいてやる」と言ったのだ。ゾルグ本人は黙って舳先に立ったまま、前を見ていた。
「あんたらみたいな物珍しい連中、久しぶりだな。人族と竜人と変な鳥と……あの細工物は何だ?生き物なのか?」
仲間のリザードマンが、純粋な好奇心の目でドランの腕の中のクリムを指差した。
それは、ごく自然な雑談のトーンだった。だから聡介も、特に深く身構えることなく、聞かれたままに言葉を返した。
「クリムといいます。えーと、元はたぶんドラゴンの子で……」
「ドラゴン!?」
「声が大きい」
ゾルグが振り返らずに言った。仲間が慌てて口を塞ぐのを見ながら、聡介はそこで初めて、ハッと我に返った。
(……そういえば、クリムが何者かなんて、今まで誰にも聞かれなかったな)
今までは誰もがただのぬいぐるみだと思ってスルーしていたし、自分たちもあえて隠そうと意識していたわけではない。
だからこそ、初めて真っ直ぐ尋ねられて、つい普段通りの事実をそのまま口にしてしまったのだ。
(初対面の彼らに、ちょっとあっさり言いすぎただろうか……?)
内心で少しだけ冷や汗をかきつつも、ゾルグに怒られた仲間が肩をすくめて、でも目は笑っている様子を見て、聡介はそっと息を抜いた。
「まあいい。着いてから話してくれ」
────────────────
船は湿原の水面を滑るように進んでいた。
(……そういえば)
聡介はふと、足元を見た。湿原だ。水が浸っているが水面ではない。なのに船が走っている。
「あの、一つ聞いてもいいですか」
「なんだ」
「この船……池や湖でもないのに走ってますよね。どういう仕組みなんですか」
仲間のリザードマンが「おっ」と声を上げた。
「気づいたか。これはな、船底に水魔法の術式が組んであるんだ。薄い水の膜を作って、その上を滑る。だから多少の湿り気があれば走れる」
「なるほど……。ホバークラフトみたいな」
「ほばーくらふと?」
「こちらの話です。よくできた仕組みですね」
「だろう? 俺たちの先代が考えた——」
「余計なことを喋るな」
ゾルグが短く言った。仲間が「へいへい」と肩をすくめた。
聡介はその様子を見ながら、内心で少し笑った。
(仲間内の空気が、温かい)
────────────────
集落は、街道から大きく外れた湿地の奥にあった。
巨木の根が水面から突き出し、その根と根の間に高床式の建物が連なっている。板張りの床は水面から高く上がっており、梯子と吊り橋で各建物が繋がっていた。
「……すごい」
ドランが目を丸くした。
「水の上に、家がある」
「湿原で生きるにはこれが一番だ」と仲間のリザードマンが言った。「洪水が来ても、水が引けばまた使える」
船が停泊場所に着くと、一行は梯子を登って高床の建物へと案内された。
「まず泥を落とせ。話はその後だ」
ゾルグがそう言って、水桶と布を差し出した。
聡介は顔と手の泥を拭いながら、周囲を見渡した。集落の中には、子どもたちの姿があった。リザードマンの幼い子どもたちが、高床の上で遊んでいる。
(……子どもたちの様子は、普通だ)
聡介たちを見て、怯えるでもなく、ただ珍しそうに、きょとんとした目でこちらを見つめている。大人に対する怯えや、環境への過度な警戒心が爪の先ほども見当たらない。
それは、この集落の大人たちが、日頃からどれほど子どもたちを大切に、愛情深く守り育てているかの何よりの証拠だった。
(だからこそ、あんなに必死になって僕たちを……)
ドランが子どもたちと目が合って、ぎこちなく手を振った。子どもの一人が、おずおずと手を振り返した。
────────────────
高床の広間に、一行とゾルグの仲間数人が向き合って座った。
「まず聞かせてくれ」とゾルグが言った。「お前たちは、どこから来た。何者だ」
「樹海の方から来ました」と聡介は答えた。
「保育士として、困っている子どもや親のそばに立ち寄りながら旅をしています。目的地は大湖水のバザールです」
「バザールに何の用だ」
「まだ分かりません。行ってみないと」
ゾルグが眉を寄せた。
「……変な奴だ」
「よく言われます」
仲間の一人が吹き出した。ゾルグが一瞥したが、その仲間は知らん顔をした。
「さっきの話の続きを聞かせてください」と聡介は言った。「商団とは、何ですか」
ゾルグの表情が変わった。
温度が、下がった。
「バザールを仕切っている連中だ。元々は俺たちと人間の商人が一緒に作った市場だった。……だが、数年前から別の商団が入ってきて、じわじわと場を奪っていった」
「数年前」
「ああ。その頃から、子どもが消えるようになった」
広間が静かになった。
「この辺りに住む種族の子どもが、何人も。ある日突然、いなくなる。商団の連中が台頭してきた時期と重なっている」
ゾルグは言葉を切った。
その手が、膝の上でゆっくりと握られた。怒鳴り散らすわけではない。でも、指先が白くなるほど力が入っていた。
「……だから、子どもを連れた見知らぬ大人を見ると、つい」
「動いてしまう」
聡介が静かに引き取った。
ゾルグは答えなかった。それが答えだった。
「ドランくんを怪我させなかったのも、同じ理由ですか」
「……子どもに罪はない」
短い言葉だった。でも、その中に不器用な誠実さがあった。
「ゾルグさん」と聡介は言った。「一つだけ確認させてください。その商団と、子どもの失踪の関係を、あなたは確信していますか」
「確信はない。証拠もない。だが……」
ゾルグが顔を上げた。
「俺の妻が、同じ頃に死んだ。不自然な事故だった」
広間の空気が、重くなった。
イグニシアが微かに目を細めた。
「……続きは、また明日だ」
ゾルグが立ち上がった。
「今夜はここに泊まれ。湿原の夜は足元が悪い。不慣れな奴が出歩くもんじゃない」
それだけ言って、ゾルグは広間を出ていった。
仲間の一人が「気にすんな、あれで精一杯なんだ」と小声で言った。その声には、からかいと、確かな敬意が混じっていた。
ドランが聡介の隣に来た。
「先生、ゾルグって……怖い人じゃないね」
「そうだね」
「なんか、ガーラさんに似てる気がする」
聡介は少し考えて、それから頷いた。
「……そうかもしれないね」
湿原の夜が、静かに降りてきた。
水面に映る星が、揺れていた。




