第65話 道具が足りない
午後の仕事が一段落すると、小屋の前には使い終えた縄と空いた荷台ばかりが残った。
人はいる。
仕事も来る。
だが、足りないものが別にある。
ドグは荷車の脇にしゃがみ込み、車輪の軸を指で押した。朝から薪、小麦、布包みと回しただけで、木はもう乾いた音を立てている。縄も、壁際にまとめた束のうち二本は毛羽立ち、一本は途中がささくれていた。
「足りねぇな」
ガルドが言う。
「人が?」
ミラが聞く。
「違う」
答えたのはドグだった。
「物だ」
それだけで、エルンが帳面から顔を上げる。
「具体的には」
ドグは立ち上がりもせず、荷車の縁を叩いた。
「縄。板。車輪。置く台。雨避け。足りる時だけ回ってる」
「今は回ってるだろ」
ハムが口を挟む。
「今はな」
ドグは短く返した。
「酒樽がもう一件増えたら沈む」
小屋の奥を見れば分かる。夕方の樽を置くために空けた場所は、広いようで狭い。床の沈む場所は板を渡して誤魔化しているが、重い荷が続けば持つかどうか怪しい。外に積めば雨で駄目になる。中へ寄せれば人が通れない。
ガルドは舌打ちした。
「じゃあどうする」
「拾う」
ドグが言う。
「買う金があるなら買え。ねぇなら拾って直す」
ミラが片眉を上げる。
「拾うって、どこで」
「外れだ」
ドグはようやく立ち上がった。
「古道具屋がある。オルザって爺だ。壊れた荷車も、曲がった金具も、捨てる前の縄も溜め込んでる」
初めて聞く名だった。
カイルはそのまま覚える。ドグが自分から名前を出す相手は多くない。
「まともな物あるのかよ」
ガルドが言う。
「まともなのは高い」
ドグは答えた。
「壊れかけなら安い。直せば使える」
エルンはすぐに帳面の端へ何かを書きつけた。
「新品を揃えるよりは安いはずです。ですが、今の手持ちでどこまで」
「全部は無理だろうね」
ミラが言う。
「でも今のままじゃ、仕事が増えるより先に縄と荷車が死ぬ」
それは事実だった。
人足が増えたことで回るようになった仕事もある。だが、道具は人みたいに勝手には増えない。朝から同じ荷車を回し続け、同じ縄を結び直し、同じ板を渡し直しているだけだ。
リノが壁際から小さく言った。
「……引っかかる」
視線の先では、セナが巻き直した縄の先が、荷台の角でささくれている。次に重い荷を縛れば切れるかもしれない。
カイルはその縄を見て、昼前の小麦袋を思い出した。数を外さない者がいるのと同じで、こういう小さな傷みを見落とさない物が要る。人が増えれば済む話ではない。
「行くか」
ガルドが言う。
「その爺んとこ」
「今から?」
フィノが小屋の陰から顔を出す。
「今だ」
ドグが言った。
「暗くなる前に見る」
結局、行くのはガルド、ドグ、カイル、そして荷車を見るためにガンツになった。エルンは小屋に残る。ミラは夕方の依頼の顔を繋ぎに出る。セナとフィノは縄の巻き直し、ニグとハムは樽が来た時にすぐ動けるよう残る。
市場裏の外れにある古道具屋は、店というより壊れた物の山だった。片輪の荷車、曲がった鉄具、ひびの入った桶、使い古した縄。埃の匂いが濃い。
その山の奥から、背の曲がった老人が顔を出した。片目を細め、節くれだった指で木片を弄っている。オルザは、壊れた物を捨てずに積み上げて生きている古道具屋だった。
「ドグか」
老人は言う。
「また死にかけを漁りに来たのか」
「使えるのを見に来た」
ドグが返す。
「使えるのは高い」
「死にかけでいい」
それで話が通るらしい。
ガルドは店先に積まれた片輪の荷車を持ち上げかけ、すぐ顔をしかめた。
「重ぇし、歪んでる」
「歪んでるから安い」
オルザは平然と言う。
「直せる奴が使えば道具だ。直せない奴には木屑だがな」
ドグは何も言わず、車輪の軸を確かめ、古い縄を引き、板の反りを見る。ガンツも横で荷台の幅を測っていた。
カイルはその様子を見ながら思う。
仕事を増やすには、人だけでは足りない。
その人間たちが使う道具が要る。
縄一本、板一枚、車輪一つ。
そういうものまで繋がって、ようやく流れになる。
市場裏の小屋は、ただ人が集まる場所では終わらない。
荷を運ぶために必要な物が、少しずつ要るようになっていた。
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