第56話 顔の値段
ガルドが前に立つようになってから、話しかけてくる相手の質が少し変わった。
前までは、荷を運びたい商人か、半日でも食い扶持を稼ぎたい日雇いばかりだった。だが、この頃は違う。用があるのは仕事そのものではなく、ガルドという顔を目当てにくる者が混じり始めていた。
その日の昼前、小屋の前へ来たのは、よく磨かれた靴を履いた男だった。
服は派手ではない。だが、市場裏に立つには少しだけ整いすぎている。痩せた顔に笑いを貼りつけたまま、小屋の前にいる人間を見渡し、迷わずガルドの前で止まった。
「仕事、回してるのはあんたでいいんだな」
ガルドは荷車の脇で縄を締めながら、面倒そうに目だけを向けた。
「何だ」
「別に難しい話じゃない。あんたんとこ、最近ちょっと目立ってるだろ。だから、うまくやれる道を教えに来た」
その言い方に、ミラが先に眉を上げた。エルンは帳面から目を離さない。ドグは木箱の留め具を直しながら、何も言わない。リノは戸口の脇で、男の足元を見ていた。
カイルは少し離れた位置から、その声色を聞いていた。
親切そうに聞こえるが、頼みに来た口ぶりではなかった。最初から、相手に呑ませるつもりで話していた。
「西通りの口利き屋と、南の人足頭、そのへんが今ちょっと気にしてる。あんたが前に立つなら、話は簡単だ。何割か通せば、余計な揉め事は減る」
ガルドの手が止まる。
「何を通す」
「人だよ。全部抱え込まない。流れてきたのを少し横へ流す。それだけだ。どうせ全部は使いきれないんだろ」
その場の空気が、わずかに硬くなった。
エルンが顔を上げる。
「つまり、こちらに来た人間を選んで横へ流せと」
「言い方が悪いな。もっと上手くやろうって話だよ」
「同じことです」
男は肩をすくめ、今度はガルドにだけ笑いかけた。
「面倒な帳面役はそう言うだろうさ。でも、結局前に立ってるのはあんただ。顔が利くようになりゃ、それだけで金になる。分かるだろ」
ガルドは返さなかった。だが、黙ったまま男を見ている。
カイルはその横顔を見た。怒っているというより、値踏みされていることを理解している顔だった。
前に立つ者には値がつく。
持ち上げられもする。試されもする。買われかけもする。
顔になるというのは、そういうことだ。
「断ったら?」
ガルドが低く聞く。
「別に」
男は笑みを崩さない。
「少し面倒が増えるだけだ。引き剥がしも増えるし、荷の回りも悪くなるかもな。まあ、あんたが前にいる限り、話は何度でも来る」
それは脅しではなく、もっと嫌な種類の現実だった。
ミラが乾いた声で言う。
「ずいぶん親切だね」
「親切さ。みんな損しない方がいいだろ」
「自分だけは損しない、の間違いだろ」
「似たようなもんだ」
男はそう返して、最後にもう一度ガルドを見た。
「あんたなら、もう少し上手くやれると思ったんだがな」
その一言で、ガルドの目が冷えた。
「消えろ」
短い言葉だった。怒鳴りもしない。ただ、そこから先は一歩も入れる気がない声だった。
男は少しだけ笑いを薄くしたが、それ以上は何も言わず、踵を返した。去り際に小屋の前をひとわたり見て、それから通りの向こうへ消えていく。
しばらく誰も口を開かなかった。
最初に息を吐いたのはミラだった。
「高く売れる、ね」
「気に入らねぇ」
ガルドが吐き捨てる。
「他人に値段つけて見てきやがる」
エルンは帳面を閉じた。
「前に立つ者は、そう見られるんでしょう」
「嬉しそうに言うな」
「全く嬉しくありません」
ドグが釘を打ちながら、ぼそりと言う。
「顔に値がついた」
「物みてぇに言うな」
「似たようなもんだ」
ガルドは舌打ちしたが、否定はしなかった。
カイルは小屋の前に立つ背中を見る。
自分は買われない。値もつかない。前に出ないからだ。
だが、ガルドは違う。目立つ。強く見える。人を動かす。だから、顔として値踏みされる。
便利なだけではない。
前に立つことそのものが、もう負担になり始めていた。
夕方、仕事を終えても、ガルドはいつもより口数が少なかった。壁にもたれて通りを睨み、誰かが近づけば先に目を向ける。前に立つ者として見られることを、もう嫌でも引き受け始めている。
小屋の前には、今日も半端な人間が立っている。
だが、その前に立つ顔には、もう別の値段がつき始めていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
続きが気になる方は
ブックマークしていただけると嬉しいです。
評価ポイントも励みになります!




