第20話:【はじまりの『できた!』を胸に】
里の中央にそびえ立つ、重厚な石造りの大広間。
そこには、里一番の戦士であり、圧倒的な武力で竜人を束ねる族長が、威圧感を放ちながら座していた。
その両脇には、武装した戦士たちが居並び、静まり返った空気には刃のような緊張感が漂っている。
その中央で、聡介は真っ直ぐに族長を見据えていた。
「……ソウスケ。所詮貴様は、そのような寝言を口にする男だったというわけか」
族長の、野太く地響きのような声が響く。
「里を滅ぼしかけ、多くの同胞を傷つけた『真紅の暴君』……。その成れの果てを、貴様は『ぬいぐるみ』とやらだと言い張り、あまつさえ、それを生かして育てたいだと? 貴様、我ら竜人族の誇りを踏みにじるつもりか!」
「いいえ。そんなつもりはありません」
聡介は一歩も引かず、穏やかに、しかし断固とした口調で返した。
「ですが、この子はもう化け物ではありません。親や家族という居場所を失い、誰にも泣き声を聞いてもらえなかった、保護が必要な『子ども』です。どんな理由があろうと、目の前で泣いている子を見捨てることは、保育士としての僕にはできません」
「ふん、軟弱者の戯言を。……ヴォルカ、お前もこの男に毒されたか」
族長の鋭い視線が、息子へと向けられる。ヴォルカは一瞬、眼鏡の奥の瞳を伏せたが、すぐに顔を上げた。
「……族長。魔法学的な観点からも、あれが完全に無害化され、変質しているのは事実です。ですが……里の長として、民の感情を優先されるというのであれば、私の論理は無意味でしょう」
族長は鼻で笑うと、立ち上がり、冷酷な宣告を下した。
「話にならん。ソウスケ、貴様がどこまでもその『化け物』を庇い立てるというのなら、もはや客分としては扱わん。……今この時を以て、貴様を里から追放する! 見ているだけで引き裂きたくなるその忌々しいガラクタと共に、即刻失せろ!」
「……ま、まってください、ぞくちょう!」
その時、聡介の背後に隠れていたドランが、たどたどしくも一歩前へ踏み出した。
「先生がいくなら、ぼくも……ぼくも、いっしょにいく。……この子を守れるのは、僕しかいないんだ。それに、外の世界には、あの子みたいに泣いている子がもっといるかもしれない……。ぼく、そういう子を助けられるようになりたい。……だから、僕も里を出る!」
ドランの瞳には、かつての怯えはなく、自分と同様の存在を守ろうとする強い光が宿っていた。
族長はしばし沈黙し、ドランを射貫くように見つめた後、吐き捨てるように言った。
「勝手にしろ! 里の掟に従えぬ腰抜けなど、我が一族には不要だ。二度とそのツラを見せるな!」
族長は背を向けて奥へと歩み去った。その固く握られた拳が、微かに震えていたことに気づいた者は、わずかしかいなかった。
追放の宣告から数時間後。聡介は塔の一室で、旅の支度を整えていた。
「よし。お散歩バッグの整理も終わったし……。不思議だなぁ、これだけ使ったのに、まだ除菌シートも予備のガーゼもたっぷり残ってる。水筒の水も、どれだけ飲んでも減る気配がないし……」
聡介は首を傾げながらも、この「無限の安心感」に感謝してバッグの口を閉じた。これがあれば、どこへ行っても子どもたちのケアができる。
「ねえ、先生。……この子に、おなまえつけてもいい?」
ドランが例のぬいぐるみを大切そうに抱えて尋ねた。
「そうだね。ドランくん、何かいい案はあるかな?」
「……クリム。かっこよくて、ちょっとかわいいから」
「クリムか、いい名前だね。……じゃあ、こっちの赤い鳥は……『ピヨすけ』でどうかな?」
「ぴよすけ……?」
ドランが首を傾げる。背後で、そのやり取りを日誌に書き留めていたヴォルカが、深く、深いため息をついた。
「……ソウスケ殿。その、なんとも言い難い安直なネーミングセンスだけは、魔法でも救いようがありませんね……。この稀少な鳥が、ピヨ、ですか……」
「あはは、親しみやすくていいじゃないですか」
聡介が笑うと、肩のピヨすけも「ピピィッ!」と誇らしげに鳴いた。
里の巨大な石門の前。
イグニシアは、まだ門から一歩も出られずに立ち尽くしていた。旅装を整えた聡介とドランを見送りながら、彼女の心は、里への忠誠と、二人への想いの間で激しく揺れ動いていた。
「……行かないのですか、イグニシア」
背後から声をかけたのは、ヴォルカだった。
「兄上……。私は、父上の……族長の命に背くことはできません。私は、この里の戦士として……」
「およしなさい。貴女が嘘を吐く時の癖は、兄である私にはお見通しですよ」
ヴォルカは門の向こう、小さくなっていく二人の背中を見つめながら、静かに語り始めた。
「父上は……あえて冷徹に振る舞うことで、ソウスケ殿を、そこでドランを自由にしたのですよ。里に留まれば、あの子たちは一生『元凶』と『忌み子』という偏見の檻に閉じ込められる。父上は、己が悪役を引き受けることで、二人を檻から解き放ったのです」
「そんな……では、父上は……」
「イグニシア。私は、この里に残ります。ソウスケ殿との邂逅で、私は知った。力なき者が未来を掴むには、武力以上の『知恵』と『仕組み』が必要なのだと。私はここで、父の右腕として、より良い里を作ってみせます。……ですが、ドランには、世界を見る目が必要だ」
ヴォルカは妹の肩を優しく押し、微笑んだ。
「そして、それを守れるのは貴女しかいない。……これは、次期族長としてではなく、貴女の兄としての頼みです。あの子たちを……父が不器用にも守りたかったあの自由を、その身を賭して支えてやってくれませんか」
イグニシアの目から、一筋の涙がこぼれた。彼女は深く一度だけ頷くと、決意を宿した瞳で門の外へと駆け出した。
「ソウスケ、ドラン! 待て、私も行くぞ!」
遠くで、聡介が振り返り、満面の笑みで手を振るのが見えた。
見渡す限りの緑が広がる平原。
一人の保育士と、一人の戦士、そして一人の少年と、不思議な鳥とぬいぐるみを連れた一行は、果てしなく続く道を進んでいく。
聡介の胸にあるのは、追放された悲しみではない。
肩に感じるピヨすけの重み、隣を歩くドランの力強い足音、そして背後でカチャリと鳴るイグニシアの装備の音。
仲間たちの確かな存在感を感じながら、聡介は新しい場所で出会うであろう、まだ見ぬ子供たちの笑顔を思い描く。
「さあ、ドランくん。シアさん。次はどんな『できた!』に出会えるか、楽しみですね」
一歩、また一歩。
異世界の地を、聡介の靴が踏みしめていく。
その歩みは、新しい世界を丸ごと包み込むような、慈愛に満ちたリズムを刻んでいた。
これにて第1章完結です!お付き合いいただき本当にありがとうございました。そして……明日から、いよいよ第2章『ひよこエプロンと彷徨える樹海の子』がスタートします! 新しい舞台で子どもたちとソウスケ先生がどう向き合うのか、どうぞお楽しみに!




