第29話:【澱みの輪郭と、迫る影】
翌朝、リュックの口を開けた聡介は、思わず首を傾げた。
昨夜しまった二つの石が、一晩で心なしか曇って見えた。それに今まで気付かなかったがドランの持っていた魔石は、ひときわ輝きを失っている。
「……不思議だな。石って、こんなに早く変色するものだったっけ」
「ソウスケ」
イグニシアが傍に来た。
「昨夜、ピヨすけがリュックの傍でずっと座っていたのを、気づいていたか」
「え、そうだったんですか? 気づかなかった。お腹空いてたのかな」
「……そうかもしれないな」
それ以上は言わなかった。ただ、リュックの中で変化する石と、聡介の肩で丸まっているピヨすけを、静かに見比べた。
(……まさか、魔石に何らかの変化をもたらしたのか…?)
確信はない。だが、偶然とも思えなかった。
「ピヨッ」
ピヨすけが小さく鳴いて、聡介のポケットに潜り込んだ。その背中は、何事もないような顔をしていた。
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その日の午前中、聡介はまずアルラウネの集落を訪れた。
セラの様子が、明らかに違った。
住処の隅で膝を抱えていた昨日と違い、今日は黒土の周りに根を伸ばして、静かに栄養を吸収している。葉の色が、昨日より少しだけ鮮やかだ。
「おはよう、セラちゃん。顔色がいいね」
「……うん。昨日の夜、ちゃんと眠れた」
それだけで、聡介には十分だった。
マーラが傍らで、その様子を見ていた。聡介が隣に来ると、口を開いた。
「……あの石がなくなってから、この子の心が落ち着いているように感じるんです…。」
「そうですか」
「偶然かもしれませんが」
「偶然じゃないかもしれません。……でも今は、セラちゃんの顔色が良くなったことの方が嬉しいですね」
マーラは頷いた。それから、少し迷うように続けた。
「……他の家族にも、同じような石を持っている者がいるかもしれません。聞いてみましょうか」
「ありがとうございます。でも、急がなくていいですよ。信頼関係があってこそ、聞ける話ですから」
マーラが、小さく息を吐いた。
「……貴方は、いつもそう言いますね。急がなくていい、と」
「保育士の基本なんです。待つことも、仕事のうちなので」
マーラはしばらく聡介を見ていた。それから、ふと視線をセラに向けた。
「……この子が、あんなに穏やかな顔で根を伸ばしているのを、初めて見た気がします」
聡介は何も言わずに、その光景を一緒に見た。
午後はアラクネの集落へ向かった。
広場の端、木の根元にドランが座っていた。膝の上にクリムを乗せ、周囲に集まったアラクネの子どもたちに、ポシェットの中身を一つずつ取り出して見せている。
リネアも地上に降りてきていて、細い糸を出すことに挑戦しながら、指先を動かして何かを編んでいた。
「クリム、みんなに見せてあげてよ」
ドランがクリムを持ち上げると、胸元の紅い羽が風に揺れた。アラクネの子どもが一人、興味津々に覗き込む。
「……それ、なに? 生きてるの?」
「生きてるよ。ちょっと今、眠ってるだけ」
「眠ってるのに、なんで持ち歩いてるの?」
「起きた時に、そばにいてあげたいから」
子どもがクリムをじっと見た。それから、おずおずと指先で触れた。
「……ふわふわしてる」
「でしょ。先生がいつも綺麗にしてくれてるから」
聡介はその会話を少し離れた場所から聞いていた。横に来たフィラが、傍に立った。
「昨日石を交換してすみかに帰った後から、あんなに嫌がっていた糸を出すことに挑戦しているんです…。それも以前よりずっと落ち着いて…。不思議と糸が暴走することも少なくて…。」
「リネアちゃんにとっていい切っ掛けになったみたいですね」
「ええ」
風が木の上を通り抜けた。
「……あの石が、何かしているのですか」
「おそらく。ただ、まだ確信が持てなくて」
聡介は広場の方へ視線を向けながら続けた。
「フィラさん、一つだけ聞かせてください。ここへ落ち着いてから、子どもたちの様子がおかしくなったのはいつ頃からですか」
「……半年ほど前から、でしょうか。それまでは、こんなに頻繁に糸の暴走はなかった」
「半年前」と聡介は繰り返した。「マーラさんも、同じようなことを言っていました」
フィラが聡介を見た。
「……何か、分かりましたか」
「まだ点と点が繋がりきっていないんですが。でも、みなさんがそれぞれの場所から追い出された理由と、ここで子どもたちの様子が悪化したことに、何か共通の原因があるかもしれない」
フィラは黙って、その言葉を受け止めた。
その時、リネアが編み上げたものをドランに差し出した。細い糸で作った、小さな鳥の形だ。
「先生、見て! リネアが作ってくれた!」
「わあ、上手だね。リネアちゃん、すごい!僕のエプロンについてる“ひよこ”とちょっと似てるね」
リネアが照れたように顔を背けた。耳が、少しだけ赤くなっている。
ピヨすけが聡介のポケットから顔を出して、その鳥をじっと見る。暫くジッと見つめてから、「ピヨッ」と一声鳴いて、ポケットに戻った。
夕方になると、アラクネとアルラウネの子どもたちが、水場に向かいがてら広場に集まってきた。
リネアが糸の鳥をセラに見せると、セラが根を少しだけ動かして手を伸ばした。
その様子に、周囲の子どもたちがそっと近づいてくる。
言葉はなかった。ただ、同じものを一緒に見ていた。
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帰り道、イグニシアが聡介の隣を歩きながら口を開いた。
「……今日、広場の外縁で足跡を見た」
「足跡?」
「大きい。オーガのものだと思う。水場から少し離れた場所に、新しいものがあった」
「様子を見に来ていたんでしょうか」
「かもしれない。……足跡の近くの土が、妙に荒れていた」
夕暮れの風が、二人の間を通り抜けた。
「苛立ちを抑えられない者が、無意識に地面を踏みつけるような……そういう荒れ方だった」
聡介はその言葉を、黙って受け取った。
足跡だけが語る何かが、胸の隅に引っかかる。まだ会ってもいない。でも、その荒れ方が、追い詰められた者の足元に見えて仕方なかった。
「……明日、会いに行きましょうか」
「向こうから来るかもしれない。あの足跡の距離感は、もう少しで踏み込んでくる、そういう感じがした」
「……どんな子たちがいるのか、会ってみたいですね」
水場の広場に着くと、夕暮れの光が泉に反射して、きらきらと輝いていた。セラが根を少し伸ばして水を飲んでいる。その周囲の草が、枯れていない。
穏やかな夕暮れだった。
だが広場の外縁、木立の向こう側に、重い気配が漂っていた。
イグニシアだけが、その方向から目を離さなかった。




