第21話:【高原の風と、黄金のスープ】
「――うん、いい出汁が出てる」
木べらで掬ったスープを一口啜り、聡介は満足げに目を細めた。
視界の端から端まで、鮮やかな緑が波打つように広がる高台の平坦地。遮るもののない空がどこまでも高く、薄く引き延ばされた雲が朝の光を浴びて白く輝いている。北に竜人の峰々を背負い、南にこれから進む広大な大地を見下ろす。その境界にぽつんと佇む、落雷で半ば炭化した巨木の根元が、今日の「教室」だった。
石を組んだ即席のかまどでは、薪がパチパチとはぜている。
「ソウスケ。火が弱まっているぞ」
愛剣を磨いていたイグニシアの声は、呆れているようで、どこか柔らかかった。
「あ、すみません」
聡介は苦笑して木べらを握り直す。「みんなが美味しく食べて、元気になれるように」という、いつもの願いを込めて鍋に向き合った瞬間だった。
かまどの周囲の空気が、ふっと澄み渡る。
薪の爆ぜが、包み込むような安定した熱へと、静かに書き換わっていく。
「……やはり不思議な力だ」
シアが指先からそっと熱を足した。本来は城壁をも溶かすはずの業火が、聡介の作り出す柔らかな空気に触れ、ただスープを煮込むためだけの温度へと鎮まっていく。
「私の破壊の焔さえ、貴殿の傍では牙を抜かれる」
「そんな大げさな。シアさんの火加減が上手いんですよ」
「……貴殿と話していると、褒められているのか馬鹿にされているのか分からなくなる」
「褒めてます」
シアは小さく鼻を鳴らしたが、口元が僅かに緩んでいた。
「ピヨ……ピヨッ!」
足元では、真紅の産毛を揺らしたピヨすけがひっくり返っていた。湯気で少し湿ったその姿は、まるで真っ赤な毛玉だ。
「ドランくん、ご飯できたよ。クリムくんも呼んできてくれるかな?」
「うん! クリム、お昼だって。ほら、お口拭いてあげるからね」
毛布から出てきたドランが、背伸びした手つきでぬいぐるみの顔を丁寧に拭いてやっている。里を出る時に見せた芯の強さが、今は「自分より小さなものを慈しむ」という形で静かに育っていた。
「クリム、あつあつだからね。はい、あーん」
ドランがスープの香りをクリムに分け与える。かつて聡介にしてもらったように、大切に、大切に世話を焼く。
その様子を、シアが少しだけ複雑な瞳で見ていた。
「……シアさん、あの子たちのことが気になりますか?」
聡介が隣に来て、静かに声をかけた。
「不思議なのだ」とシアは言った。「どう見ても、あれはただの細工物だろう。だが……ドランがああして接していると、時折、私の方が間違っているような錯覚に陥る」
「子どもにとって、大切にしているものはみんな生きているんですよ」
聡介はそう言って、鍋をゆっくりとかき混ぜた。色とりどりの野菜がスープの中で踊り、角が取れて、一つの柔らかな香りにまとまっていく。
「色々な野菜が溶け合って、一つの美味しい味になる。……あの子たちも、今はそうやってお互いの色を知っていく時間なんです。ドランくんが注いでいるのは、ただの遊びじゃなくて、愛情という名の栄養なんですよ」
「……だから、あれでいいんです」
湯気の向こうで、ドランがクリムに笑いかけていた。
その時だった。
足元のピヨすけが、ふいに動きを止めた。小さな瞳が、遙か南の地平線をじっと見据える。風に何かが混じっていた。冷たい金属が擦れ合うような、大勢の人間が同時に溜息をついたような、形容しがたい重苦しさ。
「ピヨ……」
不安げに短く鳴いて、ピヨすけが聡介のポケットに潜り込んだ。
「……風が変わったかな」
聡介は少し首を傾げて、南の空を見やった。不自然に重く、澱んだ雲がわだかまっている。
シアはその瞬間に剣の柄へ手を置いていた。ピヨすけが何かを察したことを、彼女だけが静かに知っていた。
「……ああ」とシアは言った。「だが今はまず、このスープを飲み干すとしよう。冷めると味が落ちるのだろう?」
「ふふ、そうですね。さあ、みんなで食べましょう」
丘を吹き抜ける風が、黄金色のスープの香りを遠くまで運んでいった。
本日より第二章(樹海編)スタートです。引き続きお付き合いいただければ幸いです




