第69話 若い手
朝の小屋の前には、いつもの人足に混じって、見慣れない若い影があった。
フィノは相変わらず、戸口と荷台の間をちょろちょろしている。呼ばれる前から動き回り、邪魔になる時もあるが、いないと妙に足りない。飯の匂いと仕事の気配があるところへ戻ってくる、そういう子どもだった。
その少し後ろで、壁に背を預けて立っている少年がいる。
十六か、それくらい。細いが手足は長く、目つきだけは無駄に強い。働きに来たというより、ここにいる大人たちを試しに来たような顔をしていた。
「誰だ」
ガルドが言う。
「ジン」
少年はすぐに答えた。
「仕事あるって聞いた」
「あるかどうかはこっちが決める」
「じゃあ決めろよ。見てるだけなら帰る」
朝から刺のある言い方だった。
ハムが鼻を鳴らし、エルンが露骨に嫌そうな顔をする。フィノだけが面白がって、わざと近くをうろついた。
「生意気だねぇ」
ミラが笑う。
「でも足は速そう」
「速いよ」
ジンは視線を逸らさず言う。
「軽い荷なら誰より先に運べる」
「重いのは?」
ガルドが聞く。
「……それは、まあ」
一瞬だけ言葉が詰まる。
「できるやつがやればいいだろ」
そこで、もう一人の若い影が戸口の脇にいるのをカイルは見た。
痩せた少年だった。年はフィノより上で、ジンよりは下に見える。声をかけられてもすぐには顔を上げない。視線はずっと、壁際にまとめてある縄と木箱の留め具に落ちていた。
「そっちは?」
エルンが言う。
「……ノア」
小さな声だった。
「働けるのか」
ガルドが聞く。
ノアは少し迷ってから、足元の縄を見た。
「……結び直すのは、できます」
「は?」
ハムが眉を上げる。
「なんだそりゃ」
だが、ドグだけはその返事で顔を上げた。壁際から毛羽立った縄を一本取り、ノアへ放る。
「やれ」
ノアはそれを受け取った。昨日の雨で濡れ、途中が擦り切れ、結び目も半端に固まっている。普通なら捨てるか、そのまま無理に使う類の縄だった。
少年の指が、黙って結び目を探る。
引っ張らない。切れかけのところを避け、使える長さを残すように少しずつほどく。フィノが横から覗き込んだ。
「できんの、それ」
「……たぶん」
返事の弱さに似合わず、手は迷わない。固くなった結び目が一つほどけ、短くなった縄が、今の荷にはちょうどいい長さで結び直される。
ドグが受け取って引いた。
切れない。
「使える」
短くそれだけ言う。
ジンが鼻で笑った。
「そんなの、誰でもやるだろ」
「じゃあお前もやれ」
ハムが言う。
「縄はいい。荷は?」
ジンはすぐに返した。
ちょうどその時、朝の細かい荷が来た。布包み二つ、小袋四つ、空き箱三つ。重くはないが、店から店へと細かく回す、面倒な類の荷だ。
「フィノと行け」
ガルドがジンに言う。
「先に走って、戻ってこい」
「ガキとかよ」
「嫌なら帰れ」
それで話は終わった。
ジンは舌打ちしながらも布包みをつかみ、フィノはもう先へ飛び出している。
「こっちだ!」
「速ぇんだよ、お前!」
二人が路地へ消える。
うるさい。落ち着きもない。だが、戻ってくるのは早い。
一方、小屋の脇ではノアが黙って縄を巻き直していた。セナが持つ木箱の留め具を見て、小さく声を出す。
「……そこ、緩いです」
セナがびくりと肩を揺らす。
「え、あ……これ?」
「結びます」
それだけ言って、ノアは木箱の紐を結び直した。強くない。だが、手元だけは妙に確かだ。
セナは少しだけほっとした顔をする。
「……ありがとう」
ノアは返事をしない。ただ一歩下がって、また縄を見る。
昼前、ジンとフィノは息を切らして戻ってきた。フィノは汗だくで、ジンは悔しそうな顔をしている。
「こいつ、勝手に裏道使った」
ジンがフィノを指さす。
「分かるか、そんなもん」
「速いから」
フィノが胸を張る。
「オレ、知ってるし」
「知ってるなら先に言え!」
怒鳴り返しながらも、ジンは包みを落としていない。戻りも遅れていない。生意気で、半端で、だが使えないわけではない。
カイルはその三人を見ていた。
フィノは、小回りで隙間に入り込む。
ジンは、認められたくて前へ出たがる。
ノアは、誰にも見えないところを静かに支える。
大人の人足だけでは埋まらない場所がある。
速いだけでは足りない。
力だけでも足りない。
だが、こういう半端な若い手は、半端な隙間によく収まる。
小屋の前では、もう誰も「追い返せ」とは言わなかった。言いながら結局残るのを、ここにいる人間は知り始めていた。
市場裏の小屋は、人だけでなく、行き場のない年齢まで吸い寄せ始めていた。
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