表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
54/67

第54話 囲い込みの手

 呼び方が定まり始めると、寄ってくるものは人と仕事だけではなくなる。


 嫌う者も、はっきりしてくる。


 その日の朝、ミラは小屋の前へ戻るなり、珍しく笑わなかった。


「面倒なのが動き出したよ」


 ガルドが荷車の脇で縄を引きながら顔を上げる。

「誰だ」


「西通りの口利き屋と、南の人足頭。そのへんまとめて」

 ミラは肩を落とさずに答えた。

「昨日のうちに二人、こっちへ来るはずだった若いのが消えた。声かけたらしいよ。前借りと寝床で釣って」


 エルンの手が帳面の上で止まる。

「前借り、ですか」

「いつものやつ。銀貨を先に握らせて、しばらく抜けられなくする」

「露骨ですね」

「露骨だから効くんだよ。腹減ってる相手には」


 カイルは黙って聞いた。


 今までも敵意がなかったわけではない。だが、それは「目障りだ」という程度だった。六人が小さく仕事を回しているうちは、それでも済んだ。けれど今は違う。行き場のない人間が流れ込み始めている。その流れを嫌がる者が出るのは当然だった。


「別に連れてきたきゃ連れてけよ」

 ガルドがぶっきらぼうに言う。

「来たくねぇなら、それまでだ」


「それで済むうちはいいけどね」

 ミラは小屋の前を見た。

「今日はもっと分かりやすいのが来る」


 その意味は、昼前に分かった。


 仕事を待って壁際に立っていた若いのの一人へ、見覚えのない男が声をかけたのだ。痩せてはいるが、服は少しだけましだった。下層の人間にしては靴も傷んでいない。立ち方に、妙な余裕がある。


 男は若いのの肩へ馴れ馴れしく手を置いた。

「こんなとこで待ってるより、うち来いよ。寝る場所もある。今日の分も先に出してやる」


 若いのは迷った顔をした。そりゃそうだ、とカイルは思う。今日の仕事があるかどうかも分からない場所で待つより、目の前に銀貨と寝床を出されれば揺れる。


 ガルドはそれを見ても、すぐには動かなかった。

 代わりにミラが小さく舌打ちした。

「来た」


 エルンが低く言う。

「追いますか」

「追えば揉める」

「放っておけば引き剥がされる」

「どっちも面倒だな」

 ガルドが言う。


 その間にも、男は二人目へ声をかけていた。

「ここ、使い捨てだろ。うちは違う」

 嘘だな、とカイルは思った。そういう顔だった。違うのではない。ただ、使い方が別なだけだ。


 リノが戸口の脇で、その男の足元を見ていた。立ち上がりはしない。ただ、視線だけが離れない。


 ドグは荷車の車輪を直しながら、ぽつりと呟く。

「釣ってる」


「見れば分かります」

 エルンが苛立つ。


「違う」

 ドグは顔を上げなかった。

「今日だけじゃねぇ」


 その言葉で、カイルは少しだけ息を止めた。


 今日ここにいる人足を奪いに来たのではない。

 ここへ流れてくる人間を、先回りして減らしに来ているのだ。

 仕事がなくて来そうな者に先に前借りを握らせ、寝床を押さえ、こっちへ顔を出す前に囲ってしまう。

 露骨に潰しには来ない。その方が金もかからず、表立って揉めずに済むからだ。


「……面倒ですね」

 カイルが小さく言うと、ミラが苦く笑った。

「やっと言った」


 ガルドが縄を放り、男の方へ歩いた。


「おい」


 それだけで、小屋の前の空気が少し止まる。声をかけられた男は、肩へ置いていた手を外し、面倒くさそうに振り向いた。


「何だ」

「ここでやるな」

「何をだよ」

「人の前で餌まくなら、もう少し隠せ」


 男は鼻で笑った。

「あいつら、お前らのもんじゃねぇだろ。道で立ってるだけの連中だろ」

「今は俺たちの前に立ってる」

「だったら何だ。買ったわけでもあるまいし」


 言い分としては間違っていない。だから厄介だった。縄張りだと怒鳴れば、こちらが先に角を立てることになる。


 ガルドもそれは分かっている顔だった。殴りたいのを押さえ込み、ただ相手を睨む。


 そこでミラが前へ出た。

「じゃあ、こうしようか。今日の分だけでも働きたい奴はこっち。前借りで縛られたい奴はそっち。好きな方へ行けばいい」


「軽く言うね」

 男が笑う。

「前借りが欲しいのは、だいたい今夜の寝床がねぇ奴だぞ」

「だから選ばせるんだよ」


 その時、壁際にいた中年――ニグが、ぼそりと言った。

「前借りは、後で高くつく」


 誰もすぐには動かなかった。


 男はそちらを睨む。

「知ったような口利くな」

「知ってるから言ってる」


 ニグは視線を逸らさずに続けた。

「寝る場所と銀貨一枚で首が締まる。次の日も、その次も抜けられない。切られる時は借りだけ残る」


 若いのが一人、男の差し出した手から目を逸らした。


 大きな言葉ではない。けれど、下層で実際に食った痛みのある声は、妙に通る。


 ガルドはそこで短く言った。

「今日働くなら並べ。来ねぇならどけ」


 それだけだった。約束はしない。寝床も前借りも出さない。ただ、今ここで働くなら受けるとだけ言った。


 若いのの一人が、そっとこちらへ寄った。

 もう一人は迷い、男の方を見たまま動かない。結局そちらへ行った。


 ミラが小さく息を吐く。

「半分か」

「十分です」

 エルンが言うが、顔は硬い。


 囲い込みは、正面からぶつからなくても痛い。人が減る。流れが細る。前借りと寝床は、下層では暴力より静かに効く。


 だが、それでも全部が持っていかれるわけではないのだと、カイルは思った。


 小屋の前に残った若いのは、ガルドの方を見た。

「……今日だけでも、働く」


「なら名前を言え」

 ガルドが返す。


 その声はいつも通りぶっきらぼうだった。優しくもなければ、温かくもない。けれど、少なくとも先に首輪を嵌める声ではなかった。


 夕方、仕事を終えたあとも、小屋の前には少し重い空気が残ったままだった。


 エルンは帳面を閉じながら低く言う。

「これから増えますね」

「何がです」

 カイルが聞くと、エルンは嫌そうに答えた。

「こういう引き剥がしです。人が集まる場所だと知られた以上、横からさらう方が早い」


 ドグは荷車の軋みを確かめながら、短く言った。

「来るなら、来る」


 ミラは壁に寄りかかり、通りの先を見ていた。

「だから、ただ人が増えるだけじゃ駄目なんだよ。残る理由がなきゃ、すぐ持ってかれる」


 カイルはその言葉を、黙って聞いていた。


 小屋の前には、今日も半端な人間が立っていた。

 だが、それを見ているのは、もう仲間になりたい者だけではない。


 ここへ集まる人間を、自分の方へ引き込みたい者もいる。

 逆に、ここへ人が集まらないようにしたい者もいる。

 囲い込みは、もう始まっていた。 

ここまで読んでいただきありがとうございます!


続きが気になる方は

ブックマークしていただけると嬉しいです。


評価ポイントも励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ