第22話:【野に咲く勲章、約束の音色】
ある日の旅の道のりは、いつの間にか「お散歩」へと変わっていた。
山を下りきった先、視界の端から端まで鮮やかな緑が波打つように広がる、高台の平坦地。
どこまでも続く丘を渡る風が、色とりどりの野花を揺らしている。その中に、銀色に輝く鞘を持つ、不思議な形の植物を見つけたドランが、足を止めてまじまじと見つめた。
「先生、これ……キラキラしてて、おもしろい形。何だろう?」
「おっ、よく見つけたね。ドランくん、ちょっと見てて」
聡介は腰を下ろすと、お散歩バッグから使い慣れたハサミを取り出した。
鞘の端を数ミリだけ薄く削り、そっと唇に当てる。「ぴよーっ」と高く抜けるような音が丘に響くと、ドランの顔がパッと輝いた。
「すごい、音が鳴った! 先生、僕にも教えて!」
「いいよ。まずはここを平らにして……。あ、そうだ。ドランくん、せっかく見つけた宝物、落としちゃったら大変だよね。これ、使ってくれるかな?」
聡介が予備のポケットから取り出したのは、丈夫な帆布製の小さなポシェットだった。
「僕の……カバン?」
「そう、ドランくん専用の『たからもの入れ』だよ。これから見つける素敵なものは、全部そこに入れていいからね」
自分専用の道具をもらい、ドランは誇らしげに胸を張った。ポシェットの紐を斜めにかけ、さっそく銀色の鞘を大事そうに中にしまい込む。
「シアさんも、どうですか? 意外とコツがいるんですよ」
少し離れた場所で、背筋を伸ばして周囲を警戒していたイグニシアは、戸惑ったように首を振った。
「……私は、そういう手慰みには疎い。戦士の指は、繊細な細工には向かぬのだ」
シアはそう言いながらも、聡介の手元を熱心に覗き込むドランの、緩んだ頬をどこか眩しそうに見つめていた。
聡介は二人を穏やかな眼差しで見守りながら、自らも別の茎を手に取り、静かに指先を動かし始めた。
丘の上には、穏やかな時間が流れていった。
ドランは自分だけのカバンを軽く弾ませながら、草を編んだり、珍しい形の石を拾ったりと、「宝物」を夢中で集めていく。
カバンが少しずつ膨らんでいくたび、ドランの表情には自信のようなものが宿っていった。
やがて、しばらく没頭していたドランが、思い切ったように立ち上がり、シアのもとへ駆け寄った。
「シア、これ。あげる」
差し出されたのは、黒真珠のように鈍く光る花の種を、カラフルなゴム紐で繋いだブレスレットだった。
「いつも守ってくれて、ありがとう。里にいた時は、怖くてちゃんと言えなかったけど。……シアがいてくれて、嬉しいんだ」
「……っ」
不意打ちだった。
シアは、それを壊さないようにそっと受け取り、自分の逞しいがしなわりで美しい手首に巻いた。
「……ありがとう、ドラン。……大切にする。……本当にな」
感極まって言葉を詰まらせながらも、シアは慈しむようにブレスレットを撫で、心からの笑みをドランに返した。
その足元で、ピヨすけが興奮したように跳ね回り、ポロリと一枚、燃えるような紅い羽が抜け落ちた。
「あ、ピヨすけの羽。……クリム、これ、お前にあげるね。かっこいいよ!」
ドランはそれを拾い上げると、クリムの胸元にそっと挿してやった。
慣れ親しんだぬいぐるみの胸元で、魔法の輝きを宿した紅い羽が、丘を吹き抜ける風に吹かれて誇らしげに揺れている。
「ピヨッ!」
嬉しくなったドランは、シアの手を引いた。
「あっちに、もっと綺麗な花があったよ!」
誘われるまま、シアもまた警戒を解いてドランと共に歩き出す。二人がより鮮やかな花を求めて、いつの間にか道から外れた茂みの奥へと吸い寄せられそうになった、その時だった。
「――どーこだ?」
ふわりと風に乗って届いた声に、ドランが足を止めて振り返る。いつの間にか、背後にいたはずの聡介の姿が消えていた。
「あれ……? 先生?」
ドランが不安そうに周囲を見渡した瞬間、少し離れた草むらの陰から「ピッ、ピッ」と、軽やかで澄んだ笛の音が響いた。
「あ、あっちだ! 先生、見つけた!」
駆け寄るドランを、聡介はひょっこりと顔を出して迎え入れた。
「正解!僕がどこに隠れたか、音でよくわかったでしょ? ……ドランくん、シアさん。ここでお約束を一つしようか」
聡介は胸元に笛をしまいながら優しく諭すと、先ほどまで作っていた笛をドランに手渡した。しなやかな草の茎を幾重にも編み込み、黄色の紐を通したものだ。
「お互いに声が届く範囲で遊ぶこと。それから、もしはぐれて不安になったら、慌てずにこれを吹いて。先生は、この音を合図に必ずドランくんを見つけるから。……ね、約束だよ」
ドランは手の中の笛をぎゅっと握り、元気よく頷いて、それを大切そうに自分のポシェットの横へ添えた。
試しに思い切り吹いてみると、高く透明な音色が境界の丘の隅々まで広がっていく。
「ピヨピヨッ!」
ピヨすけがその音に合わせてステップを踏み始める。その幻想的な光景に、シアは驚愕した。
「……信じられん。ただの草の笛が、これほど清浄な魔力の波を纏うとは…」
シアが驚愕の声を漏らすのを、聡介は「そんな大げさな」と笑って流した。
ドランはすっかりその音色が気に入り、シアと一緒に再び花摘みに戻っていった。
今度は、聡介の声が届く範囲で、時折笛を鳴らしてはピヨすけを踊らせている。
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やがて、旅の再開を告げる風が吹いた。
カバンいっぱいの宝物と、草花遊びをたっぷり楽しんで満足そうなドランが、聡介のもとへ駆け寄ってくる。
「あー、楽しかった! 先生、僕たちが遊んでる間、何してたの?」
聡介は、膝についた土を払いながら、小さく膨らんだ布袋をお散歩バッグに仕舞った。
「みんなの様子を見守りながら、この丘の土を集めていたんだ。ほら、ここってすごくお花が綺麗でしょ? きっと土が凄く良いんだね。ドランくんがいつか、宝物の花の種を育てたいって思った時に使えるかなと思って」
「へー……土。先生って、面白いもの集めるんだね」
ドランは不思議そうに首を傾げたが、すぐに自分のパンパンに膨らんだカバンを揺らして笑った。
「……あれ? 先生だけ、何ももらってないね」
ドランがふと自分とシア、そして聡介を順番に見比べて呟く。
「あはは、本当だね。それなら……シアさん、その作りかけの、僕がいただいてもいいですか?」
指差した先には、シアが持っていた花冠があった。ドランと遊びながら、こっそりと見よう見まねで編もうとしていたもの。
「よ、よせ! これは……その、ただの練習だ。こんな出来損ないをソウスケに渡せるか……」
「いいえ、これがいいんです」
聡介はシアの手からそっと受け取り、手際よく形を整えると、お散歩バッグから取り出したスプレーのりをシュッと一吹きする。すると驚くほどきれいに花冠が固まり一つのコサージュが出来上がる。
「ここに付けましょうか」
聡介が瑞々しさをそのまま固めたようなコサージュを当てたのは、エプロンの胸元――ひよこのアップリケのすぐ上だった。
「あ、ひよこさんがお花を持ってるみたい!」
ドランが指をさして笑う。不格好な作りかけの花冠だったものが、まるでひよこが被っている王冠のように、あるいは大切に抱えている宝物のように重なった。
聡介はにこりと微笑むと、針と糸を使い、自分のエプロンの胸元へ丁寧に縫い付けた。
「ほら、素敵な勲章になりました。シアさんの優しさが、僕の目印になりますね」
「……っ」
シアは何か言いかけて、やめた。視線を逸らし、ただその手首の黒い種を、親指でそっと撫でる。
高く澄んだ笛の音と、ピヨすけの歌声。
胸元に真心を飾った保育士と、絆を腕に巻いた戦士。
そして、約束の笛を下げ、宝物の詰まったカバンを揺らす少年と、その胸元に紅い羽を宿したぬいぐるみ。
再び歩き出したその足取りは、丘の向こうに見える深緑の樹海へ向かって吹く風よりもずっと、軽やかで自由なものだった。




