第31話:【不信の火種と、森の凶獣】
それから、同じようなことが何度か繰り返された。
翌日の夕方。水場に誰もいない時間を見計らったのだろう、例の母親のオーガ 、ガーラが広場の端で水を汲もうとしていたところを、普段より遅れて訪れたフィラと鉢合わせした。
フィラが「ひっ」と身を竦めた瞬間、オーガは図星を突かれたような顔をすると、「見てねえよ!」と不必要に大きく怒鳴って、水を半分こぼしたまま、逃げるように立ち去った。
また次の日に、落ちていた折り紙を、たまたま近くで様子をうかがっていたガーラが拾おうとした時のことだ。
その巨躯ゆえに、覗き込む姿が「獲物を狙う構え」にしか見えず、そばに居合わせたマーラが悲鳴を上げた。
「……けっ、ゴミを拾ってやろうとしただけだよ!」
吐き捨てられた言葉は鋭く、アラクネやアルラウネたちの恐怖をさらに煽る結果となった。
誰も何も言わない。だが、今までつかず離れずだったオーガ族との邂逅が、広場を包む空気を確実に濁していっていた。
そして、三日目の早朝。
霧が立ち込める薄明の中、聡介はピヨすけの短い鳴き声に起こされた。
寝ぼけ眼を擦りながら外へ出ると、そこには、切り株の根元に、そっと何かを置こうとしている大柄な影があった。
「……何をしている」
低い、地鳴りのような声が響いた。
聡介の後ろから音もなく現れたイグニシアが、既に抜き放たれた剣を影に向けている。
影が、びくんと肩を揺らした。
振り返ったのは、ガーラだった。その手には、七色に輝く石が握られている。
「……やっぱり、お前たちだったのか」
イグニシアの瞳に、失望と怒りが混ざり合う。
「子どもたちの間に、あの魔石を撒いていたのは。……何のつもりだ。毒を盛るのと何が違う」
「な……っ!」
ガーラの顔が、怒りで赤黒く染まった。
「誰が……誰がそんなこと……っ! アタイらは、ただ……!」
「言い訳はいい。現場を押さえたんだ」
イグニシアが一歩踏み出す。その全身から、抑えきれない魔力の熱が立ち昇る。
「……ああそうだよ! 文句あんのかよ!」
ガーラは、説明することを諦めたように吠えた。
信じてもらえない悲しみと、守るべき同胞たちの窮状。それらが綯い交ぜになり、彼女は最悪の形で「盾」を構えた。
「軟弱な連中に、ちょっとした『詫び』のつもりでよ……っ! それを毒だなんだと、ふざけんじゃねえよ!」
「詫びだと? これで子どもたちの情緒が乱されているのを知っていて言うのか!」
今度こそ、一触即発。
今日は、あの「怪獣」のような息子もいない。互いのプライドを懸けた激突が始まろうとした、その時だった。
――グオォォォォォォンッ!!
森の深淵から、すべてを圧し潰すような咆哮が響いた。
地響きと共に、太い樹木が次々とへし折れる音が近づいてくる。
「何だ……!?」
霧の向こうから飛び出してきたのは、山のような巨躯を持つ、巨大な猪の魔獣だった。
全身をどす黒い魔力の澱みが覆い、その蹄が踏みしめる土は、その重量を物語るかのように深くめり込んでいる。
「ギガント・ボア……なのか? だが、この気配に体格…ありえねぇ!」
魔獣は、体格が良く一際目立つガーラを目で捕らえると、猛然と突進を開始した。
「……っ、上等だよ! やってやろうじゃねぇか!」
ガーラが岩のような拳を固め、迎え撃つ。
しかし。
「――がふっ!?」
オーガの剛腕を以てしても、魔獣の突進を止めることはできなかった。圧倒的な質量と物理的な衝撃に、彼女の巨体が木の葉のように吹き飛ばされる。
「ガーラさん!」
聡介が叫ぶ。魔獣は、倒れた彼女に追い打ちをかけるべく、再び頭を垂れた。
「ソウスケ、下がっていろ」
風が凪いだ。
イグニシアが、一瞬で魔獣とガーラの間に滑り込む。
突進。
逃げ場のない速度。しかし、イグニシアはそれを避けない。
彼女は長剣を水平に構えると、その赤い刀身に――爆発的な紅蓮の炎を纏わせた。
「……ハッ!」
大規模な火魔法は森を焼く。ゆえに、彼女はその熱量を、剣の軌道上だけに凝縮させていた。
突進の慣性を利用し、流れるような円の動きで猪の牙をいなすと、すれ違いざま、魔獣の脇腹を熱線が切り裂く。
「……嘘だろ。あの化け物を、真っ向から流したのか……?」
地面に這いつくばったまま、ガーラが驚愕に目を見開いた。
力こそがすべてと信じてきた彼女の目の前で、竜人族の戦士は、華麗に、そして苛烈に凶獣を圧倒していた。
悲鳴を上げる魔獣に、イグニシアの追撃が突き刺さる。
炎を纏った拳が鼻先を砕き、跳躍からの斬撃が、魔獣の動きを完全に止めた。
やがて、巨体は崩れるように横倒しになる。
イグニシアは冷徹な手際で、魔獣の胸元を深く切り裂いた。
そこから取り出されたのは――。
「……これ、は」
聡介が駆け寄る。
イグニシアの手の平にあるのは、あの虹色の石をさらにどす黒く歪ませ、脈打つ心臓のように不気味な光を放つ結晶だった。
「イグニシアさん、これは……。」
「 ああ、やはりそうだった…。里での狩りの際も、こいつの様に普通じゃない様子の魔獣から取れる魔石は、美しい虹色をしていたんだ…」
イグニシアは語りながら、背後で力なく立ち上がったガーラの気配を感じ、振り返った。
「怪我はどうだ?大丈夫か?」
「けっ、こんなのなんでもねぇよ、軟弱な奴らと一緒にすんな…」
傍目にも強がりだと分かったが、そこには触れずにイグニシアは尋ねる。
「この森で魔獣と相対したことはあるが、こいつは異常だ。…お前たちは狩りをするだろう?いつもこんなのを相手にしているのか?」
ガーラは気遣われていることに内心複雑な思いを持ちながらも、助けられた手前素直に答える。
「狩りがあたいらの仕事なのは間違いねぇ、この虹色の魔石もあたいが狩った魔獣からいただいたもんだ。……でも、こんなに禍々しい奴には会ったこともねぇよ、それに……」
ガーラはイグニシアの手にある魔石、今まで見てきたものより大きく、より強く虹色に輝くそれを見ながら続けた。
「そこまでいかつい魔石は採れたことがねぇ、魔獣の強さも桁違いだったしな、あんた、大したもんだよ。…良かったな高値がつくぜ」
ぶっきらぼうにそう言って、彼女は手近な木の枝をへし折り、杖代わりにして去ろうとした。
「おいまて!まだ話はおわってないだろう、だいたい……」
有耶無耶なまま立ち去ろうとする姿を見たイグニシアは、表情に再び怒りを宿して突っかかっていく。
「イグニシアさん…少し僕に任せてもらえませんか、ガーラさんも…お話させてください」
それまで事の成り行きを見守っていた聡介は、エプロンを整え、胸元のひよこを一撫でして呼吸を整えると、そう切り出した。
イグニシアは唐突に掛けられた聡介の言葉に一瞬眉をしかめるも、その様子を見て取ると、自身も腕のブレスレットに手を添え深呼吸をし、静かに一歩下がる。
そして、不意に名前を呼ばれたことに戸惑いを覚えたような表情を見せながら、ガーラが振り向いて答えた。
「なんであたいの名前を知ってんだよ…。まぁんなこたどーでもいい、で、なんだよ。まだなんか言い足りねぇことでもあんのか?」
心なしかバツの悪そうなその顔を優しげな眼差しで見つめながら、聡介は語りかけた。
「この数日間、出会うたびに思ってたんです。ガーラさんは、けして誰かを傷つけようと思って行動してない。むしろ、誰かのために率先して動いてるんだろうなって…。」
「なっ…」思いもよらない聡介の言葉に、声にならない返答をするガーラに、聡介はなおも話しかけた。
「すれ違いがあると思うんです。ガーラさんたちも僕たちも、お互いを知らないままに相対していた…。だから上手くいかなかったんです。」
「……。続けろ」
「はい。だから明日にでも、オーガの方たちの集落にお邪魔させてもらえませんか?じっくりお話をすることで、分かり合えることもあると思うんです…。個人的にガロくんの様子も気になりますし。」
「なんでここであのバカ息子のことが出てくんだよ…。」息子についての言及に眉を上げ、戸惑いながらもガーラは尋ねる。
「……人族のお前、一体なにもんなんだい?竜人族の姉ちゃんみたいに強そうでもねぇし……」
「僕はただの保育士ですよ、名前は別俣聡介と言います。こちらの竜人族の彼女は…」
「イグニシアだ。不死鳥様の聖域を守る竜人族の里で戦士団副団長を務めている。訳あって今はこのソウスケと行動をともにしているがな…」
「竜人族の戦士団副団長…通りで強ぇわけだ…。」ガーラはそう独りごちると聡介の方に向き直り告げる。
「“ほいくし”っちゅうのが何だかは知らねぇけどよ、ソウスケっつったか……勝手にしろよ。あたいらの村、汚ねぇけどな。……せいぜい、食われねぇように気をつけるんだね」
明日の朝広場まで迎えに来ると言い残し、ガーラは体を引きずるようにして森の奥へと消えていった。
イグニシアの手の中に残った、美しく歪んだ魔石。
ピヨすけが、その石を避けるように聡介の肩で小さく震えていた。
明日。オーガの集落に行けば、彼女たちが魔石を置き続けていた本当の理由がわかるはずだ。
聡介は、重苦しいその輝きを見つめながら、固く手を握りしめるのだった。




