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【第三章開幕】異世界転移したおっさん保育士、子どもも大人も世界の歪みも、愛と受容でまるごと抱きしめる  作者: まどか
第ニ章:ひよこエプロンと、彷徨える樹海の子

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第39話:【夜、穏やかな水面の光】

 みずひかり保育園が開園して数カ月経ったある日。


その日は、あまり呼ばれなかった。


朝から夕方まで、聡介は保育園の各所をゆっくりと歩いて回っていた。急ぐ必要がなかった。誰かに呼ばれて駆け回る必要も、なかった。


────────────────


朝の準備が始まる頃、広場はもう動いていた。


お姉様方が手際よく食事の支度を進め、シルクが糸でハンモックの具合を確かめ、ソラが花壇の様子を見て回る。


ゴルドが昨日子どもたちが使った遊具の点検をしている。大きな手が、丁寧に、丁寧に、木の継ぎ目を確かめていく。


「ゴルド先生、ここの結び目、少し緩んでますよ」


お姉様方の一人が声をかけた。


「あ、ほんとだ。直しときます」


誰かに言われなくても、それぞれが動いていた。


子どもたちが親に連れられて広場に来始める頃、イグニシアが調理場から「朝食の準備ができたぞ」と声を上げた。


たちまち子どもたちが「やった!」と駆け寄り、お姉様方が笑いながら席へと誘導する。


その流れを、聡介は少し離れた場所から眺めていた。


誰も聡介を呼ばなかった。それで良かった。


────────────────


子どもたちを預けた後、母親たちはそれぞれの仕事へ戻っていった。


フィラは糸仕事の場所へ。マーラは植物の管理へ。ガーラは今日の狩りへ向かう仲間に合流するため、大きな背中を見せて歩いていった。


以前なら、子どもから目を離すことへの不安が、その背中に滲んでいた。今は違う。預けた先を信じて、自分の仕事に向かえる。


その変化を、聡介は静かに見送った。


────────────────


午前中、いと組の方から明るい笑い声が聞こえてきた。


「シルク先生! もう一回!」


「もう一回、か……。じゃあ、次はこの形はどうかしら」


シルクが体から細い糸をするりと伸ばし、宙に大きな蝶の形を描いた。


子どもたちが「わあ」と声を上げる。リネアがその糸の端に自分の糸を繋げて、羽を動かしてみせた。


「リネア、上手い!」とシルクが笑った。


その笑顔は、開園初日の緊張した表情とはまるで別人だった。


フィラが糸仕事の手を止めることなく、ちらりと娘の方を見た。そのまま視線を戻して、また手を動かし始めた。それだけで十分だった。


────────────────


くさ組の木陰では、ソラが子どもたちの前に座っていた。


エルドから受け継いだ話を、今日は自分の言葉で語っている。


「むかし、樹海の一番深いところに、誰も知らない泉があってね……」


低くはないが、穏やかな声だった。子どもたちが身を乗り出す。セラが根をそっと伸ばして、ソラの近くに寄った。


少し離れた切り株で、エルドがその様子を眺めていた。目を細めて、何も言わずに。


話が終わると、セラが「もう一つ聞きたい」と言った。


「ふふ、じゃあもう一つだけね」


ソラが笑いながら次の話を始める。その横でエルドが小さく頷いた。


マーラが植物の手入れをしながら、「セラ、また根が伸びてるわよ」と声をかけた。


セラが「あっ」と慌てて引っ込める。マーラが苦笑する。その周囲の草は、枯れていなかった。


────────────────


昼食の時間になると、広場は一番賑やかになった。


イグニシアとお姉様方が作った食事が、種族ごとに分かれた食事スペースに並んでいく。肉料理、野菜料理、栄養たっぷりの土や新鮮な水、それぞれの食性に合わせた配置は、今では誰も迷わない。


ガロが真っ先に席に着き、「いただきます!」と叫んだ。


「ガロ、みんなが揃ってからだよ」とゴルドが言う。


「ヤダ! もう食べる!」


「……ガロ」


「……わかった」


ガロが渋々待った。それだけで、ゴルドが少し誇らしげな顔をした。


────────────────


昼食の後、お昼寝の時間になった。


シルクが張ったハンモックに、アラクネの子どもたちが思い思いに収まっていく。


アルラウネの子どもたちは根を浅く差した土の上に横たわる。


オーガの子どもたちは、ゴルドが敷いてくれた柔らかい葉の上で丸くなっていた。


広場が、しんと静かになった。


時々、誰かの寝息が聞こえる。風がハンモックをゆっくりと揺らす。


ゴルドがガロの隣に横になっていた。目を閉じている。寝ているのか、起きているのか分からない。でもガロは、その大きな隣で静かに目を閉じていた。


────────────────


午後、子どもたちが目を覚ますと、広場はまた動き始めた。


今日は誰が声をかけるでもなく、子どもたちが自分たちで遊びを始めた。


アラクネの子どもが木の上で糸を使って何かを作り始め、それを見たアルラウネの子どもが「何してるの」と根を伸ばして近づいた。オーガの子どもが「ガロも入れて」と飛び込んでいく。


遊具も、すっかり使い込まれていた。ゴルドたちが作った木の台は、子どもたちの手垢で角が丸くなっている。


シルクが張ったハンモックには、子どもたちが選んだ色とりどりの石が飾られていた。ソラが植えた花が、水場の周りで静かに咲いている。


どれも、ここで生まれたものだった。


────────────────


夕方近く、ドランがクリムを抱えて広場の端に座っていた。


「クリム、今日も楽しかったね」


返事はない。でもドランは続ける。


「ガロがね、今日は自分でみんなを待てたんだよ。すごいよね」


クリムの胸元の紅い羽が、夕風に揺れた。


「……クリムも、見てたでしょ」


ドランがクリムをぎゅっと抱きしめた。


聡介はその様子を少し離れた場所から見ていた。クリムの重さを、また思い出した。あの日感じた、内側からの密度。何かが育っているような、あの感触。


(……ここにいて、良かったんだろうな。クリムも)


────────────────


日が傾いてきた頃、子どもたちが親の元に帰り始めた。


シルクが「また明日ね」と手を振る。ソラが花壇に最後の水をやる。ゴルドがガロの頭を撫でながら「また明日な」と言う。ガロが「ヤダ」と言いながらも手を振り返す。


お姉様方が片付けを進め、エルドが切り株からゆっくりと立ち上がった。帰り際に聡介の方を見て、小さく頷く。


聡介も頷いた。


それだけで良かった。


────────────────


夜、みずひかり広場は静かだった。


水場の水面に、月の光が揺れている。昼間の歓声が嘘のように、広場には風の音だけが満ちていた。


聡介は一人、園庭の端に立ち、今日一日の広場の様子をゆっくりと思い返していた。


誰の手も借りずに見事な蝶の糸を紡いだシルク。自分の言葉で子どもたちを惹きつけていたソラ。ガロの隣で不器用に寄り添っていたゴルド。


(……みんな、もう立派な保育士だな)


自分の出番がなかった今日という一日が、寂しくもあり、それ以上に誇らしい。聡介の口元に、ひとりでに優しい笑みがこぼれた。


足音が近づいてきた。


「今日も一日終わったな」


イグニシアだった。聡介の隣に並び、同じ水面を見る。


「ええ、今日は穏やかな日でした」


「ああ。保育園も落ち着いてきたな。規律とまではいかないが……しっかり過ごせていると思う」


「シアさんも随分と、保育士が板についてきましたしね」


「やかましい。今でも慣れてなどいないぞ」


風が通り過ぎた。


水面の月が、ゆらりと揺れた。


「…………」


「…………」


しばらく、二人とも何も言わなかった。


「そろそろ、大丈夫そうですね……」


聡介が静かに言った。


イグニシアが聡介を見た。


「……ソウスケ。いいのか」


「これで、いいんですよ」


月の光が、みずひかり広場を静かに照らしていた。


水面の揺れが、少しずつ、穏やかに凪いでいった。


本日もご覧いただき、ありがとうございます!

樹海での様々な出会いや試練を経て、聡介たちの物語も一つの大きな節目を迎えます。

明日の第40話をもちまして、第2章が完結となります。

樹海で彼らが出会った人々、そして紡いだ絆の結末を、ぜひ最後まで見届けていただけますと幸いです。

明日の最終話も、どうぞよろしくお願いいたします!

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