第25話:【感じる淀みと、戦士の目】
翌朝、聡介たちはフィラの案内で、さらに樹海の奥深くへと足を踏み入れた。
「今日は、集落の中心にある場所まで向かいます」
フィラが静かに告げ、蜘蛛の脚が腐葉土を規則正しく踏みしめる。その後ろを、リネアの手を引いたドランが懸命に続いた。
「集落の寄り合い場所…といえばいいんでしょうか。…広場に、湧き水があるんです。この樹海では珍しく枯れることのない安定した水場で。私たちがここを選んだ一番の決め手でした」
「命を繋ぐために、みんなそこに身を寄せているんですね」
「ええ。アルラウネの方々も水脈に近い土を求め、私たちアラクネも水を必要とします。……おそらく、オーガ族も同じでしょう」
フィラが少しだけ声を落とし、周囲の密林を警戒するように見渡した。
「ただ、種族ごとに生活のリズムが違いますし、お互いに……その、自分たちの弱みを見せたくないのでしょう。水場を使う時間は種族ごとに暗黙の了解があって、顔を合わせることは稀です」
「……避けているんですか、それとも避けられているんですか」
「……その、両方だと思います。本来は力を合わせた方がいいのでしょうけれど、私たちは皆、どこかを追われてきた身ですから」
聡介は深く頷き、それ以上は追求しなかった。
その道中、イグニシアは一度も口を開かず、鋭い視線で周囲を観察し続けていた。
樹海に入って二日目。昨日あたりから肌にまとわりついていた微かな違和感が、今日はより重く感じられていた。
(……魔力の流れが、おかしい)
言葉にするのは難しいが、どこか鼻の奥がムズムズとするような、居心地の悪い淀みを感じる。
聡介の側にいる時に感じる、あの澄み切った凪のような魔力。それに慣れてしまった今、この森に漂う「何か」は、透明な水に一滴だけ混ざった泥のように、彼女の神経を静かに逆撫でしていた。
やがて、不意に木立が開けた。
そこは樹海の中にあって珍しく空が広く見える、開けた広場だった。中央には泉が静かに湧き出している。
広場には、昨日よりも重苦しい空気が漂っていた。
寄り合っているアルラウネの大人たちの顔は一様に疲れ切り、子どもたちは親の根元でうずくまったまま動こうとしない。
木の上から覗くアラクネたちの視線も、どこか怯えを孕んでいるように見えた。
「……昨夜も、あちこちで暴走があったみたいです。皆さん、もう限界に近いのかも……」
フィラが声を潜めて呟く。聡介はその光景を静かに見つめ、何かを深く考えるように目を伏せた。
その時、聡介のポケットの中でピヨすけが身じろぎした。
「ピヨ……ッ」
怯えるような鳴き声。ピヨすけは顔だけを出し、広場の外縁――深い茂みの方向をじっと見つめた。
イグニシアだけが、その一瞬の動きを捉えていた。
聡介がフィラやリネアに付き添い、周囲の様子を窺い始めたのを見届けると、イグニシアは気配を消したまま、さりげなく広場の外縁へと足を向けた。
草が深く、木の根が複雑に隆起した場所。そこに、それはあった。
茂みの切れ目、平らな岩の上に、七色に揺らめく光がぽつんと置かれていた。
まるで誰かが道端に忘れていったかのように、無造作に。
それはかつて竜人の里でも稀に採れた、息を呑むほどに美しい魔石だった。
イグニシアは慎重にその魔石を拾い上げ、掌に包み込んだ。
彼女は広場へ戻ると、リネアと話していた聡介に短く視線を送った。聡介はその鋭い眼差しだけで意図を察し、リネアに「ちょっとごめんね」と断って、イグニシアが待つ木陰へと歩み寄った。
「どうしたんですか、シアさん。そんな顔をして」
「……これを見てくれ。広場の外、岩の上に置かれていた」
イグニシアがゆっくりと掌を開く。そこには、虹色の光を放つ魔石が横たわっていた。
「……まさか、これは」
差し出された石を見た瞬間、聡介の顔から余裕が消えた。
「ああ。誰が、何の目的で置いたかは分からん。だが、忘れ物というにはあまりに不自然だ」
「……やっぱり。これ、ドランくんが持っていた石と同じものですよね」
聡介は吸い寄せられるようにその石を手に取った。
「…やはりソウスケもそう思うか」
「はい。……ピヨすけが嫌がっていた理由が、分かった気がします。何というか、すごく『冷たい』ような、そんな感じがして……」
聡介は、あの日ドランを蝕んでいた不自然な美しさを思い出していた。一見すると美しく価値のあるものが、持ち主の心さえ変えてしまうあの感覚。
「誰が置いたものかは分かりませんが……シアさん。ドランくんの時と同じように、これも僕が預かっておきます。皆さんの近くに置いておくのは、あまり良くない気がしますから」
「構わん。それが賢明だろう」
聡介は、静かだが確かな眼差しでその虹色の魔石を包み、お散歩バックの奥へと仕舞い込んだ。
広場へ戻ると、不安げにこちらを見ていたリネアが、ドランに綺麗な木の実を見せてもらっていた。
彼が自身のポシェットから取り出した、大切な「宝物」の一つだ。
すると、木の上から覗いていたアラクネの子どもの一人が、たまらずといった様子でするすると降りてくる。
「……それ、なあに?」
ドランが顔を上げる。一歩、また一歩と、孤独な子どもたちが混じり合っていく。
イグニシアは腕を組んだまま、その小さな交流を静かに見守った。
お散歩バックの中に入れたあの虹色の輝きが、この森を蝕む淀みの「核」ではないか――その予感は、確信へと変わりつつあった。




