第32話:【不器用な贈り物と、怪獣の正体】
「だから言っただろ、食われねぇように気をつけろってよ……」
口端を歪めるように吊り上げながら、ガーラは愉快そうに聡介を見下ろした。
「そういうこと……だったんですね……」
聡介の右手は今、ぬめりとした生暖かい感触に包まれている。それは、鋭い牙の並んだ、何者かの「口の中」だった――。
◇
遡ること少し前、朝のお迎えの時のことだ。
水場の広場に現れたガーラの姿に、一行は一瞬身構えた。
昨日、あの巨大な猪の魔獣に手酷く吹き飛ばされていた彼女だったが、流石はオーガ族と言うべきか、一晩で驚異的な回復を遂げたようで、体に傷んでいる様子はどこにもない。だが、それとは別に、彼女の顔はひどく疲れ果てているように見えた。
そこから聡介たちは、昨日交わした約束通り、彼女たちの集落へと移動することになった。
水場の広場からほど近い位置にあるその集落は、巨木や無骨な岩をくり抜いたような荒々しい住居が並んでいた。
力強くも、端々には隠しきれない生活の疲れが見える。周囲には、その中には他のオーガたちの姿もチラホラと見え、新参者の聡介たちを警戒と困惑の混ざった視線で見つめていた。
住居の一つから、母親に似た赤髪を振り乱す幼い息子――ガロが、帰ってきたガーラの元へタタタッと走り寄ってきた。
だがその瞬間、ガロは何かに気づいたように足を止め、聡介の方を凝視した。
そして次の瞬間、突進するような勢いで距離を詰めると、突然、聡介の右手にガブリとしゃぶりついたのだった。
「ひっ……!?」
ドランが短く悲鳴を上げ、イグニシアが咄嗟に剣の柄に手をかける。
鋭い牙が並ぶ口内に右手を収められたまま、聡介は驚愕して固まった。それを見下ろすガーラが、口端を吊り上げてからかうように言う。
「クックックッ…。なんかウメェもんでも食ってきたんじゃねぇか?」
ぬるつく手元を見つめながら、聡介の脳裏に「ハッ」と昨夜の光景がフラッシュバックした。
――昨日の夜。
仕留めたギガント・ボアの肉を使い、イグニシアが手際よく作ってくれた肉料理。
普段の苛烈な戦いぶりからは想像もつかないほど素朴で温かいあの味は、実は彼女が周囲に隠れて密かに磨いていた腕前によるものだった。
異世界に来てからというもの、なぜか胃もたれひとつせず、すこぶる絶好調な自分の胃袋。だからこそ、ずっと憧れていた「一度でいいから食べてみたかった」というリクエストを叶え、今朝も朝から豪快に手骨付き肉を手で頬張っていたのである。
───────
ガーラの指摘を受け、聡介は合点がいった。あの極上の肉の匂いが、自分の手に思い切り染み付いたままだったのだ。
聡介は左手でお散歩バッグを弄ると、何とかお土産用に包んで余っていた肉の残りを引っ張り出し、ガロの目の前に差し出した。
「ガロくん、これ!」
その匂いにガロの目がらんらんと輝き、聡介の手をペッと放して骨付き肉に飛びつく。何とか解放された聡介は、ぬるつく右手を服で拭いながら大きく息を吐き出した。
『だから言っただろ、食われねぇように気をつけろってよ……』
『そういうこと……だったんですね……』
「いやいや、あたいはちと脅してやろうと思ってただけさ…。まさか、本当に食いつかれちまうようなことになるとは、思ってもなかったんだよ。」
ガーラはため息交じりにつづける。
「最近特に食い意地が張っててね……。ったく、用意する方の身にもなれってもんだよ」
ガーラは、夢中で肉を貪るガロの頭をガシガシと撫でながら溜息をついた。
「まぁなんにせよ、これで少しは落ち着いて話せるだろう。この場所でいいかい、コソコソするのは性に合わないんでね」
岩のベンチにどっかりと腰を下ろすと、ガーラは二人を睨むように見据えた。
「で、何をお話すりゃいいんだい」
聡介はエプロンを正して胸元のひよこを一撫でし、一歩前に出た。そして、昨日からずっと胸に引っかかっていた疑問を口にする。
「改めて聞きます、あなたはなぜ、魔石を置いていたんですか?」
「やっぱりそうくるか。いきなり痛いとこ聞くねぇ……。まぁ、あんたたち。特に副団長の姉ちゃんはすげぇ剣幕だったもんな……」
「イグニシアだ」
腕を組み、不機嫌そうに佇む竜人が冷たく訂正する。
「そうそう、イグニシアだったね。で、あんたらはなんでそんなに怒ってんだい」
「それよりも、お前がまず話せ」イグニシアが、腕を組んだまま静かに促した。
「んだよ……。こんなこと語るのは、小っ恥ずかしくて言いたかないんだけどねぇ……」
女オーガはバツが悪そうに大きな頭を掻いた。
「あたいらこんな見た目だろ、できることといったら魔獣狩ることぐらいしかできねぇし、正直この人数で暮らしてくの……いっぱいいっぱいなんだよ……」
力に優れるとはいえ、小規模の集団で樹海の中で生活するのは苦労しているのだろう。里の様子からも、ガーラの様子からも、その苦労は滲み出していた。
「だから、近くにうちらみたいな事情の奴らがいるって気付いたとき、チャンスだと思ったんだ」
「それは支配下に置こうとしていたということか!?」
イグニシアが低い声で割り込む。ガーラは飛び上がるようにして眉を吊り上げた。
「ちょっ、いきなり怖ぇんだよあんた……。話は最後まで聞きな! ったく……。……なんとか仲良くなれねぇかと思ったんだよっ……。人数多けりゃできることも増えんだろ」
オーガにとって見れば恥ずべきことなのであろう、ガーラは半ばヤケになったように、投げやりに言葉を紡いでいく。
「でも、そんな事今までやった事なんてねぇし。そもそも違う種族の軟弱な奴らなんか、今までぶん殴るか吠えて追い散らすことしかしたことがねぇんだよ」
「それで……魔石を置いていたと?」
イグニシアが怒気を含ませながら尋ねると、ガーラは「なんでそこで文句言う感じになるんだよ!」と不満げに声を荒らした。
「うちらが持ってるもんで上等なもんっつったら、あの魔石くらいしかねぇんだ。んで、ちょっとずつ渡してって、いつかこう、なんかいい雰囲気で仲良くなるんじゃねぇかって思ったんだよ」
唖然とした表情でガーラを見るイグニシア。昨日、あれほど「毒を盛る罠」だと警戒していた石が、まさかそんな不器用極まる意図で置かれていたとは。
「なんと不器用な……。本気でそう思ってたというのか?」
「悪ぃかよ、頭使うなんて元々性に合わねぇんだ。いい魔石がありゃあ、時々この辺通りかかる酔狂な商人の奴らなんかと、いい取引が出来たりするだろうがよ」
ガーラが語る様子に、嘘がないことを感じたイグニシア。
「……。なるほど、いや何も納得できるようなことはないが、兎に角事情は把握した。お前たちは、他の種族を害したり支配しようとしていたわけではないんだな」
そう言うと、ようやく剣の柄から完全に手を離したイグニシアに、ガーラは「ふん」と鼻を鳴らす。
「なんでそんな面倒くせぇことしなきゃなんねぇんだよ、こちとらクソガキの面倒見るだけで限界だってぇのに」
「ガロくん。いつもあんな感じなんですか?」
聡介が肉を食べ終えたガロに視線を向けながら尋ねると、ガーラは「おっ、聞いてくれるか?」と、堰を切ったように愚痴を溢れさせ始めた。
「そうなんだよ、あたいがいくら言い聞かせても、訳わかんねぇことでビービー泣きやがるし……。流石あたいの子だけあって、力も尋常じゃなく強ぇしで参っちまってんだよ。おかげで里もおんだされるしよ……なんだよ親の責任って、あたいが何したっていうんだい」
優秀な戦士でありながら、我が子の暴走に振り回され、独りで責任を背負い込んできた母親の告白。聡介は、その痛みを包み込むように優しく微笑んだ。
「そうなんですね……。それは、大変でしたね」
「大変なんてもんじゃねぇよ、ったく、原因があるんならこっちが教えてほしいくらいだぜ」
「あっ、理由なら大体分かりますよ」
「なにっ!? 本当か??」
ガーラが文字通り目を見開いて身を乗り出す。
「はい、ご説明しましょうか?」
「本当だろうな、与太だったらぶっ飛ばすぞ! それにあたいは自慢じゃねぇが頭がいいほうじゃねぇ」
「本当に自慢にならんな」
横からのイグニシアのツッコミに、ガーラが「なんかいったか!?」と鋭く睨みつける。だが、すぐにバツが悪そうに咳払いをすると、頭をガリガリと掻いた。
「 ………ちっ、で、なんだったっけ? あー、そうそう……つまりなんつうか、難しい話しされてもわかんねぇぞ、ってことが言いたかったんだよ」
「ええ分かりました、簡単に言うとですね」
聡介は、子育てに不慣れな母親の目線に合わせるように、専門用語を使わずにゆっくりと言葉を紡いだ。
今、ガロくんの小さな身体の中では、お母さんとは違う「自分」という新しい心が一生懸命に育とうとしていること。
何にでも「ヤダ!」と言うのは、自分の力がどこまで世界に通用するのかを試して、心を大きくしている成長の証であること。
オーガとしての強い力があるから余計に大変に見えるけれど、これは決して、ガーラの育て方や親の責任なんかではないということ。
これまでの彼女の子育てを尊重するように温かく語られたその理由を、ガーラはただ呆然と聞いていた。
「本当かよ…。あんなのただのワガママだろ、そんな小難しい理屈並べやがって…。あたいを丸め込もってんじゃねぇだろうな」
馴染みのない聡介の考えに対し、咄嗟に威嚇の様相を呈するガーラ。
「大体からして、なんでそんな事がお前に分かるんだよ!」
「保育士ですから」
「だからそのほいくしってのは何なんだよ」
「世のすべての子どもと親の味方です」
「っつ…………」
ガーラは言葉を詰まらせ、急に顔を真っ赤にすると、バツが悪そうにフイとそっぽを向いた。
「……なんなんだよ、よくわかんねぇけど、普通じゃないなお前」
「僕は普通ですよ。それよりガロくんですが、ちょっと一緒に遊んでみたりしていいですかね?」
「……できるもんならやってみろよ、軟弱な人族じゃ、怪我したって知らねぇからな」
「ええ、気をつけます。……よし、それじゃあ」
聡介は、何を出そうか思案しながらお散歩バッグに手をかける。
肉を食べ終え、口の周りをギトギトにさせたガロが、その様子をジッと見つめて身構える。
またいつ「ヤダ!」が爆発するか分からない、嵐の前の静けさのような緊張感が、子供の小さな体からピリピリと放たれていた。
そんな怪獣の子供の前に、聡介より先に、一歩踏み出した影があった。
「……あのさ。僕は、ドラン。お前、ガロっていうんだろ?」
ドランが、ポシェットに手を添えながら、少しだけ胸を張ってガロの前に立った。
「ピヨ?」
聡介のポケットから顔を出したピヨすけが、不思議そうに二人の男の子を見比べる。
オーガの小さな怪獣と、少しだけお兄さんになった竜人族の少年。
二人の視線が真っ向からぶつかり合った瞬間、森の奥から、また新しい風が吹き抜けていった。




