第13話【穏やかだが確実に変わる日常 ~ドランの小さな一歩~】
イグニシアが「待つ勇気」を覚え始めたのと同じ頃、ドランの心にも静かな変化が訪れていた。
これまでドランにとっての「外」は、常に誰かの監視の目に晒され、暴走する恐怖と隣り合わせの緊張した場所だった。
だが、聡介が来てからというもの、ヴォルカの塔の前の広場は、少しずつその色を変え始めていた。
「ドランくん、今日はこれを使って一緒に遊ぼうか?」
聡介がお散歩リュックから取り出したのは、小さな折り畳み式のナイフと、使い古された紙やすりだった。
木端をナイフで手際よく削り出し、仕上げにやすりをかける。聡介が軽く擦るだけで、無骨な木切れが吸い付くような滑らかさを持つ「積み木」へと変わっていく。
ドランは、その滑らかな積み木を恐る恐る手に取る。
いつもなら集中しようとすると体内の魔力が熱を持って暴れ出すが、聡介が隣で「いいですよ、ゆっくり」と微笑みながら、時折、大きな手で優しく背中を撫でてくれるだけで、その熱は不思議と凪いでいくのだった。
ドランには、なぜこの人の手が、自分の中に渦巻く嵐を静めてしまうのか分からなかった。ただ、その温もりが心地よくて、自然と手元の作業に没頭することができた。
広場には、里の子どもたちが遠巻きにこちらを伺っていた。
聡介が「ひよこ組」としての保育活動を始めて以来、面白いもの見たさに集まる子は増えたが、ドランの周囲数メートルには、今も目に見えない「境界線」が引かれたままだ。
里の子にとって、ドランはまだ「近づいてはいけない恐ろしい存在」だった。
広場では、数人の少年たちが、聡介が数日前に「ガムテープと使い古した布」で作り、里の子どもたちに手渡した不思議な球体を追いかけていた。
里には「遊び」などという概念はない。だが、聡介がその塊をポンと弾ませ、転がしてみせると、子どもたちは「動く獲物」に反応するように、夢中でそれを追いかけ始めたのだ。
ふと、その無骨なガムテープの毬が、追いかける子どもの手を離れ、ドランの積み木のすぐそばまで転がってきた。
追いかけてきた少年が、毬を拾おうとしてドランの姿に気づき、ぴたりと足を止める。
ドランはビクッと肩を揺らし、手を止めて俯いてしまう。
「……ぼく、別のところで遊んだほうがいい?」
ドランの小さな呟きに、聡介は目線を合わせるように屈んだ。
「どうしてそう思ったのかな? お話聞かせてくれる?」
「だって、ぼく、こわいって言われるから。……また、みんなを困らせちゃうから」
聡介は、ドランの震える小さな手をそっと包み込んだ。
それは、里の誰もが「暴走を抑えるため」に触れるのとは違う、ただの温かい、大きな手だった。
「ドランくん、大丈夫。君が誰かを困らせたいなんて思っていないこと、先生は知っているよ。……ほら、あの子たち、怖がっているんじゃなくて、君が積み上げているその『すべすべの積み木』が、とっても気になっているみたいだよ」
聡介は顔を上げ、鞠を拾いに来れずにいた少年に「おいでよ、一緒に触ってみる?」と穏やかに声をかけた。
恐る恐る近づいてきた少年は、ドランの手元にある、見たこともないほど滑らかな木片に目を輝かせた。
「……それ、何? 石みたいにツルツルだ」
ドランはビクッと肩を揺らし、聡介の掌の温もりに励まされるように、掠れた声で答えた。
「……つみき。先生が、作ってくれたの。触って、いいよ」
ドランが震える手で、自分の積み木を少しだけ差し出した。
少年がその滑らかさに「すげぇ!」と声を上げた瞬間、ドランの表情に、初めて「誇らしさ」が混じった笑みが浮かんだ。
「……これ、重ねてもいいか?」 「うん。……いっしょに、お城つくろう」
否定も拒絶もない、対等な「遊び」への誘い。
ドランは隣に来た少年に教えられながら、慣れない手付きで「城壁」を積み上げ始めた。
二人で一つのものを作る――それは、魔力の制御という技術的な進歩などよりも、ずっと困難で、ずっと尊い「最初の一歩」だった。
その日の夜、ヴォルカは自室の机で、震える手で筆を走らせていた。
今日、広場で見届けた光景を忘れないうちに記録に残すためだ。
(……あの小刀が木を撫でるたび、やすりが表面を滑るたび、木材から『拒絶』のささくれが消えていった。まるでソウスケ殿の意志が、物質の角を丸く、優しく作り変えているように。)
(そして何より、ドランの周囲に漂っていたあの刺々しい魔力が、完全に溶けて消えていました。あの子たちがただの幼子として混ざり合っている。ソウスケ殿、あなたは一体、どんな魔法で、この断絶された心を引き寄せたというのでしょう……)
ヴォルカが書き留めた日誌の端には、これまでの彼からは想像もできないような、希望に満ちた言葉が並んでいた。
一方その頃、聡介は。
「えーっと……明日の自由遊びは、今日作った積み木の続きと……。あ、ドランくんの個別案も少し修正しておこう。『他児への関心が見られたため、並行遊びから共同遊びへの移行を促す環境構成を検討』、と……よし」」
里から提供される食事をありがたく平らげ、慣れ親しんだ手付きで明日の保育計画をメモに書き留めていた。
24年の経験が染み付いたその筆致は、迷いなく淀みない。広場に響いていた子どもたちの笑い声を思い出し、聡介は満足げに小さく微笑むのだった。




