第64話 リザの袋
昼を少し過ぎた頃、リザの店先には粉の匂いがこもっていた。
小麦袋を下ろした荷車の脇で、ガルドは腕を組み、エルンは帳面を開き、トルは足元の袋をじっと見ていた。朝の分を届け終えたはずなのに、リザはまだ不機嫌そうな顔で店の奥を見ている。
「まだ一つ足りない」
リザが言った。
ガルドが眉をひそめる。
「十、運んだぞ」
「運んだ袋の数じゃないよ」
リザは吐き捨てるように言った。
「店の奥に入った数が足りないんだ。朝の分と合わせて、ここにあるはずの数が一つ合わない」
エルンが帳面をめくる。朝に出した分、昼に運んだ分、受け取りの数。書きつけた数字に乱れはない。
「運搬の途中で落とした可能性は」
「ない」
ハムが即座に言った。
「あんな重ぇもん、落としゃ分かる」
「袋が破れた様子もありません」
エルンが言う。
だが、リザの顔は晴れない。
「ないないで済むなら、こっちは困らないよ」
店の前の空気が、少しだけきつくなる。
ガルドはこういう時、すぐに腹を立てる。ハムは言い返したがる。エルンは数字の正しさを押し通したくなる。どれも間違ってはいない。だが、それで袋は増えない。
カイルは店先の端に立ったまま、何も言わずに周囲を見た。
朝から人が何度も出入りした店だ。入口の脇、裏へ回る狭い通路、粉をかぶった台、積み上げた袋。リザは店の奥を見ている。ガルドはリザを見ている。エルンは帳面を見ている。
トルだけが、袋を見ていた。
「……違う」
トルがぽつりと言った。
全員の目が向く。
トルは慌てず、店の隅を指さした。
「……あれ、小麦じゃない」
隅に積まれた袋の一つは、見た目だけなら同じ麻袋だった。だが、口の縛り方が少し違う。粉のつき方も薄い。
リザが近づき、袋の口を解く。中から出てきたのは小麦ではなく、乾いた豆だった。
「……くそ」
リザが低く吐いた。
「朝のうちに豆袋を混ぜたままにしてたのか」
「自分の店の話だろ」
ガルドが言う。
「うるさいよ」
リザは睨んだが、その声にはさっきまでの棘が少し抜けていた。
エルンが帳面を閉じる。
「では、運搬数は合っていますね」
「合ってる」
リザは短く答え、それからトルを見た。
「お前、よく気づいたね」
トルは少しの間、何も言わなかった。
やがて袋から目を離さないまま、ぼそりと返す。
「……粉が、少ない」
それだけだった。
ハムが鼻を鳴らす。
「相変わらず変なとこ見てんな」
「見てるから外さないんだろ」
ガンツが言う。
リザは豆袋を脇へどかし、本物の小麦袋を数え直した。今度は文句が出ない。帳面の数字とも合う。
「前の連中なら、こっちのせいにして終わりだったね」
彼女はそう言って、腰の袋から銀貨を出した。
「袋を運ぶだけじゃなく、きっちり数を合わせてくれるなら助かる」
ガルドが銀貨を受け取る。
「最初からそう言え」
「最初からそう動け」
リザは言い返した。
だが口元はわずかに緩んでいた。
店を出ると、午後の市場裏には朝より濃い人の流れができていた。荷車、露店、行き交う使い、路地へ消える人足。小屋へ戻る道すがら、ミラが笑う。
「ほらね。ああいうのだよ」
「何がだ」
ガルドが聞く。
「ただ運ぶだけじゃ足りないってこと」
ミラは肩をすくめた。
「小さい店ほど、数が一つ違うだけで困る。だから、大きいとこじゃなくこっちに話が来る」
ガルドは何も言わなかった。
小屋へ戻ると、エルンがさっそく帳面の端に何かを書きつける。ドグは床の沈みを確かめ、リノは戸口の脇で、人の足元だけを見ている。セナは使い終えた縄を巻き直し、フィノは空いた荷台に腰をかけて足をぶらつかせていた。
トルは何も言わず、壁際の袋の数をまた見ていた。
カイルはその姿を見ながら思う。
力のある者、声の大きい者、前に立てる者は目につく。だが、こういう場所では、それだけでは足りない。
数を外さない者がいる。
違いを見落とさない者がいる。
それがあるだけで、次の仕事になる。
市場裏の荷は、小口が多く、稼ぎも少ない。
大きな商会の運び屋には見向きもされない。
そんな荷物をきっちりやるところは少ない。
だからこそ、ガルドたちのところに少しずつ集まっていくのだった。
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