第35話:【みずひかり保育園、開園します】
保育園の建設が進む中、聡介は工事が終わった夜に、保育士希望者との面談を進めていた。
最終的に、各種族から一名ずつ、計三名の採用が決まった。
それからの数日は座学だった。
つけ焼き刃の知識より、大切なことだけを丁寧に伝えていく。
保育園とは何か。子どもを預かるということはどういうことか。安心と安全があって初めて何かを教えられること。できないことより、できることを見つめること。
細かい技術や理論は後回しでいい。例え話を交えながら、理念と心構えだけを徹底的に伝えていった。
三人は、それぞれの方法で聡介の言葉を受け取った。
じっと耳を傾けているアラクネ族のシルク、枝で地面に熱心にメモを取るアルラウネ族のソラ、眉間に皺を寄せながら何度も大きく頷くオーガ族のゴルド…。。
「……難しいこと、言わないんですね」
「俺も、なれますかね」
何日かに渡る座学の中で、新人たちが不安がるたびに、聡介は笑いながら力強く答えた。
「なれますよ。……というより、だんだんとなっていくんですよ」
「難しいことは、やりながら覚えればいいですから。最初から完璧な保育士なんて、どこにもいませんよ」
開園前夜の座学も、その言葉と共に終わった。
そして迎えた開園の朝。
「さあ、いきましょうか」
聡介の声に、三人が頷いた。
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広場には、子どもたちの声が響いていた。
水場の端で、アラクネの子どもと一緒にあやとりをしているのはシルクだ。アラクネのクラス、いと組の担任である。
子育ては終わっているが、かつて里で糸の制御を誤り、「危険な個体」として追放された過去を持つ。
リネアが聡介のそばで糸を使えるようになっていく姿を見て、「私の糸も、誰かの役に立てるかもしれない」と手を挙げた。
年長者らしい落ち着きがある一方で、子どもの急な動きに少し戸惑いがちなのが、今のところの課題だ。
木の根元では、アルラウネの子どもたちに囲まれて、植物の名前を教えているのがソラ。くさ組の担任だ。
まだ子どもを持たない若い女性で、成長が早すぎる根が集落の食料を枯らしてしまい追放された。
セラが黒土の中で満足そうに根を伸ばす様子を見て、「自分の根も、誰かを育てるために使えるのか」と気づいた。
知識は豊富だが、子どもの予想外の動きに対応しきれず、慌てることが多い。
そして広場の真ん中で、ガロを含むオーガの子どもたちとにらみ合っているのがゴルド。いわ組の担任だ。
力の加減ができず仲間を傷つけ続け、追い出された若い男性。
ガロが粘土遊びで満足そうにしている姿を見て志願してきた。
体格だけは誰にも負けないが、子どもの「ヤダ!」を前にすると途端に困り顔になる。
ガーラからは「うちのガロをよろしく頼むよ」と半ば押しつけられた形でいわ組担任になった経緯がある。
三人ともアラクネのシルクが丁寧に作ってくれたエプロンを身につけている。
開園初日は、大きな問題もなく過ごせた。
子どもたちはみな満足げな様子で、迎えに来た親の元へ帰っていった。三人が揃って「良かった」と胸を撫で下ろしたのも、束の間のことだった。
翌日から、保育現場はそんなに甘くはなかった。
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いと組では、リネアとアラクネの別の子どもが糸を絡ませ合って大騒ぎになった。
シルクが慌てて間に入ろうとしたが、自分の糸まで絡まって収拾がつかなくなった。
くさ組では、ソラが子どもに水やりをしていたら、隣のアルラウネの子どもの根が反応して伸び始め、くさ組全体に根が広がった。
ソラは「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返しながら途方に暮れていた。
いわ組では、ガロが「ヤダ!」と言って昼寝を拒否し、ゴルドが「頼む、寝てくれ」と地面に額をつけて懇願していた。
ガロはそれを見て「ヤダ!」とさらに元気になった。
聡介はエプロンをはためかせ、その日だけで三か所を走り回った。
「シルクさん、まず自分の糸を落ち着かせて。それからゆっくり一本ずつほぐせばいいですよ」
シルクはハッとして深く息を吐き、きつく結んでいた指先の力を抜いた。
自身の糸がふっと緩むと、絡まっていた子どもたちの糸の隙間が見えてくる。
「……そうね、一本ずつ、ね」と、少し震える手で、けれど優しくそれを解き始めた。
「ソラさん、根が伸びたのは子どもたちが安心している証拠です。悪いことじゃないですよ」
ソラは涙目のまま顔を上げ、広がりすぎた緑の根を見つめた。
叱られると思っていたのに、聡介は優しく微笑んでいる。
「安心、の証拠……」ソラがそっと根の魔力を緩めると、子どもたちはその根をフカフカの平均台のようにして、キャッキャと嬉しそうに跨いで遊び始めた。
「ゴルドさん、ガロくんは昼寝したくないんじゃなくて、眠れないんです。隣で横になってみてください」
聡介の言葉に、ゴルドは戸惑いながらも、その大きな身体を小さく丸めるようにしてガロの隣にごろりと横たわった。
「……おい、これでいいのか?」
強面の巨漢が、困り果てた顔で小さな子どもと目線を合わせる。
ガロは「なんだお前」と一瞬面食らったような顔をしたが、ゴルドの大きな胸板から伝わる不器用な温もりに安心したのか、やがて小さなあくびを漏らし始めた。
困りごとが起きると、聡介がフォローに駆け回った。
三人は失敗するたびに申し訳なさそうな顔をしたが、聡介は一度も怒らなかった。
「大丈夫ですよ。失敗しない保育士はいません」
その言葉を、三人はそれぞれの胸に刻んでいった。
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何度失敗しても、三人は現場に立つことを絶対にやめなかった。
手が糸まみれになろうとも、根っこに足元をすくわれようとも、子どもたちの小さな泣き声や笑顔に必死でしがみついた。
不器用で、泥臭くて、けれどどこまでも真っ直ぐな彼らの背中を、遠巻きに見ていた集落の大人たちの目が、少しずつ変わり始めていた。
「ったく、見てらんないよ」
数週間が経つ頃には、各種族から子育てを終えた壮年の女性たちが、呆れたような、けれどどこか誇らしげな顔でクラスのサポートに入り始めた。
彼女たちの身には、追放されるような不都合は何一つなかった。
魔力の暴走に怯える若者でもなければ、役割を終えた老人でもない。
ただ、自らの過去と同じような苦しみや子育ての苦労を抱える家族、捨てられるように追い出される老人を見捨てることができずに里を飛び出した、どこまでもお節介な人たちだった。
放浪の末にたどり着いた場所での生活は想像以上に厳しく、生きることに追われて人を労る余裕のない毎日であったが、生活にゆとりができると共に、従来の世話焼きな性分が蘇り、居ても立ってもいられなくなったのだろう。
シルクの隣には、糸の扱いを熟知した年配のアラクネが。
ソラの横には、根の管理に長けたアルラウネの女性が。
ゴルドの後ろには、オーガの力強い女性が控えるようになった。
頼もしいお姉様方の登場に、三人の動きが目に見えて安定してきた。
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イグニシアは保育補助兼調理員として、子どもたちの食事を一手に引き受けていた。
彼女の料理の腕前は、たちまち各種族の大人たちの間で評判になり、気づけばお姉様方が「教えてほしい」と集まってくるようになっていた。
「副団長が、まさか料理とは……」
「うるさい、黙れ。……お前が変な提案をするからだろう」
聡介への照れ混じりの悪態も、どこか生き生きとしていた。
ドランは、子どもたちのリーダーのような存在になっていた。
聡介から貰った笛を首から下げたドランは、時に遊びの合図、時に片付けの合図にと、その美しい音色を響かせて遊びを引っ張っている。
そのドランの傍らにはいつもクリムがいた。
「クリム、見てて。今日はここで遊ぶんだよ」
「クリムもやりたいって言ってる。ね?」
「そうそう、クリムはこれが好きなんだって」
ドランがクリムの代わりに言葉を紡ぎながら遊ぶ姿を、子どもたちは自然に受け入れていた。
クリムはいつの間にか、みずひかり保育園の「静かな園児」になっていた。
ガロはいつの間にか、ドランの後ろをついて回るようになっていた。
「ドラン、これ」
「ありがとう、ガロ。クリムも嬉しいって」
「……クリム、しゃべれないのに」
「しゃべれなくても、分かるんだよ」
ガロはしばらく考えて、クリムをじっと見た。それから「……そっか」と言って、また後ろをついて歩き始めた。
ある時、子どもたちが大きく動く遊びを始めた時、ドランがクリムを聡介に預けた。
「先生、ちょっと抱っこしててくれる? クリムが踏まれちゃったら大変だから」
聡介はクリムを受け取った。
その重さが、少し前と違う気がした。
物理的な重さではない。もう少し、何か、内側から密度が増したような。
(……おや)
聡介はクリムを見た。変わったところはない。同じふわふわした赤い毛並み、同じ胸元の紅い羽、同じとぼけた表情。
でも、確かに何かが違う。
まるでドランの成長に負けないようにとでもするように。
聡介はその感触を手のひらに覚えながら、走り回るドランとガロの背中を追った。
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大人たちの生活も、少しずつ変わってきていた。
アラクネが糸で布や寝具を作り、オーガが地を整え、アルラウネが良い土と植物を育てる。
どの集落も見違えるように住みやすくなり、それに比例して広場に活気が溢れてきた。
フィラ、マーラ、ガーラの三人は、いつの間にか水場の端に集まって話すようになっていた。
「ガロ、今日は昼寝できたんですか?」とフィラが聞く。
「できた! ゴルドの野郎が隣で一緒に寝転がったら、なぜかすんなり寝やがった。……あいつ、意外と使えるわ」
「リネアも最近、糸を出す練習を嫌がらなくなりました。シルクさんが横について、『失敗していいよ』って言い続けてくれているみたいで」
「セラはね、ソラさんと一緒に水場の周りに花を植えたの。それ以来、水場に来るのを楽しみにしているのよ」
三人は互いの子どもの話をしながら、時々笑い、時々ため息をついた。
種族も、暮らし方も、全然違う。でも、子どもを思う気持ちだけは、いつも同じ温度だった。
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毎日何かがあった。
泣いたり怒ったり、困ったり慌てたり。
時には聡介も、子どもに泣かれて途方に暮れた。疲れ果てて、夕食の途中で眠ってしまったこともあった。失敗して、翌朝こっそり直しに行ったこともあった。
でも、子どもたちの笑い声が広場に響くたびに、聡介の胸の奥に、懐かしい温度が灯った。
それは、かつて日本の保育園で過ごした、慌ただしくも愛おしい日々の温度と、どこか似ていた。
異世界に来て初めて、聡介は「救われている」と感じていた。子どもたちに、大人たちに、この場所に。
そんな日々が、静かに、確かに積み重なっていった。




