第55話 残る者
次の日の朝、小屋の前に立っていた顔は、昨日より少なかった。
目に見えて減っているわけではない。だが、流れを知っている者には分かる。昨日まで壁際にいた若いのが一人いない。半日だけでもと声をかけてきた中年も来ない。代わりに新しい顔が一つ立っているが、差し引けば、残ったのは少ない。
「減ったな」
ガルドが言う。
「減りました」
エルンは帳面を見たまま答えた。
「昨日の時点で、今日も来ると言っていた者のうち二人が来ていません。もう一人は、さっき西通りで別口に並んでいるのを見たと」
ミラが肩をすくめる。
「そりゃそうでしょ。前借りと寝床を出されて、こっちに義理立てするほど皆きれいじゃないよ」
ガルドは鼻を鳴らしたが、怒鳴りはしなかった。
昨日のうちに分かっていたことだ。引き剥がしが来るなら、減る者は出る。問題は、何人減ったかではない。減ったあとに、誰がまだ立っているかだった。
小屋の前には、昨日こちらへ寄った若いのがいる。袋の数だけは外さない鈍い男もいる。縄を運ぶ時だけ落ち着く痩せた女もいる。壁際にはニグもいた。相変わらず目立たず、声も大きくない。だが、帰らずに来ている。
「……残るんですね」
カイルが小さく言うと、ミラが笑った。
「全部持ってかれるわけじゃないってこと」
エルンは帳面を閉じる。
「理由はどうあれ、来たなら振ります。今日は乾物屋が一件、布問屋が二件。昨日より多い」
「人は減ってんのにか」
「だからこそです」
仕事が動き始めると、残った者たちの手は昨日より少しだけ早かった。慣れたからではない。残ると決めた分だけ、迷いが薄いのだ。呼ばれれば前へ出る。終われば声をかける。小さな決まりを、昨日よりは守る。
それでも半端な者たちであることは変わらない。若いのはまだ焦るし、鈍い男は道を塞ぎかける。痩せた女は人の顔色を見て止まりそうになる。けれど、昨日のように、行くか残るかで視線を揺らしてはいなかった。
昼前、昨日別口へ流れたはずの若いのが、小屋の前を通った。こちらを見たが、近寄らない。腕には見覚えのない縄が巻かれ、顔は少し疲れている。前借りを受けたのだろうと、誰にも言われずに分かった。
ニグがそれを横目に見て、ぼそりと言った。
「早いな」
「何がです」
エルンが聞く。
「顔が死ぬのが」
ニグはそれだけ言って、荷を持ち上げた。
ミラは笑わなかった。ガルドも何も言わない。ただ、残っている若いのに向かって顎をしゃくる。
「お前、そっち寄れ。そこ塞ぐな」
「……はい」
若いのはすぐ動いた。
従順になったわけではない。ただ、ここに残ると決めた者は、少なくとも今はこの流れに乗るしかないと知っている。その実利だけが、この場所に人を留める。
「恩義で残るわけじゃないんですね」
カイルが言うと、ミラが即座に返した。
「当たり前でしょ。恩なんて腹の足しにならない」
エルンも珍しく同意した。
「損得で残る方が、むしろ計算できます」
「嫌な言い方だな」
ガルドが言う。
「事実です」
エルンは淡々と答えた。
「昨日減った。今日も残った。なら、この場所にまだ利益があるということです」
その言い方は冷たい。だが、間違っていなかった。
小屋の前に立つ者たちは、思想で集まっているわけではない。義理でも、情でもない。ここに立つ方が、他より少しましだから残る。前借りで縛られず、働いた分は一応払われ、切るなら切るで先に分かる。それだけで、下層では十分に理由になる。
夕方、仕事が終わったあとも、壁際には何人かが残っていた。明日の口を待つ顔だ。減ったはずなのに、空っぽにはならない。流れは細っても、途切れてはいない。
カイルはその光景を見て思う。
人が残るのは、信じたからではない。
ここにいる方が、まだ損をしにくいと知っているからだ。
それで十分なのだろう。
少なくとも、今の自分たちには。
小屋の前には、今日も半端な人間が立っている。
昨日より減った。だが、残った者はいた。
この場所は、まだ強くはない。
それでも、減ったあとになお残る者がいるというだけで、もうただの寄せ集めではなくなり始めていた。
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