第15話:【穏やかだが確実に変わる日常 ~里の親たちの変化~そして…】
ヴォルカにとって、広場での「観測」はもはや研究以上の意味を持っていた。
竜人族の強さは、その強靭な肉体に激情を練り上げ、破壊の炎へと変える爆発力にある。
だが、聡介のそばにいる子どもたちは、その炎すら出さず、ただ楽しそうに笑い、光と音のアスレチックを駆け回っている。
「……やれやれ。理解に苦しみますね、ソウスケ殿。あなたが一人に声をかけるたび、この場の空気が目に見えて澄んでいく。私の知る魔法理論には、そんな『安らぎの定数』なんてものはないのですが」
横に立つヴォルカの言葉に、聡介はいつものように柔らかく微笑んだ。
「そうですか? 僕はただ、みんなが安心して遊べるように見守っているだけですよ」
「それが一番難しいのだと、自覚すべきですよ。……おかげで私の魔法理論は、毎日書き直しです」
ヴォルカは飄々と肩をすくめたが、その眼差しには、ここ数日で芽生えてきている友人としての意識が混じっていた。
だが、その穏やかな空気を切り裂くように、一人の屈強な竜人族の男が歩み寄ってきた。
ドランの親戚筋にあたるその父親は、血管を浮き上がらせた拳を握りしめ、切羽詰まった表情で聡介を睨みつける。
「いつまでこんな戯れ事を続けさせる! 強くあれと教えねば、高ぶる魔力の炎を御せず、幼い体など内側から焼き尽くされてしまうぞ!」
父親の怒号は、我が子を失いたくないという「恐怖」の裏返しだった。
激しい感情を燃料とする魔法の行使において、制御の未熟な子どもが感情に呑まれることは、そのまま魔力の暴走による自壊を意味していたからだ。
「お父さん」
聡介は、今にも自らの焦燥で焼け落ちそうなほど拳を震わせている男の、視界の端にふわりと入るように一歩踏み出した。
(……ああ、この顔は知っている。子どもの将来を想うあまり、自分自身を追い詰めて、出口が見えなくなっている顔だ)
保育士としての経験が、男の怒声の裏にある「悲鳴」を瞬時に捉える。
聡介は静かに一歩踏み出すと、父親の強張った肩にそっと手を置いた。
「……お子さんを失いたくないから、そんなに必死なんですよね」
聡介の言葉と、その掌から伝わる確かな温もりに、父親の肩が跳ねた。
聡介の何気ない「手当て」は、鎧のように固まっていた父親の強張りを、不思議なほど自然に解きほぐしていく。
「でも、お父さんがそんなに苦しそうな顔をしていたら、お子さんも安心して自分の『炎』を扱えません。まずは大人が『大丈夫だよ』と笑ってあげること。それが、この子が自分の力と仲良くなれる一番の近道なんです」
「……そんな、ことが。私は、ただ……あの子に、生きてほしくて……」
父親の目から険しさが消え、それと呼応するように、子どもの荒れていた魔力の火花がふっと凪いだ。
その光景を見ていた親たちも、堰を切ったように聡介のもとへ集まってきた。
竜人族の親たちにとって、育児の悩みとは、常に暴発の危険を孕む「強大な力」との向き合い方そのものだった。
聡介は一人一人の話に耳を傾け、「お母さんも、一生懸命頑張ってきたんですね」「毎日、本当にお疲れ様です」と、その苦労を丸ごと肯定していった。
親たちが安心し、笑顔を取り戻すごとに、里全体の空気がかつてないほど清らかに浄化されていく。
少し離れた場所でその様子を眺めていたヴォルカが、独りごちた。
「なるほど。環境を整えるとは、場所だけではない。そこにいる『大人』の心をも整えることだったのですか。……ソウスケ殿、あなたはやはり、常識をひっくり返してしまう男ですよ」
―――――――――そこまでを思い返し、ヴォルカは手元の日誌に目を落とした。
昨夜、塔の一室で交わした対話。聡介の『保育』に希望を見出し、ドランを、そしてイグニシアを救って欲しいと願った、あの静かな決意の夜。
それを経て迎えた今朝の空気は、昨日までとはどこか違って見えた。
日誌に書き込まれたのは、魔道の新理論ではなく、保育士という男の不可思議な「技術」への尽きない興味だ。
そして、お散歩の時間が来た。
「ルカさーん! 準備はいいですか? 今日は少し遠くまで、園外保育に行きましょう!」
下から届く聡介の明るい声。
ヴォルカは日誌を閉じると、いつものように飄々と、しかしどこか弾んだ足取りで階段を下りた。
ドラン、そして護衛兼・保育補助として同行するイグニシアを連れ、一行は里の外へと歩み出す。
よく晴れた、最高のお散歩日和。だが、目的地である丘を目前にしたその時――。
シュッ。
空気を切り裂くような速度で、聡介の胸元に「赤色の小さな影」が飛び込んできた。
「……おっと、危ない。……ん? ひよこ……?」
反射的に受け止めた聡介の腕の中で、ボロボロに傷ついた小さなひな鳥が、絶え絶えの息で震えていた。
――その直後だった。
『グォォォォォォォォォォッ!!』
聞く者の魂を凍りつかせ、世界の色彩を奪い去るような、絶望の咆哮が大地を揺らした。
森の奥から立ち昇る、圧倒的な、そして悍ましいまでの憎悪を孕んだ真紅の魔力。
いち早くその正体に気づいたイグニシアが、驚愕に目を見開く。
「……まさか、あの時の……! 全員私の後ろへ! !!」
穏やかな日常は、一瞬にして戦場へと変貌した。聡介の腕の中、正体不明の「ひな鳥」の小さな心音だけが、早鐘のように打ち鳴らされていた




